君を呼ぶ世界 172
何故にオレが、居残りだ。
頼みの綱だったハム公が去っていった扉を、身体を捻った状態で未練がましく見つめていると。
「親に置いて行かれた子供のようじゃのう。どれ、ボクが慰めてやろうか」
諸悪の根源その一である奇人が、オレの後頭部に変わり映えのしないそんな言葉を放り投げて笑う。いい加減飽きろというものだ。
「……慰めじゃなく、説明が欲しいンですけど」
奇人のそれなど、厄介以外にあり得ないので。溜息ひとつで態勢を戻し、早々に打ち返しておく。引きとめられただけでも相当なのに、これ以上被害に遭いたくは無い。
「説明? 見たまんまじゃろうに、ソナタ、まさか無自覚なのか?」
「何が」
「レミィに惚れこんでいるのだろう?」
「オレの癒しなので、仲良くやっていきたいと思ってますよ。なので、邪魔しないで頂ければありがたいんですけどね」
「それは無理というものじゃろう。この男の弟思いは筋金入りじゃ」
アイツが欲しければ、この兄を倒さねばな、と。
どんな設定でオレとハム公の関係を楽しんでいるのか、妙な言い回しをして独り悦に入る奇人に、オレは己の不甲斐なさを痛感する。
いや、今までも確認し続けてきた事なので、今更だけど。
こちらが頑張って被害を抑えようとしても、その上を行くのが奇人なので。多少の抵抗などでは微塵も効果がないと、オレはタイミングを逃して居残ったことを早くも後悔する。
奇人に加えジフさんに引きとめられたのだとしても、ハム公と共に立ち去るべきだった…。
「しかし、アレのどこがいいんじゃ? ボクにはわからぬのぅ」
不機嫌だけで出来ていますな王さまに、能天気なのがモットーですな奇人を前にして腐らずにいられる訳もなく。この苦行は何なんだとの悔しさと苛立ちに、放置していた皿へと手を伸ばしたところで、しみじみとした声が落ちてくる。
フォークで何かの肉を突き刺し顔を上げると、「図体ばかりが大きい子供じゃ。じゃがそう思っていたら、メイ、そなたの方が痛い目を見るぞ。アレはアレでいて、なかなかに問題がある男じゃとて」と。神妙な顔で、オレに忠告してきた。
「……問題って」
問題しかない奇人が言うのは納得出来ない言葉だ。ハム公はオレのお気に入りなので、余計にムカツク。
けれど、自分の事を棚に上げて良くもぬけぬけと言えるもんだなのツッコミは口にし難い程に、向けられる視線が存外厳しくて。
つい、それから逃げるように視線を横へと移動し、我関せずな男を見てしまう。
……アンタの大事な大事な弟クンが酷い言われようなんですけど、これはイイのかよ? なァ…?
「…別に、オレはそうは思わないけど」
だが、結局。
オレの視線を察しないはずもないのに、ハム公のお兄様は目も向けず、口も開かず。
仕方なく、オレが反論を試みる。
「レミィはイイ奴だよ。確かに、年齢を考えれば幼い部分が目立つ気がしないでもないけど、その分すれていなくていいじゃないか。純粋なのは、兵士としてどうなのかは知らないけど、人としてはイイ事だろ。人慣れしていないのか、人見知りの気があるのかわかんないけど、オレの相手を一生懸命してくれるし……人の顔を見て仏頂面するような奴よりも断然イイのは間違いない」
「王のこの顔は生まれつきじゃ、比べてやるな」
「……誰もンなこと言ってねぇーよ…」
「そうか?」
そうは聞こえんが、のう?と。首を傾げて数度瞼を開け閉めした奇人が、隣の男に同意を求める。
それを、生まれつき不機嫌な顔であるらしい男は取り合わずに流したが。オレの方は、口にはしないが内心イライラだ。いい加減、無理やりに王さまと絡めようとするのはやめて欲しい。オチオチ喋れもしない。
それでなくとも、黙っていても居心地が悪いというのに。
だーかーらー。下手な事をして、また前のように剣でも抜かれたらどうするつもりだ、コンチクショウ。
「兎に角、オレは彼を好きなので、悪く言わないで下さい」
「悪く言ってはおらぬ。ただ、久しぶりに会っても相変わらずだなと思おてな。兵士になっても昔のまま、デブで幼い子供じゃ。いま言うていた食事のこともそうじゃ。軍内では制限されているのじゃろうが、それだけではああはなりはしまい。昔からも周囲が目を光らせていたようじゃが、暴飲暴食をする癖は抜けきっていないようじゃな。普段の食事は抑えても、隠れて食っている証拠じゃろう。一体どこまで巨大化するつもりじゃ? 同じ大きくなるのならせめて、脂肪ばかりじゃなく、脳ミソを増やせばいいものを。アレでは、動きも判断も鈍すぎて、その図体を生かして盾になる事もできまい」
いつもの軽口の度を越し、聞き様によっては悪意さえ窺える奇人の発言に。
オレは、言葉を失い。
「…ディア」
逆に、無言を貫いていた男が、咎めるようにその名を呼んだ。
だが、奇人は止まらない。
「何故あやつを王城に入れたんじゃ。兵士など務まるわけがないのは、わかっていたじゃろう。目の届くところに置きたかったのじゃろうが、その判断は間違いだったのう、シグニィ。アレでは、哀れでさえあるぞ」
「可能な限りの事はやっている」
「最初の判断を間違えておいて、偉そうに言いよるわい」
さすが王サマじゃ、と。奇人が取って付けたように笑い、「身体が壊れるか、精神が壊れるか、それとも、同時にか。ソチは覚悟をつければいいだけの事じゃろうが、アレには無理じゃ。厄介な兄を持って、可哀想にのォ」と、男を煽るような発言をする。
そして。
「ああ、そうじゃった、そうじゃった。メイ」
「ナ、ナニ?」
「ソナタ、この男に色々と訊きたい事があったんじゃろう。いま言っておくがよい」
飄々とした言葉使いは変えずに、オレにはよくわからないがハム公の事で兄である男を責めていたその流れで。奇人がオレに、会話のバトンを渡してきた。っつーか、放りつけてきた、だ。野球なら、デッドボール間違いなしだ。
なんて最悪な奴なんだ…!
「オ、オレは別に…」
「リエムが居らずに寂しいと言っていたのは誰じゃ? ボクに色々訊いてきたのは誰じゃ? ホレ、この機会に言わねば、この男はいつまでもソチを避け続けるぞ」
「いや、でも…、なんで…」
確かに、リエムに会いたいと思っているので、それはこの男に教えて貰うのが一番なんだろう。他の事だって、この男に訊かねばならない事も、言っておきたい事も山ほどある。だが、だからって。
なんでこのタイミングで話を振るんだ…と、ケンカをしかけておいてなんだよ…と。あまりにも無茶なその振りに言葉を詰まらせたオレのそれを、奇人はあろうことか、どうしてオレを避けるの?との『何故』だと思ったらしく。
「それは勿論、会わせる顔がないからじゃろう。ソナタに対しては、自分でも珍しく感情の起伏をぶつけたと反省しているからのォ。どうじゃ可愛い奴じゃろ?」
「…………いや、全然」
勘違いしてのその発言に、オレは単純に耳に入れた言葉を解釈し、だからってそれのどこが可愛いんだよと突っ込んでおく。
奇人の戯言を真に受けるつもりもなければ、例えその反省が本当であっても可愛さの欠片もないのも絶対だ。これならば、ラナックの方が可愛いと言えるだろう。
なので。これ以上妙な方向へ絡む前に、と。オレは奇人へ冷めた返事をするとともに、テーブルの上なのか、中空なのか、微妙な位置をじっと睨んでいる男に自ら声を掛ける。
「今のレミィの話、何なのか聞いてもいいですか?」
「……」
答えは、無言だったが。
反応がなかったわけではなく、オレの声に視線が動き、蒼い目がオレを捕らえた。
そして、それは意外にも、射抜くようなものではなく。どちらかといえば、じっとりとした絡みつくもので。
怯む事なく、オレは言葉を重ねる。
「彼は、ただの兵士じゃないのか?」
「…………」
「メイよ、アレがただの兵士に見えるソナタは相当問題じゃぞ。王城付きの兵士は、なりたくてなれるものではない。アレが優秀な兵士に見えるか? 王の名を張り付けているから、表面上は許されている存在じゃよ」
どこの外国人だというようなオーバーアクション付きでオレの発言を鼻で笑う奇人に、内心のムカツキを抑えつつ、そこが問題なのかと考える。
王弟という事で、能力がないのに軍で地位を上げさせたのか? そんな風に、重要な役職に就かせたのが原因で、周囲との軋轢を生んでいると?
それとも、あのハム公の事だ。荷が重過ぎて参っているんじゃないか? あのハムぶりは、それを兄には言いだせずの、ストレス太りか?
何にしろ、その毒があり気なところは兎も角。奇人が言うように、オレもハム公は兵士に向かないと思うので、そう言う点ならば全くわからないわけではないのだが。
ただ、奇人が王へと向けたそれは、もっと深刻で、明らかな批難で。何だかとても意味深だ。そういうだけのものではなく、もっと奇人は何かを重要視していて、王もまたそれを考えているのだろう。
そう感じてしまうほどに、雰囲気が硬い。
「レミィのその、食事ってさ。アレでいいの?」
何かあるようだ。それがわかる。だが、そこへオレが踏み込んでいいものなのかわからなし。また、踏み込めば何が起こるのかも予想できなくて。
モヤモヤとしたものを抱えつつ、オレは一先ずは奇人が責めるレミィや王の状況は置いておくとして、食事風景から気になっていたそれを蒸し返してみる。
と。
「構うなと言ったはずだ」
案の定というか、何と言うか。男は即答で反応を返してきた。
なるほど。あの発言は、オレに対するものだったらしい。
「いや、でも、気になるし。ある程度は食べさせないと、余計にストレスが堪るだろう?」
既にもうあの体型なのだから、オレ達と同じ食事の量では明らかに足りないだろう。三度の食事を満足に食べないのは逆に悪いように思う。
「それに、なんか、可哀想だ」
ポツリと付け加えたオレのそれに、王が目つきを変えて唐突に立ち上がった。
「貴様に蔑まれる謂われはない…! 」
「…………」
ば、爆発だ…。
いや、でも、着火した覚えはないんですが…?
――って!
蔑む…? はあ!? 何だよそれはッ!?
「ちょっ、待てよ! そんな事、オレはひとことも言っていないだろ…!」
思わぬ反応に呆気にとられたのも一瞬、次の瞬間には見下ろされている事が我慢ならず、オレもまた音を鳴らして椅子から腰を上げる。
「オレは一度として、彼をそんな風に見た事はない。寧ろ、それはアンタじゃないのかよ。兄貴だか何だか知らないが、過剰に反応するアンタこそ、アイツの事を下に見ているんだろう。根性がひん曲がっているから、人の心配をそんな風に捉えるんだ!」
「何だと?」
「オレはレミィをちゃんと、一人前には届かずとも同じ男として対応しているつもりだ。だけど、アンタのそれは庇護という名の拘束じゃないのか? 精神的にどうであれ、いい歳した男なんだ。食事も、仕事も、交友関係も、何でも。自分で決める事であって、兄が口を出すような話じゃないはずだ。アンタこそ、弟を馬鹿にしてンじゃないのかよ!」
オレがそう言った瞬間、虚を付かれたように目を見開いた男の顔は、意外にも。
思っていた以上に、繊細に見えた。
2010/08/26