君を呼ぶ世界 167


 生きて行く日々で、何を一番に大事にするべきなのだろう。

 王の為の通路とは思えぬくらいに狭い階段を下りて、最上階から元居た部屋へ戻ると。
 人が、ひとり増えていた。
 体型はオレや奇人と変わりないが、スキンヘッドだからかそのオジサンは何だか威圧感があり、思わず、奇人の後を続いていた足を止めてしまう。……つーか、睨んでいないか?
「過ぎた行為は命取りですよ、ディア」
「久しぶりじゃな、カゲト」
「貴方はもう神官ですらないのです。このような事は許されません」
「んん? 少し、肥ったようじゃの?」
「まして、ワッフさまを巻き込むなど言語道断です」
「まあ、その歳になれば腹も出てくるのが普通かのぅ。じゃが、ボクはまだまだ大丈夫じゃぞ。そなたも精進してはどうじゃ」
 性格も丸いのであればバランスが取れる話になるが、堅物のそれでデブになったら二重苦じゃないかと。
 決してまだ中年太りとまでは言えないだろう男の体型を、そう詰り嘆く奇人に向かう男の視線が鋭さを増した。
 そして。
「国外追放されたのを忘れたとは言わせません」
 慎みなさい、と。
 硬い表情を一切崩さず、全く噛み合わない会話に対して何かを講じる訳でもなく。奇人の戯言を耳にさえ入れていないかのように、ただ真っ直ぐに言葉の切っ先を奇人へと振り下ろした男が、不意に視線をずらし、突然の現状に固まったままのオレを見た。
 スッと、一歩を踏み出し、数歩の距離を静かに縮めてくる。
「え…、あ……、ッ!」
 怒られたのは奇人であって、オレは怯える必要はないのだけれど。
 実際にはオレ自身にも罪はいくつもあり、ワッフ氏のように奇人の味方ではないらしい相手に構えてしまう。
 加えて、オレには何者かわからぬ男だが、神官服であるのを見る限り、この神殿に仕える一人な筈で、奇人の元同僚なのだろう。と言う事は、奇人の奇行ぶりを十分に知っているという訳だ。そんな奴が連れているオレが、歓迎は愚か、同情される訳もなく、必要以上に分の悪さを覚える。
 オレ自身、奇人に掴まったと言えもするのだが。そんな事は、この男自身には関係ない話だ。
「出なさい」
「…………あ、はい…」
 目の前に来る男に追いやられるように、階段の前まで後退したオレに。男は変わらぬ声音でそう言い、スッと片手の仕草も付けてオレを促した。
 求められた事を理解した瞬間、抵抗など考えもせずに、オレは反射的に足を踏み出し部屋の中へ駆け込む。
 男の脇を通り抜け、そのままテーブルを回り込み部屋の中ほどまで進んで振り返ってみると。男は慣れた手つきで本棚を押し、最上階へと続く通路をそれで閉ざしていた。…なんと、そんな造りになっていたのか。
 部屋に入った時から階段への入り口が空いていたので考えもしなかったが、そこは隠し通路になっていたらしい。ワッフ氏の背後にあった本棚は、スライドされてそこに移動していたという訳だ。
 ここにきて漸く現れた壁と、動いた本棚を見比べて。オレは、自分がいかに貴重な体験をしたのかを知る。本気で、今までいたあの空間は、特別な場所であったのだ。
 そりゃあ、開口一番、奇人も怒られるよなと。神殿にも関係すらないオレを連れ込んでいい場所ではないよなと。ここに居ること自体ダメであるのかもしれないなと。振り返り、またもや奇人を見据える男を見ながらオレは思う。場違いでゴメンナサイだ。王の許可云々の前の話らしい。
 なので、オレはここは早々に謝り退散すべきじゃないかと奇人を見たのだが。奇人は、その気はゼロのようで。
 振り返った男を、「相変わらず可愛くないのぅ」と評し、ワッフ氏に同意を求めながら、その隣の席に腰を下ろした。
 当然、男は眉間に皺を寄せ、その不遜な態度に対する怒りを胸中で処理するかのように少しの間を置き、口を開く。
「私は、長居を許すつもりはありませんよ」
「そう怒るな、カゲト。久しぶりの再会なんじゃ、笑顔のひとつくらい見せてくれてもいいんじゃないかのォ?」
「何をしに戻ったのか知りませんが、迷惑です。貴方は、王の恩赦を無にするつもりか」
「心配せずとも、ボクは王に請われて来ただけじゃ。多少の事は大丈夫じゃよ」
「一大事をそんな言葉で片付ける貴方とは、話しても無駄でしょう。兎に角、直ぐにこの場を出ないのならば、然るべき処置を取ります。即刻、お行きなさい」
「直ぐにと言っても、カゲトよ。そなたがここに居るという事は、もう皆が集まって来ているのであろう? ボクが出て行った方が、騒ぎになるのではないかのォ?」
 まあ、それでも構わないがなと。オレには何の事か全く分からないのだが、奇人の余裕綽々なその言葉に、男が舌打ちを落とした。
 冷たさ全開の怒りなので、まさかそんな子供じみた事をするとは思わず、オレはその意外な行為に驚く。
 だが。
「この二人は昔からいつもこうだ。じゃれあっているだけだから、気にする必要はない」
「え? は?」
 何やら、朝の礼拝があるらしく、下には奇人がここに居るのを知られるのは都合の悪い奴が居るのだとか、何だとか。だけど、このままここに留め置くなど出来はしないとか、どうだとか。そういう事らしいと察せられる程度に、言葉をやりあい何だかんだと会話を続ける二人に見入っていたところで。
 いつの間にやって来たのか、ワッフ氏がオレの傍らに立っていて。攻撃する男と、それを交わす奇人の攻防をそんな風にオレに説明した。
 だけど。なあ?
 じゃれあいって……とてもじゃないが、奇人は兎も角、スキンヘッド男は微塵もそんな風には思っていないと思うんですが? 本気で、去れ!って態度ですよ?
 つーか、奇人。どんだけ嫌われてンだよ!? 追放だとか何だとか、一体何をしでかしたんだ。オイ。
 権力闘争に巻き込まれて地位を失ったらしい事は少し訊いたが、それだけの話じゃないだろうと思える男の嫌いっぷりは、とてもじゃないがワッフ氏の言う「じゃれあい」には見えない。本人に言えばきっと、その表現は屈辱的なものじゃないだろうか。オレだって、奇人と仲が良いと言われた日には落ち込むだろう。
 だけど。昔からの知った仲であるのは間違いなく、昔から変わらぬこれらしいので。
「それよりも、上はどうだった。気に入ったか?」
 そう話を振られ、オレは珍しくもないらしい二人の遣り合いから意識を反らし、傍らの爺ちゃんに答えを返す。
「はい。とても綺麗でした」
「見る価値があるものだっただろう?」
「ええ、そうですね」
 深夜に叩き起こされてでも見るべきだと思うくらい、確かに美しかった。だが、それ以上に、生きる源が降り注いでいるような空間だった。
「元の世界では、覚えた事のない充足感を得ましたよ」
 オレの言葉に、満足げにワッフ氏が頷く。その笑顔に、オレも癒される。
 だが。
 余計なことかもしれないが、ひとつ、と。そう断ってから言葉を続けた相手に、オレの気持ちは直ぐに引き締まった。
「まだ知らなかっただけで、キミの世界にも同じものはあったはずだ。この世界も、キミの世界も、人でも物でも自然でも何でも、一見の価値のないものなどない。キミにとっては、一切望みもしなかった事態だったのだとしても、この世界に何もない訳ではない。いま立っている場所は正しい場所とは違うのだとしても、この一日も出会うものも全て、間違いではない。そうは思わないか?」
「……はい」
「あの時関わった者の多くが、その後自問し続けた。本当にこれで良かったのかと。目の前で成長していく命をもってしても、そんな葛藤が生まれる程の弊害が常にあった。それ程に、神子は大きな存在であり、また残った命は厄介と言える力を携えていた。どんなに隠しても隠しきれるほどのものではないくらいで、我らはその荷を重く感じる事があった。神子の記憶や特殊な能力を有さない、普通の子であればと何度思った事か…」
 ワッフ氏はそれ以上の言葉を使いはしなかったが、奇人の存在が多くの問題を生み、争いを起こして来たのだとオレはそこから察する。当然だろう。何事もない方が、奇跡なようなものだ。
「しかし、その中で。アヤツがこの世界を好きだというのが、ここで生きている事を満喫する姿を見るのが、救いになった。我らの多くは、ディアに救われた」
 短いその言葉に。奇人が見せる態度が、その全てではないのだと。彼もまた、色んな事を自問し続けてきた者なのだと、ワッフ氏はその思いを滲ませた。
 あの男は能天気なのではなく、自ら願ってそうしているのだと言いたいのであろう。だから、力などなければ良かったと、親心で思うのだろう。そうでなければ、本気で単純に周囲を気にすることなく楽しく生きているのならば、奇人にとってそれは厄介にはなっていないのだろうから。
 未だ、ワッフ氏曰くのじゃれあいを続ける一方に目を向け、オレは少し低い位置からの声を聞く。
「ディアには、確かに特別な力がある。だが、それは万能ではない。逆に、私にはそのような力はないが、全くの無能でもない。長く生き、長く神に仕えて得たものがある。ただの勘だと言ってしまえばそれだけのことかもしれないが、感じるものはある。だが、な。何があって今のキミが在るのかなど、キミの日々には関係ないのだよ」
 柔らかい声音であるのに、極論へと導こうとするかのようなそれに。奇人へと向けていた意識を慌てて戻し、何の懐柔かと思わず身構えてしまう。
 と、言うか。アンタがそれをいうのか!?な話だ。突っ込まずにはいられない。
 関係なく巻き込まれた自分の運の悪さを嘆く程度に落ち着いていたのに。そこへ、唐突に、サツキが神子だったのかもしれないという、オレにとっては嬉しくない予想をたててくれ。今も、それは間違っていないのだという考えをさり気なく主張しておいて。そうして、どの口が、関係ないと言いますか?だ。
 いやいやいや。確かに、気持ち的にはどうでアレ。
 ここがオレにとって生まれ育った世界と異なる場所である以上、関係ありだろう。大ありだ。異世界で日々を消化する以上、オレのトリップは無視できない話だ。オレが言うのならば兎も角、問題発言したあなたがそれを言うのかよ…なあ?
「……ない事は、ないでしょう。そもそも、それでオレは王城に厄介になっている訳だし」
「私には、キミは他の誰とも変わらない。来訪者であろうと何であろうと、この世界の綺麗なものを綺麗だと見る事が出来、こうして言葉を交わし意思の疎通が出来れば、生まれもその血も関係などない。ディアも同じだ。神に仕える身として、アヤツの持つ知識や能力は無視など出来ない魅力を持っているが、それとこれとは別だ。ディアがディアであるのに、誰の息子であるのかなど重要ではない。目の前に居るヤツがヤツであり、キミがキミだ」
 真っ直ぐな視線は、揺るがない真実だというよりも。そう考えろとオレを諭すような、教えるような意思を含んでいた。
 奇しくも、それは奇人が先ほど言ったものと同じものだった。
 オレの中で、反論したい思いが、納得したくないような思いが腹の底で駆け巡る。だが、同時に、どこか少し諦めにも似た思いが、それを押さえつける。
 確かに、オレだって思う。この元・大神官である爺ちゃんが言わんとしている事はよくわかる。
 桔梗亭で働いていた時とか、チト達に癒されている時とか、リエムと笑っている時とかは。何の気負いもなく、そう思えたさ。今だって、常に自分が異界人だとの意識を持っている訳じゃない。微妙な立場は理解していても、迫害される対象だとの認識は皆無で、劣等感など一ミクロンもない。
 でも、ここは。この王宮では。それを、戒めてくる。お前は何者だと、何故ここに居るんだと意識させる。
 だからこそ、気を使ってくれているのかもしれないが。そう言われても、どうもありがとう、とは言い難い話である。これが慰めならば、丁重にお返ししたい気分だ。
 それでも、こうして導こうと背中を押してくれたり、道を示してくれたりするそれを、振り払う根性はオレにはなくて。
 真実に畏れを抱きつつも。明確な答えがあればいいのにと少し思う。

 憶測ばかりで、不安定ないまの現実では。
 割り切りどころを見付け落ち着くのは、かなり難しそうだ。


2010/06/27
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