君を呼ぶ世界 164
その必然は、あってはならない事だ。
一体どこへ連れて行かれるのかとの不安と疑心を混ぜつつも、相変わらずふざけた事ばかり口にする奇人に促されるままにサクサク進み、何もなく結局王城内へと戻った。静かな廊下を、静かに歩き、再び庭へと出て、また戻り、と。そんな事を繰り返す。
そうして辿り着いたのは、どこか雰囲気の違う空間だった。
扉を潜り、細い廊下を歩き、足を踏み入れたそこは、天井がやけに高いひらけた空間で。夜という以上に、空気が冷えている。
暗闇の中で眼を凝らせば、壁一面には装飾が施され、垂れる布は重そうなものであった。
近くのそれから眼を反らし、闇にうっすらと浮かぶ壇上を先に見とめ、雰囲気的に礼拝堂だと察しを付ける。結婚式などで多少馴染みがある、教会のような作りだ。多分、ここは大神殿なのだろう。
オレがそんな風に、初めて入った空間に少し気圧されつつも観察をしているのを気にせずに。奇人はその空間の隅を横切る形で、直ぐにまた別の扉へと身を滑らせる。その後を、慌てて追う。
「……まだ、どこかへ行くのかよ?」
「すぐそこじゃよ」
続くそこは、細い通路だった。暗くてよく見えないが、感触からするに。どうやら、足元には絨毯が敷かれているらしい。
剥き出しの石畳を歩いて靴音を響かせていたのとは違い、急に大人しくなったそれに、若干の心許なさを覚える。
星明かりがある場所ならば兎も角、光源がないに等しいここでよく躊躇いもせずに歩くなと。半歩前を行く奇人の白い服だけが頼りで進んでいるオレは、そんな悪態なのか呆れなのかを内心で吐きつつも、見失わないように間を詰める。
この世界の神などに、オレは一ミリの敬意も持ち合わせていないのだから、厳かになる必要はないのに。闇がそうさせるのか、ただ目の前にそれのみがある奇人の気配にそうなるのか、腹の底が冷えるような感覚が気付けば生まれていた。何故か、まるで酷く緊張しているかのようだ。
信心しない宗教でも、その聖域に入れば背筋が伸びるようなあれか?と、思ってもみるが。そんな単純なものでもない、もっとはっきりとした重みがある様にも思う。
それが何であるのか、全くわからないのだが。
兎に角、夜中にこんな慣れぬところに来るものじゃないよな、と。そうしてオレが顔を顰めたところで、階段だと示されて、手さぐりに近い状態でそれを上る。
「…なあ、明かりは?」
「お忍びで来ている意味がないじゃろう」
「……不法侵入かよ」
「この方が、その雰囲気を味わえるじゃろうて」
あえてこうして楽しんでいるのだという風に、妙な声で軽く笑った奇人に、オレは思わず舌打ちを落とす。本当に、この男はどこまでが本気で、どこからが嘘なのか。嫌になる。
「…ここは、大神殿なのか?」
「そうじゃ、王城の傍にある神殿じゃ。主に位の高い者用で、体裁ばかりの作りで面白味も何もないがのぅ。じゃが、ひとつだけ、価値のあるものがある」
「へえ、何?」
「まあ、それは後のお楽しみじゃ。まずはその前に、そなたには老人の昔話に付き合って貰おうかのぉ」
「は?」
老人の昔話? 何だそれ?
どう言う意味だと、問いかけたところで。奇人が振り返り、オレを見て笑った。
そこで漸く、闇に慣れた目のお陰ではなく、進む通路の先から明かりが届いている事を知る。
「さあ、行くぞ。心してかかるんじゃぞ」
年寄りの話は無駄が多いからのォ、と。
その最たる人物であると思われる奇人がそう言い、曲がった廊下の少し先に。明かりが漏れる部屋があった。開いたままの扉が待っているのは、奇人とオレなのだろう。
やはり思った通り、明かりの下で確認した靴の下は、毛足の短い絨毯が敷かれていた。だが、今はそんな事はどうでもいい事で、オレはさくさく進む奇人に続き、その部屋に入る。
入ったそこは、思った以上に狭い部屋だった。下の礼拝堂の広さや歩いた距離から考えて、もっと大きな空間を想像していたが、こじんまりとしている。だが、扉と向かいになる壁の隅が切れており、更に奥に空間がある様であった。
「漸く来たか」
「この時刻では子供はなかなかすんなり起きてくれませんでねェ。遅れてはあなたの方が寝てしまうんじゃないかとヒヤヒヤしていたのですが、起きて下さっていて良かったですよ」
まあ、老人は朝が早いものですからね、と。
ここでこうして会う事をセッティングした本人であろうに、そんな他人事のように話す奇人の先に、オレよりも一回り小柄な爺さんがいた。誰でもお爺ちゃんと呼ぶであろう、そのまんまな人物だ。オレがこの世界で会った人物の中で、この男が最高齢だろう。
奥の壁際一面に備え付けられた本棚を背に、高い背凭れが付いた椅子にちょこんと腰かけ笑みを浮かべている姿は、この状況でなければ癒しだ。
だが、いかんせん。妙な前振りを奇人に受けてしまっている手前、こんなお爺ちゃんの何をオレは聞かねばならないのかと、少し警戒してしまう。
態々こんな時刻に、何を語るというのだろう。
「紹介しよう、メイ」
奇人が、ハッとするほどにまともな声音でオレの名を呼んだ。
「元・大神官長のビエト・ワッフ様だ」
老人がつく小さなテーブルを回りこみ、その隣に立って。奇人が変わらずに、どこか芝居じみた威厳さまで出して、仰々しく紹介をする。
大神官長が、神殿の中でどれほどであるのかはわからないが。少なくとも、元・大神官であるらしい奇人の上司であったのは間違いないのだろう。しかし。
全てが、「元」であり、今はどうかはわからないのに加え。基準となるのが、イカレタ男・奇人なのだ。
目の前の爺ちゃんに関しても、結構偉い人なのかもしれないとわかったところで、へえ〜そうなのか、くらいにしか思えない。
「……どうも、初めまして」
「覇気がないのぅ、個性もない」
紹介されても、何を言えばいいのやらで。とりあえず挨拶をしてみると、すかさずに奇人が駄目だしをしてきた。
だが、普通はこんな深夜に元気ハツラツの方が嫌なものだと、右から左へ流してやる。
「それで…話って、なんですか?」
「これだ。ビエト、どう思う?」
「そうだな、うむ」
改まった言葉使いを早々に止めたらしい奇人が、オレの言葉を無視して、ワッフ氏に訊ねた。問われた相手も、それを受けて、笑みを崩さないままオレをジッと見る。
……もしかして。それは笑みじゃなく、皺か? その表情が、標準装備か? と。そう突っ込みたくなる程の、案外強い視線を向けられた。
外見とは反したそれに、そう言えば声もしっかりしているなと気付く。太い訳では決してないが、凛とした響きがあり、なんて事はない言葉にさえ呑まれてしまいそうになる感じだ。奇人よりも余程、威厳がある。
「まだ何とも言えぬが、お前が気に入るのはわかる。とても好い気を持っているな」
「ああ、それは保障する。が、それより、だ。神子の方はどうだ?」
「お前のような事があるからな、今の段階で結論など求めてくれるな」
「確かにな。まあ、答えがどこにあれ、変わりはしないんだろうが…、――メイ」
ヒトを何だと思っているのか、どうも好き勝手に話されているような感じがしつつも。神子という言葉が出たので、省かれる言葉を探ってやろうと、二人の会話に集中しかけたところで奇人に呼び掛けられる。
「そなた、あの石は今も持っておるのじゃろう?」
「ああ、うん。持っているけど…?」
出してみろというように、掌を向けられた。
オレに話す時は、その口調なんだなと。どうでもいいことだけれど奇人の基本がどこにあるのか考えながら、オレは歩み寄り、テーブル越しに首から外したペンダントを渡す。
別に悪用されるとは思っていないし、断れる雰囲気でもないしで、躊躇いもなく動いたが。奇人の手に完全にそれが渡ったところで、反射的にごめんなと片割れに心の中で詫びる。ちょっとだけ、我慢してくれと。
しかし、サツキの石はもう、サツキと繋がるだけではなく。オレにとっては、本来の世界と繋がる唯一の物でもあるので。自ら渡しておいて何だが、奇人がそれを爺ちゃんに差し出すのを見ているうちに、腹の中で燻った思いが生じた。
不快だとか、何だとかではなく。なんていうのだろう、大事なものであるのは昔から変わらないのだが、もっと身に詰まるようなものへと変わっているというのかなんというのか。以前なら、誰の手に触れられようがさほど気にならなかったのに、今は、どこかで間違っているかのように覚えさせられるものがあった。
オレはアレに、自分が思う以上の依存をしているのだろうか?
それとも、こんな状況に晒されて、心が狭くなっただとか?
もしくは、全く別な予感から、違和感をそこへ繋げているのだろうか…?
王様に取り上げられて、リエムに返還の協力を得られなかった事がトラウマになっているのだろうかと、ざわつく様な胸の揺れを分析しながら、皺が寄った細い指が片割れの石に触れるのを見つめる。細いペンダントを指で挟み、光に透けさせて見聞する様を見る。
「……別に、そんなに調べなくても。ただの普通の石だろう」
「そのようだな」
熱心に見る老人の様子に呆れたのか苛立ったのか、ついそう声を掛けると。相手は、即座に頷き、オレに向き合い小さく口元を緩めた。
「だが、神子の玉も、ただの石にしかすぎぬ」
「え…?」
「これも、今はただの石だが。元は、神子の力が入っていたのだろう」
「は?」
「この石の持ち主が、本来神子になる者であったか、ただその素質を少しばかり受け継いでいただけなのかはわからないが。来訪者であるそなたが自由に言葉を操れるのは、この石の影響を受けたからだろう」
……ちょっと待て。何を言っているんだ、この爺ちゃんは。
そんなの、見ただけでわかる訳でもないだろうに、何を適当な事を…。
「いやいやいや、オレが喋れるのは、一緒に来た神子の影響か何かじゃ…」
「おや、それは前にもボクがソチに言ったと思うが?」
「…ナニ?」
やっぱり、これぞお爺ちゃんの中のお爺ちゃん、っていうのは外見だけなのかと。奇人と知り合いなだけの事はある人物なのかと。神官っていうのは皆おかしいのかと。唐突な発言に驚きつつも、きちんとツッコミを入れたところで、奇人が口を挟んできた。
「あの召喚では、神子とそなた、二人を呼び込むなど無理であろうとな」
「…聞いてないぞ、ンなこと」
そう、聞いていない…と思う。そう言う可能性があるかもしれない程度ならば、言われたかもしれないけれど。悪いが、奇人の話全てを覚えている訳じゃないのだ、仕方がないだろう。
第一、だ。もし本当に、オレが一人でこの世界に来たのだとして、言語能力が完璧に備わっているのがサツキの石のお陰だとしてもだ。それが、正しい答えであるとここで言いきるのならば、何故にリエムは、王様は、未だに神子を探しているというんだ。
今の話ならば、神子はいない可能性の方が高いじゃないか。探すのは無駄でしかないだろう。
「ああ、奴らのアレは、趣味と言うかなんというか、のォ?」
彼奴等は気が済むまで、探してみればいいんじゃよ、と。
オレがおかしいじゃないかと指摘したものに対し、奇人はいつもの喰えぬ笑いを落としながらそう言った。
だが、決してそんな余裕があの男達にあるとは、到底思えない。まあ、あの召喚の結果が役に立たぬオレの存在だけだと言う推測を奇人に訊かされたところで、微塵も納得しないのだろうから、何も変わらないのだろうけれど。
オレだって、気持ちは兎も角、今の状況に今更の変わりはないのだろうけれど。
だけど、やっぱり、ちょっと待て、だ。
その憶測が100パーセントあたっているのならば。
オレがこの世界に来たのは、偶然だとか、運が悪かっただとかだけではなくなるじゃないか。
仕方がなかったと諦めたそれが消えるじゃないか。
原因は、そこにあってはならないのだ。
絶対、そこだけには――。
2010/05/23