君を呼ぶ世界 165


 他人事であるのと、当事者であるのとでは。
 持つ感情も、生み出す答えも、違って当然だ。

「この度の召喚は、整っていなかったとはいえ、聖獣が居た。間違いはそうないだろう。また、聞くところによると、こちらにきてからも、聖獣はキミに反応したというではないか。フィナだけでは、神子を呼び、もう一人巻き添えにキミを呼び込んだのだとは考え難いからな。キミ自身が神子ではないのならば、そう考えるのが妥当だろう」
 違うか?と。小柄な体に似合った細い腕を伸ばし、爆弾発言をあっさりかましたワッフ氏がペンダントを差し出してくる。
 だが、オレは与えられた衝撃に即座に動けなくて。
 色々頭の中で回る思考に、ただ、空中で揺れる細いそれを見下ろす。
 見慣れたそれに、オレは問いかける。
 お前が、原因なのか…? お前の石が…。
 サツキ、お前は――。
「…………、マジかよ…」
 神子召喚で、聖獣が見付けたのは。召喚師となって、神官であるフィナさんがこの世界に引き込んだのは。
 この、サツキの石だというのか。
 それを身につけていた、オレだというのか。
 だったら、あの召喚も成功だったという事になるのか? あんなにも躍起になっているリエムや、あの王が得るのは、マジでオレと言う存在だけなのか? これが結果でいいのか?
 いや、それは良くない。こんなのは、絶対に駄目だ。オレが嫌だ。
 ひとりの神官の死を直視出来たのは、オレ自身が部外者の位置にいたからだ。巻き込まれてはいたが、責任は一切なかったからだ。責められる謂われは、ひとつもなかったからだ。
 だけど、この元・大神官長の話を認めれば。その想像が真実ならば。
 オレがサツキの石を集めて持っていなければ、聖獣は誤解する事がなく、そもそも見付けもしなかったのだろうし。フィナさんだって、オレを引き込むような事もなく、死ぬ事さえなかったのかもしれない――と。そうなってしまうじゃないか。そんな話、認めたくはない。認められない。
 でも。  この爺ちゃんは癒し系である外見とは裏腹に。つまりは、まさにそれを言いたいのかもしれない。
「……それは、つまり、オレがここに来たのは仕方がない事だとでも…?」
 その手元に落としていた視線を僅かに上げ、皺の寄った小さな顔を見据えてやる。
「なるべくしてなった結果だから、受け入れろという話ですか?」
「そう言う意味で言うておるのではない。深読みしすぎじゃ」
「だったら、なんだっていうんだ…!」
 こんな夜中に呼び出して、行き成りこんな話だ。人目のあるところでは出来ないという訳でのこれならば、つまりは何がどうなってそんな判断をしたのかはわからないが、この元・大神官長の想像はそれなりに信憑性があるという事だろう。オレがただの来訪者だと、無関係者だとのそれを覆そうと本気でしているのだろう。
 では、何故そんな事を…と考えればだ。
 奇人は、オレが元の世界に戻りたいというのを知っていて。その上でのこれだ。最終、この話は、諦めろだとかなんだとかに繋がるんじゃないのか? 神子の力を、他人ではない相手から得たのだから、この世界に居ろとかいうんじゃないのか?
 ただ、単純に。サツキが神子である可能性が出てきたとか何だとかならば、普通に言えばいいのだ。こんな密会のような事をしなくていいのだ。
 そう、神子を欲する王の意とは反する結果だからこその、これなのだろうが。宥めようだとか、丸めこもうだとかいうのを、まずオレにしようとしているのだろうこの状況は気に食わなさすぎる。話す順序が違うだろう。
 故に、オレは、落ち着けと示してきた奇人に牙を剥く。オレがわからないのをいい事に、こんな仕掛けをしてくるような相手に大人しくついてきた自分が情けない。
「何が、神子だ。何が、玉だ。妥当だなんて、意味がわかんねぇーよッ! アンタは、この石には何も感じないと言っていたじゃないか。今更、何なんだよ!」
 自分には力があるのだと、勘がいいのだ気が見えるのだなどと豪語していたアンタは、サツキの石には反応しなかったというのに。この爺ちゃんにはわかるっていうのか!? ボケているだけじゃないのかよ!?と。適当な事を言いやがって、不愉快だとの態度を全身で示したオレに、奇人が眉尻を下げる。
「アイツが何だって言うんだ。関係ねえよ!」
「残念じゃが、関係なくはないようじゃ」
「神子なんかじゃない。サツキはサツキだ!」
「そうかもしれぬが、そうでないかもしれぬ。そう怒るな。じゃが、少なくとも今わかっているのは、やはり聖獣はその石に反応したんじゃということじゃ。神子の玉は本来、この世界に来ると同時に、秘めた力を全て神子へと戻す。玉はただの石になり、ただの人であった者が神子となるんじゃ。見たところ完全ではなかったようじゃが、その石はこちらに来て、そなたに言葉を与えた。役目を果たし、ただの石になったんじゃ。ならば、その石の本来の持ち主は――」
「――まだ言うかッ、クソッタレ!」
「メイ、これは認めようがそうでなかろうが、可能性がある話というだけであって、確かな事実との証明はボクらには出来ぬ話じゃ。そう興奮するでない」
「だったら、余計な事を言わないでくれ…!」
 オレの知らないところで、勝手にやっていればいいんだと。オレはグッと押し付けるように、握った拳でテーブルを打つ。
 何がどうであれ。どこに真実があろうとも。
 生まれてさえいなかったような片割れに、責任は一切ない。そんな事は、わかっている。
 だけど。反射的に。向けられた言葉の意味を理解した瞬間、オレは何も考えずに、心の内で。
 お前のせいか?と、思わずそう問いかけていた。そんな自分に気付いて、泣きたくさえなったところに言葉を重ねられて、もうどうしようもなく気分が高まってしまい、何を考えればいいのか分からなくなる。
 オレがここにいるのが例え本当に彼女の石のせいであったとしても、彼女のせいでは決してないのに。オレは最低だ。口先だけで奇人に吠えている自分を客観的に察し、本気でこの場から逃げ出したくなる。
 だが、なかった事にして立ち去るほどの気概は、オレにはない。
 そこまで大人にはなれない。
「こんな夜中に連れ出して、何の話かと思えば、こんな事かよ……サイアクだ」
「メイ…」
「オレはそもそも、この世界の神にも神子にも、それを崇拝している事にも、反吐が出るんだ。勝手に、オレの片割れをそんなものにしないでくれ…。……あの聖獣だって、間違う事はあるだろうし、百歩譲ってそうであるのだとしても、だ。そんなのは、無関係のオレが巻き込まれたのを強調する事実でしかなくて、それは今更な事だろう。アイツが神子で、この石がそうであったのだとしても……オレは神子じゃないんだからな。この世界に巻き込まれる謂われはない身であるのは確かなはずだ。あの召喚で他に誰も来ていないのだとしたら、あの召喚は間違いであり失敗だったというだけの事じゃないか」
 サツキが神子かもしれないと、今迄にだって考えなかった訳じゃない。まさか、と笑って流した時も確かにあったが、もしそうならばどうなのだろうと考えた事がない訳ではない。
 だけど、それは。本当にただ、得られなかった未来を想像しただけのものだ。実際には、答えがどうであれ、オレがこの知らない世界で生きている事実は変わらず、サツキが居ない事も同じであるので。どこに真実があろうと関係ないと思っていた。
 そう、本気で思っていたからこそ、他人事にしていたのだろう。
 どこかに居るのかもしれない神子に、同情さえしていたのだ。
 それが。
 サツキが神子で、オレが必然的に召喚されたのだなんて。
 やはり、認められないし。納得出来ない。
 可能性のひとつだというのならば。オレは違うそれを信じる。
「もし、母親の腹の中で死んでいたのがオレで、アイツが生き残っていたのだとしてもだ。アイツが神子として召喚されたとしても、それはただの拉致でしかないんだ。アンタ達は一体どれだけ、オレ達を馬鹿にするんだ。神子であれ来訪者であれ何であれ、オレ達は被害者で、アンタ達が加害者なのに…どこまでも勝手だな。恥を知れ。今直ぐ、オレを元の世界に戻せられるわけでもないのに、わかったような顔で偉そうに語るな。胸糞悪い」
 それでも、どうしても、サツキが神子の能力を持っていたと言い張るのならば。オレはここを出て行くと。だったらもう、オレが神子探しを協力する必要はないのだしと、奇人を見据えたところで。
「ディアにあたっても、何も変わらない。とりあえず、落ち着きなさい」
 静かな声で、そもそもの問題発言者が諭すように言ってくる。
「…アンタが言うなよ」
「それは、済まないな。だが、そう時間がある訳でもないんだ。本来の話をしよう」
 余計な事を言いだして悪かったな、と。流石、元・大神官と言うだけの事はある慈愛に満ちた笑みを、老人は浮かべた。
 そうして、テーブルに乗り上げるくらいに身を出してオレの握っていた手を取り、ペンダントを丁寧に返してくる。
 今の話が「余計」というのは、ヒートアップしたオレにはそれだけでも腹立たしいが。本来の話が別にあるような様子に、舌打ちしそうになったが、なんとかそれを飲み込む。
「……話って、」
「短いものでもない。座りなさい」
 オレにそう言い、隣の奇人にも声を掛けると、真っ先にワッフ氏が腰を下ろした。その横の席についた奇人に倣い、オレは二人の正面で椅子に座る。
 右手に握ったペンダントを指で擦り確かめて、オレはそれに左手を被せた。そして、赦しを乞うのか、励ましを強請るのか、オレはただ無心にサツキの名を胸中で呼ぶ。
 何の話があるのか知らないが、当人は軽く落としただけであったのかもしれないが、オレには恐ろしいくらいに重くて直ぐには切り替えられそうにない。
「この世界に来て、どれくらい経つ?」
 オレの心情を慮ってか、何なのか。男はそんな事を聞いてきた。二か月ほどだと答えると、どうしていたんだとか、この世界はどうだとか、郊外の様子や王都の様子、出会った人の事など、他愛ない質問を重ねてくる。
 そして。
「元の世界に戻りたいか?」
「…ああ。……戻れるの?」
「それは、ディアも言ったが、わからない。召喚は古来よりあるもので色々伝わっているが、逆は聞いた事がない。だが、絶対にないと言えないのが、真理だ」
「……」
 …それは、そうかもしれない。
 だが、慰めにもならない話だ。
 自分には見えないからって、幽霊が存在しない証明にはならない――なんて。そんなものと変わらないレベルの話だ。馬鹿らしい。
「神についても神子についても、我々が知るのはほんの一握りの事だけだ。過去の出来事だけが全てだとは出来ないものだ。常に、新たな真実が生まれてもおかしくない」
「…でも、結局は。それが生まれるその瞬間までは、オレが元の世界に戻るのは不可能って事だろう。そして、長大な時を経ての今を鑑みるに、オレが生きているうちに何かを得られる可能性は極めて低いということだ。違うか?」
「そうだな。もう五十年近くになるか、これの母親を呼び寄せた時も、確かにそうだった」
「…何だって?」
「あの時も、過去の記録には記されていない事が起きた。ありえないと我らは思いながらも召喚を実行し、神子を得て、そして、この者を得た。何ひとつ、それが成されるまでは微塵の可能性もなかった事だ。いや、可能性どころか、今なお奇跡だったと言える話だ」
「……奇跡? 一体、何の話だ…?」
 唐突に、オレの話をしていたはずなのに、五十年前が現れて。何が何やら、紡がれた言葉を理解しようと努めるオレに、元・大神官長が目じりの皺を深くして言った。
「ひとつ、昔話を聞いてくれるか?」
 そんな願いをオレに向けた男の横で。
 奇人が、奇人らしからぬ静かな表情でオレを見ていた。

 手の中で、ペンダントが何かに応えているような気がした。


2010/05/31
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