君を呼ぶ世界 166


 遠い山の向こうから顔を出した太陽が、この国に光を照らす。
 全てから、夜を祓う。

 王が許可した人物だけが入れるというこの場所は。
 ここがどんな国だとか、その中のどこだとか。この世界は何だとか、神はどうだとか。
 そう言うもの全てがどうでもいいと思えるくらいに、ただただ、綺麗だ。光り輝く今この瞬間だけで幸せだと信じられるほどに、差し込む明かりが単純に心を満たす。
「どうじゃ? 凄いじゃろう?」
 連れて来られた大神殿の最上階で、冷たささえ感じる石造りの空間が、生まれたばかりの太陽の光で息吹くその瞬間を目の当たりにしたオレは。圧倒されつつもそれ以上の穏やかさを覚え、絶妙に濁ったガラスを通して柔らかく降り注ぐ光を全身で受け止めて、抱える色々な事が浄化しないかと精神統一を試みたりしていたのだが。
 生まれた頃よりここで暮らし、大神殿など腐るほどに知りつくしているらしい男が、まるで自分の事を自慢するかのように声を掛けてきた。
 もう少し感動を味わわせろよと思いもするが。この特別な空間では、無粋な指摘などする気にはならなくて。
 オレは振り返り、素直に頷く。
 神秘的でも、幻想的でもなく。この空間は今日と言う日の始めに過ぎないほどの現実感があるのに、何よりも心に響いてくる。神だとか何だとか、見た事のないそれを信じる気にはならないが、自分が生きている今を大切に思える優しさを感じる。
 そう、奇人が自慢したくなるのも頷けるものだ。
「ここでの夜明けは、まるで新しい命が誕生するみたいだ」
「ふぉふぉ、ソチもなかなか言うではないか。――この一日が生まれる場所、とは。なるほど、詩人じゃのォ」
「一部の者だけしか味わえないのは、勿体ないな」
「普通はのぅ、他人の事よりも、自分がその特別に入れた事を喜ぶものじゃぞ」
 そなたはそういう面は、とことん駄目だなと。何を基準に優劣を付けられているのか駄目だしをする奇人に、オレもまた心の中で突っ込みを入れ置く。
 確かに特別な場所へと入っているが、王の許可を得てはいないので、これは不法侵入みたいなものだ。どこにも、驕る要素はないだろう。オレに何をさせたいんだ、この男は。
 腹が減ったのォと、神聖な場所である事など微塵も感じていないように、眩しいほどの光の中でダラリと歩く奇人を見ながら、オレはそれでも少し安心を覚える。変わらずに軽口を叩く男に、ホッとする。
 それくらいに、知らされた事実は、大きなものだった。
 元・大神官長であるワッフ氏がオレにした昔話は、奇人の事だった。
 正確には、奇人の母親である神子を召喚した時の話だ。
 五十年近く前、彼は――いや、その当時大神殿に仕えていた幾人かの神官達が各々に、夢の中やどこかからの声や何やらで、誰かに呼ばれたという。それが、神であるのか、神子本人であるのかはわからなかったが。彼らはその不思議な現象から神子召喚へとおよび、本当にひとりの女性をこの世界に呼び寄せたらしいのだ。
 助けを求める夢を見たワッフ氏は、若さもあり、積極的に召喚を行おうと意見したそうだが。当然、反対の声を上げる神官もおり、彼自身、本当に神子召喚が成功するとは半分も思っていなかったらしい。ただ、しなければならないという思いに突き動かされたのであり、常識では考えられない過去にない事例を前に、有り得はしないと頭ではそう判断していたそうだ。
 それが、聖獣も居ない急場の召喚で、神子が現れた。
 クラモ国にのみ唯一神子が現存する時代でのそれに、神官達の中で歓喜が湧きあがったという。
 しかし、それも直ぐに消し飛んだ。
 現れたその神子は、誰の眼にも命は長く持たないとわかるほどに、壮絶な姿だった。
 驚くべき事に、この世界にやって来た奇人の母親は、全身火傷まみれであり、虫の息だったらしい。奇人の話から察するに、その母親はどうも、魔女狩りのような目に遭ったみたいだ。
 彼女はその状態で三日生き、奇人を産み落として亡くなったそうだ。息子の安念を願い、ひとつの頼みをして。
 命が尽きるその瞬間まで彼女が願ったのは、この世界でごく普通に、普通の子供として、息子が生きていくこと。
 召喚に関わった者達は全て、大神殿の神官で在り、多くが高い位を持つ者達であったそうだが。彼らはこの事実を全て隠すことにした。それは聖職者として罪を犯すことであったそうだが、なにも、公表すれば安易と捉えかねられない神子召喚を隠したかったわけではなく、ひとえに、生まれた子供を守ろうという思いで皆が大きな秘密を抱える決意をしたのだという。
 元の世界で怪我を追い、世界を越えてきた奇人の母親は、本当に本物の神子であるからこそ、その状態でも沢山の事がわかったのだろう。親が神子であるとわかれば注目される事もさることながら、奇人はこの世界の血を一滴もその身体に入れてはいない、肉体的には完全な来訪者だ。五十年近くも前ならば、差別は今以上であったのかもしれない。
 何より、もしかしたら神子である母親には、生まれたばかりの赤子が持つ力をわかっていたのかもしれない。その未来さえ見えていたのかもしれない。
 そう、「普通」というもので隠しておかねばならぬほどの「異質」を、息子で在る奇人は持っていたのだ。
 母親の記憶を、神子の記憶を、奇人は子供の頃より夢などで見て収得してきたらしい。そう、オレに話した事は全て、適当な事ではなく、本当だったのだ。
 物心つく前から始まった記憶の混入は、夢の中でリアルに経験したり、白昼に断片的な映像で見せられたり、それこそ気付けば勝手に記憶の引き出しに入れられていたりというもので。幼いころは全く意味がわからなかったらしい。だからこそ、親代わりの神官達に訊ねて回り、神官達は早くから奇人の特異さを実感していたそうだ。
 神子の腹の中で世界を飛び越えた影響だろうが、自分のそれを息子に引き継がせる意思など母親になかったのは明らかで。神官達は一層に、この子供を守らねばならぬとなったらしい。
 昔は、それはもう可愛い子供であったのだと。今もそう思っているのだろうワッフ氏の親バカ評価を聞きながら、奇人を奇人にした要因のひとつはそこにあるのだなとオレは察する。神官達にとって、神子ではなくとも、自分達が呼んだ神子の息子であり、またずば抜けた能力を秘めている子供なのだ。それはもう、心酔したことだろう。
 多くの神官に溺愛される中で成長し、知識を増やし聡明さも身に付けた奇人は、当然のように聖職に就いた。
 そして、権力闘争に巻き込まれ王都を去るまでに、大神官にまで上り詰めたのだが。本来ならば、誰よりも神に近いであろうこの者が大神官長であるべきなのだと。ワッフ氏の話はいつの間にか昔話ではなく、勝手をやっている息子への愚痴なようなものになっていた。
 流石の奇人も、親と変わらない人物に小言を言われるのは罰が悪いのか、色々と反論していたが。互いに本気でやりあっているわけでもなく、彼らなりのコミュニケーションなんだと思えるくらいのそれで、見ている方としては笑ってしまうような穏やかさがそこにあった。
 だけど、オレの中では。唐突に知らされた話に、色んな事が頭の中を駆け巡っていて。
 イイものを見せてやろうと、奇人に連れられこの場へとやって来る間も。こうして、満ち溢れる光に心を落ち着かせられた今でも。晒された真実を、消化しきれないでいる。
 オレは全く関係のない人物であり、その過去を耳にするだけしか出来ないのだけれど。他に何もしようがないのだけれど。
 単純に、神子の息子だと知識として持っていただけでは抱えなかった気持ちが、胸に溢れる。
 オレと同じではないけれど、この男もまた、この世界にとっては異質なのだ。
「ディアさん」
 呼び掛けると、奇人が少し離れた場所で振り返った。
 太陽からの光の角度が変わり、真っ白に染めていたガラスが外の景色を透かし始めている。
「自分以外の記憶があるって、どんな感じですか…?」
「どうもこうも、別に普通じゃな。ボクの場合は、幼い頃よりこれじゃし。何より、知るという点では、話を聞くのと変わりはないのォ。それだけじゃ」
「だけど、ある日突然、さっきまで知らなかった事が頭に入っていたりするんだろう?」
 あっさりと答える奇人に、オレは思わず食いつく。
 確かに、言う通りなのかもしれない。自ら生み出し得るものではないのだ、誰かに話を聞くのと変わらないものだと言えるのかもしれない。だが、それでも、自分ひとりきりの話でしかないのだ。昨日まで持っていた疑問が、不意に解消されたりしたら、喜びよりも歯がゆさを感じたりしないのだろうか。
 何より、単純な事であればそれでもいいのだろうが。神子の記憶となれば、この世界の秘密を抱える事にもなっているのだ。迫害を受けた母親の記憶は、遣る瀬無さに苛まれるものだろう。少なくとも決して、それだけの話じゃない。
「重いと、思った事は…?」
「そなたは、この世界の言葉を理解するその能力を、疎ましく思うのか?」
「……そう言う訳じゃないけど…」
 思わぬ指摘に尻すぼみな返答をしながら、そうなのかもしれないとオレは思う。
 今までは神子など全くの他人でしかなく、わかってはいても実際にどこまで真剣に考えていたか、今になって思うと怪しいくらいの認識で。この翻訳機能も、巻き込まれたのだからこれくらい当然だと、ラッキーだと軽く考えていた。だが、本当にそうであるかなど確かめようがないと言うが、可能性として、サツキが神子だったというそれを示されて。そうして奇人の話を聞いて。オレは、少し怖くなったのかもしれない。
 真っ直ぐと向かってくる奇人の眼から顔を反らし、小さな凹凸のある濁ったガラス越しに朝を迎えた王宮を見渡しながら、服の中のペンダントを握る。
 本当に、サツキにその素質があり、この小さな石に力が宿っていたのならば。それを、オレが吸収したのだとしたら。オレは、無関係者だとは言えなくなる。それが単純に、恐ろしい。
 元の世界に戻りたい思いは変わらないし、神子召喚を容認する事はやはり出来ないけれど。それでも、帰還方法取得の為に神子探しに協力しようと決めた時にはなかった重圧が、片割れの存在が影響しての今の自分だとなると一気に両肩に圧し掛かってきて、今までのように一直線にそこへと向けて走れない気持ちになる。
 オレ以上のものを抱える奇人は、自分を見失いそうになったり、プレッシャーに負けそうになったりしなかったのだろうか。
 神子ではないのに神子の記憶を持つのは、負担ではないのだろうか。
「ソチにとって、その言葉の能力は、何の違和感もないものじゃろう? 何も考える必要はあるまい」
「……。必要ないって、そんな…」
「使用料を請求される訳でもないんじゃ、気にするな。多くの言葉を喋れようがどうであろうが、そなたはそなたじゃ。ボクも同じ、誰のどんな記憶を得ようと、人には見えぬものが見えようと、ボクはボクでしかないんじゃよ」
 違うか?と言いながら、傍に寄って来た奇人が。オレの前に手を伸ばし、コツンと指の背で窓を叩いた。
「何より、こうしてここに立っていれば、全てが杞憂だとしか思えぬ。そうじゃろう?」
 覗き込むようにして見てきた奇人の瞳に、オレの顔が映っている。
「この世界で楽しく生きて行く上で、自分で己の意義など探すものではないんじゃよ。価値は他人が決めるものであって、自分はただ己を思うように生かせばいい。そなたがどんな経緯で言葉を操れるようになったかなど、どうでもよい事じゃ。何を抱えていようと、メイがメイであれば、多くの者はそれに満足する」
 確かに一部には、神や神子への拘りを発揮し、それが正しいと信じて余計な事をする者も居るが。
 そういう時は、ボクが守ってやろう。
 安心して、助けを求めて飛び込んで来い、と。
 思わず聞き入りかけたオレをからかうように、茶化した奇人が隣で腕を広げて、オレを捉えようと動いた。
 ハグされるくらい何ともないが、オレの身体は反射的に足を引き逃げを打つ。本能の動きだ。
「なんと。可愛い事を言っていたというのに、酷いのぅ」
 空ぶった両腕をそのままに、しょげた奇人が首を傾けて言った。
 オレは兎も角。
 この男は、全くもって可愛くない。
 そう、可愛くないが。
 不覚にも、ほんの少しだけ癒される。

 右手に見える王城を、正面に広がる庭を、離れた場所の家々を見ながら。
 オレは新しい一日の始まりを感じた。


2010/06/13
165 君を呼ぶ世界 167