君を呼ぶ世界 163
奇人に付き合うオレも、相当ヤバい。
薄闇の中で、オレを見下ろし笑う奇人。
心臓が止まるほどに驚いた訳ではなく、その姿に、疲ればかりが湧きあがって来て。抑えられるままに、ベッドに身体を押し付けたオレだが。
何だってこんな奴を夢に見るのかと嘆いていたところで口を解放され。
「イっ…!?」
次の瞬間には唇を指で挟まれ、捻られた。
反射的に布団の中から手を出し、遠慮ない攻撃を仕掛けてくるそれを両手で引き剥がす。
「やっと起きたか」
危機に備えて上半身を起こしたオレに、奇人はヤレヤレと言った態でそう言い、ベッドサイドから離れた。
その姿を、暗闇の中でマジマジとオレは追いかける。
痺れた口を片手で押えながら、突然目の前に現れた奇人が、自分の夢の中の住人でも幽霊でも何でもなく、正真正銘の本物だと理解し、自然と呻きが漏れた。
「……。……マジかよ」
「それにしても、ひとり寝とは寂しい奴じゃのう。だからこそ、そう寝汚なくなるんじゃな」
気を付けろと、全くもってどんな発想でそれが出てくるのかわからない言葉を口にして。部屋を見回していた奇人が振り返り、溜息混じりの声を出す。
「何をしておる、出掛けると言っておろう。用意は要らぬのか?」
その格好では寒いぞと、言うと同時に居間への扉を躊躇いなく開け出て行く。
「…………」
……今のは何だったんだ、と。消えたその姿に、漸くそう考えて。いやいやいや、幻でも何でもなく、何故だかわからないが奇人がここに居るのが現実なんだと何とか飲み込み。
オレは、抑えていた口から手を離すと同時に、ベッドを飛び出し扉の向こうへ走り込んだ。
勿論、夢も嫌だけど。
本物っていうのも、どうかってもので。何でいるんだよ!?だ。
「ちょっ! あ、あんた、何してンだよ!?」
かくして。
やはり生身の物体であったのは間違いがなかったようで。
飛び込んだ居間では、消えることなく奇人が、まるで部屋の主人であるかのように堂々と椅子に座っていた。窓から入り込む星明かりだけが光源の中で、どこか神々しささえ纏っているようにそこに居る。
誰の部屋だと思いつつ、その雰囲気にオレは一瞬怯み息を飲む。
しかし、その慄きを馬鹿にするように。奇人がいつも通りの声音で応えた。
「だから、言ったじゃろう。静かにせよと。見付かれば、厄介じゃぞ」
「……」
…それはどう言う意味だオイ。
不法侵入した自分を認めているのか? それとも、オレが損するような事が起こるとでもいうのか?
飲み込まれそうになった気を取り戻し、この奇人が目の前で笑っている以上の厄介があるのかと、反発するように瞬時に思う。だが、あまりにも疾しさの欠片もないその態度に、ヒートアップしそうになった気持ちは直ぐに冷めた。
冷めても、何をしているんだとの警戒に変わりはないのだけれど。
それでも、ひとつひとつを解決出来る相手でもなければ、時刻でもない。真夜中にそんな作業はしたくない。
そう。寝るのが早かったので、もう充分ひと眠りはしており、またあまりの状況に眠気は飛んだけれど。星はまだ煌々と輝いている時刻だ。他人の寝室に突撃を仕掛けるのは、非常識以外のなにものでもない。
「……何のつもりですか、こんな時間に」
「この前、そちに用があるんじゃと言っておいただろう。忘れたのか?」
若いのに情けないのぅ、と。ひょいと両肩を竦めた奇人が窓へと近づき、ゆっくりとそれを開ける。
「そう言う訳じゃ。さっさと行くぞ、ほら」
「は? どこへ?」
「いいから、ついて来い」
奇人のどこにも、そんな一言で片付けられるものはない。どこをどう探しても、微塵もない。
だから、オレは当然。誰がついてなど行くか、と思ったのだけど。
先日リエムから逃げたのと同じように、子供のように窓から身体を出した奇人が落ちる瞬間、「そちの知りたい事を教えてやろう」と餌をチラつかされ、揺さぶられた。
クソッタレ…!
オレは胸中でそう叫び、窓の向こうを睨み、深く息を吐いて。
寝室に戻って靴を履き、用意されている明日用の服に素早く着替え、奇人に続くべく窓枠に手を掛ける。
侵入者が出て行った事だし、窓を閉めてさっさと寝直せばいいのだと、どこかで思う自分もいるが。決して今の自分を取り巻く状況に満足している訳ではないので、例え変人奇人の誘いでも状況が動きそうなそれを無視出来るはずがないのだと。誰へのいい訳なのかそんな考えで自分を押し、躊躇いを残しつつも外へ出る。
奇人は、直ぐ傍の木に凭れるようにしてオレを待っていた。オレの姿に、背中を起こしながら表情を崩す。
「そう怖い顔をするでない。心配せずとも、見張りの兵に会ったところで、捕まりはしないからのォ」
安心せよ、大丈夫じゃと。
オレの心情とは全く違うところの話をする奇人に近寄りながら、そう言えばそうだなと思い当たる。まだ朝の匂いもやってきていない真夜中に客人がうろついているなど、兵士じゃなくても問い質したくなるほどに不審だろう。
本当に大丈夫なのかよ、と。いざとなったら、こいつはオレを囮にして自分は逃げるんじゃないか?と。そもそも、あの件の客間から頻繁に出入りしているようだが、今夜もどうやってオレのところまで来たのか怪しいものだと。王の私室に通じる廊下に居た見張りを思い出しながら、色んな事を含めた疑わしさに眉を寄せて見ると。
並び立った奇人がオレを見返し、抑えた声ながらもふぉふぉっとまた笑った。
だが、それ以上は何も言わずに、ただ促し歩き出す。
「遅くなるからの、行くぞ」
「…どこへ?」
「それは着いてからのお楽しみじゃ」
奇人の応えに、まさか王様のところじゃないよな…と、嫌な予感が過る。昼間にあんな事があったからか、真夜中のこの突撃が、先日のラナックの仕打ちと同じ種類の強引さに思えた。
だから、自己防衛の為に。オレはそれを奇人についていきつつ訊ねたのだが。
「ほほう、そちが知りたいのは王の事か」
「……そんな事はひとことも言っていないだろう」
「そちの知りたい事を教えてやるとボクが言ってのそれなら、そう思おて当然じゃろう?」
「全然違う。つか、オレの知りたい事は他にも山ほどあるっていうんだよ」
その中には、王様の事もそりゃあるけれど。それは必然的に知らねばならない事みたいなものであって、当人と顔を合わせる必要はない話だ。オレの警戒を、まるで興味のように変換する奇人がおかしいのである。
「何を教えてくれるんですか?」
「何でも教えてやるぞ」
嘘っぽくはない声音なのに、嘘でしかない言葉。
その割には全然来なくて、そうしてこのおかしな訪問じゃないかと。オレはしれっと応える奇人のそれを鼻で笑う。
「神子の息子って以外にも、まだ重要な秘密でもあるってか?」
「なんと、昨日の今日で随分ヤサグレたのぅ」
「昨日は会っていないでしょ。ボケは要らないよ。それとも、これはだからこその徘徊か?」
だったら、連れ帰ってやろうかと。本気でボケてんじゃないだろうなと、馬鹿にした笑いを込めて言ってやると、チラリとオレを横目で見た奇人がそのまま天を仰いだ。
「子供は大きくなるのが早いのぅ……昔はあんなに可愛く素直だったのに、こんなに捻くれるとは…」
「……」
思いを馳せても、オレの昔が奇人の記憶にあるはずもなく。何を遠目に見ているんだと、本気で過去へと意識を飛ばしているようなその横顔に溜息を吐く。
駄目だ、このノリに乗っては、延々続きそうだ……。
「……言いすぎました、スミマセン」
「言葉が硬いのぉ。それに、いい年をして素直なのも気持ちが悪いもんじゃ」
「……。……アンタ、オレをからかいに来たのかよ?」
「楽しい夜の密会に、言葉遊びは必要じゃろ?」
何なら、言葉だけじゃなく遊ぶか?と。
言われた相手を思えば、意味を考えたくないそれに顔を顰めたところで、クイッと服の裾を引かれた。こっちだと、王城を囲む塀を潜る。
「ホントはのぅ、もう少し様子を見てからの方が良いと思ったんじゃが。そなたが腐ってはどうにもならぬからの、その前にこうしてやって来てやったんじゃ。ちょっとは喜んだらどうじゃ?」
「別に、腐ってなんて…」
真意が見えぬ相手にこんな時間に連れ出され、どの部分に喜べと言うのか。そりゃ、確かにちょっとは会いたいと思っていたけれど、顔が見たかったわけではない。疑問を解消してくれないのならば、あまり会う意味がない。
「リエムに色々聞かされたのであろう?」
「……」
「その後は、書庫で何やら調べ物をしているようじゃの」
「……オレの事、見張っているんですか」
「ボクにはそんな暇はないし、どちらかと言えば見張られている方じゃわい」
「だったら、どうして…?」
「別段、そなたも隠している訳でもなかろう。王の客人となれば歩いているだけでも、見た者の記憶に残る。話題に上る。そちのは、それだけの事じゃ」
そう言い、妙な声で奇人が短い笑いを落とす。
しかし、その言い方だと。まるで自分は違うと、オレとは比べ物にならない監視を受けているかのように聞こえるのは、穿ち過ぎだろうか。堂々としていて忘れそうになるが、この男はあの部屋で大人しくしている予定だったはずだと思うのだが、その話はどうなったのだろう。今もそうだし、この前も昼間から廊下で会ったし、問題はないのだろうか。
奇人の過去に何があったのかはしらないが、小耳に挟む話から察するに、あんまりこの王宮と良い関係ではないように思うのだが…と考え。それでも、王様には重宝されているようだし、あの王を批難していたオジサンとも上手くやっているようだし。キックス達を見る限り、別段うとまれている訳でもないしと。当人の性格以上の問題は、見えてこない。
オレが思う以上に、この男は自由なのだろう。
「そう言えば、この前の、何だったの?」
「この前?」
「廊下で、」
「ああ、あの男か。イアーナ・シャグラド。知り合いじゃったか?」
「オレが会わない方がいいって、どうしてなんだ?」
奇人の十八番を借りて問いを無視し、問いで返してやると。
あからさまなオレのそれを気にする事はなく、「あの男は、誰にでも噛みつく習性があるからのぅ。可愛いそなたが喰われるのは忍びなくてじゃ」とホザく。
どんなにこちらが真面目に話そうとしても、これだ。ひと言目から、横へと逸れてくれる。
ボクも危ないんじゃが、そなたの為に身を呈して守ったんじゃぞと。押し付けがましい言葉を、実際のところはまったくその空気は出さずの口先だけで発する男に、戯言を述べる意味がどこにあるのか聞きたくなるが。聞いたところで、オレが得るものはないだろうと諦める。
っていうか、オレ。
夜中に何をやってんだよ…。
2010/05/06