君を呼ぶ世界 173
果たして何度繰り返せば、オレ達は進歩するのだろう。
互いに相手が悪いと思っているのがわかる状況で、「オレも悪いが、お前の方が悪い」というのは、どんぐりの背比べの五十歩百歩であり、言うだけマヌケだ。何より、周りから見ればどっちもどっちなので、「お前らアホだろ」と一纏めにされて呆れられたら終わりな話だ。
そう、だから、オレだって本当に。
毎度毎度、子供が突然逆ギレするような遣り合いへと転がるのは避けたいと思っている。進展のない喧嘩は無駄だとわかっている。
なので。
それを指摘されれば、甘んじて受けるのが当然だと思う。アイツが馬鹿だと言うのなら、確かにオレもまた馬鹿だと言える。そこに反論の余地はない。
それでも、だ。そう頭ではわかっていても、我慢できない場合があるのもまた仕方ないだろう。
罵ったほどでもないけれど、一国の王様に向けるものとしてはすごく不適切な発言をしたオレを放置する形で。意外なことにも、ハム公と血が繋がっているのも頷けるような表情を見せた男が、忙しいらしい王様稼業へと戻った――のは、まあ、全然いいのだけれど。
あの男と話そうとすると、結局いつもこのパターンなんだよな…と。価値観の食い違いによるものではなく、向けられた思わぬ表情に消化不良を覚えるオレを相手に、奇人が何度もオレがバカだというような事を言って、これみよがしに溜息を吐いたりしてくれるものだから。
いい加減にしてくれと、オレの我慢も流石に限界が来たってものだ。
「…確かにオレも悪いけど、アンタだってボロクソに言っていたじゃないかよ」
自分の事を棚に上げて、オレばかり責めるなと。
理不尽に近い嫌味が、若干、罪悪を覚える男の表情なんてものを見てしまったものだから余計に腹立たしくて。
オレがバカなのは確かであり、甘受するべきものであるとわかりつつも。ついつい、王がキレた一因は絶対、アンタがレミィを詰ったからだと。アンタに直接反論できない分、オレへの中りが強かったんじゃないかと、噛みついてしまった。
「アナタが棘のある事を言ったから、オレの心配も哀れみだという風に王サマが解釈したンでしょ」
ある意味、とばっちりでしかないと。なのになんで、オレが両方から責められるんだと。
やってられないぜと嘆いてみせれば。
「なにを言う。アレはアレでいいンじゃよ」
奇人があっさりと、鼻で笑う事さえなく、一瞬でオレのそれを蹴散らしてくれた。
「……いや、全然良くないでしょ」
何がどういいのか、ひとつも見えない。少なくとも、兄であるあの男は、奇人の言葉を喜んで聞いていた訳ではない。忌々しく思っていたに違いない。
なのに。その自信は一体どこから来るのか。恐ろしい男だ。
王さまに対してオレは、価値観でも意見でも、その食い違いにむかっ腹がたってしまうが。
奇人の場合のそれは、畏怖を呼ぶ。ドン引きだ。積極的に立ち向かいたくない。
「問題があるのか?」
「……オレには、誹謗中傷にしか聞こえませんでしたけど」
それでも。向けられた嫌味が頭に残っていて、嫌だからとて素直に引くのは悔しくて。
反撃というか、言い逃げ宜しくボソリとそんな事を言ってしまう。
オレのそんな小さな抵抗を耳聡く捉えた奇人が、「レミィ自身を批難はしていないんじゃがのォ」と、眉を下げた。
けれど、その舌の根も乾かないうちに。今度は。
「まあ、あのボウズの弱さは、頂けないと思っておるのは本当じゃがな」
「…弱いって、どこが」
「あの体型を見れば、自己抑制が弱いのはわかるじゃろう。普段は気弱なほどに大人しいが、ほんの些細なことでキレることがある。それも、精神力が人より弱いからじゃろうのォ」
「は? キレるって…?」
「ソナタや王のように怒りだすといったものではなく、正しく人が変わったように暴れる。アヤツを気に入っとる様じゃが、そう言う訳じゃとて、ソナタも気を付けねばのぅ」
……いやいや、気を付けろって…そんなこと、言われても…。
そう言えば、ラナックもハム公は癇癪持ちだとか何だとか言っていたかと思い出しながら。その原因がストレスであるのならば、ハム公にとって今の職はかなりの負担なんだなと改めて考え、こっちが辛くなってくる。
奇人がしていた指摘じゃないが、本当にどうして、あの兄は弟にそんな役割を与えているのだろう。弟の性格を考えてやれというものだ。
王様にものすごく怒られたが、性懲りもなく。再度、可哀想になぁと思いを馳せるオレの前で、飽きもせずに奇人が何だかんだとハム公の問題点をあげつらう。
いつでもビクビクしているのは、付け込んでくれと言っているようなものだとか。勤めあげる力量がないのなら、自ら辞めるべきだとか。果ては、いくら食べても腹が満たされないなんて動物以下だとか。本気で彼をその立場から降ろしたいような言葉を続け、王さまを送り戻って来たジフさんに窘められている。
何をしたいんだ、この男……本当に、訳がわからない。
言葉だけ聞けば、その立場を嫉んでいるのは他の誰でもなく、まるで奇人のようだ。ハム公が、優秀だろうが無能だろうが、太っていようが痩せていようが、王宮暮らしをしているわけでもない奇人には微塵も関係ないだろうに。
……それにしても。
「なあ、その、満腹感が得られないっていうのは、病気とかじゃないの?」
「病気じゃと?」
「ストレスなのは間違いないでしょ。レミィばかり責めるのは違う気がする」
「心的要因があるのは確かじゃが、意思が強ければ問題にはならぬ事じゃろう。たとえ病気でも、周囲が認めねば同じ事じゃよ」
残念じゃが、重要なのはあのボウズの気持ちじゃない、と。
奇人がふと漏らしたその言葉に、オレは奇人が攻撃しているのはハム公自身じゃないのかもしれないと気付く。
そう言えば、確かに。他人に遠慮することがない人種であるのに、ハム公自身には向けていなかった。退室してからの発言だ。アレは王への攻撃であったのは間違いないのだろう。
ああ、だからこそ。あの男もそれを甘んじて受けていたのかと。だけど、我慢できなくなり、オレの一言に噛み付いたのかと。やっぱりとばっちりを食っただけのような感じに、オレは溜息を吐く。
よく見えない、わからないことばかりで、何が何やらだ。
神子のことも召喚のことも、フィナさんのこともリエムのことも、奇人とその母親のことも。ここに来て発生した、ハム公と王さまのこともそうだが。
オレの手には、全てが余る。
精神的に疲労困憊な自分自身を不憫にさえ思い始めた、丁度その時。
誰かがやって来た気配に視線を動かせば、出入り口のところでジフさんが話をしていて。終わって振り返ったかと思うと、オレに迎えが来た事を告げた。
夜中に人の部屋へ侵入してオレを連れ出し、連れ回して好き勝手をしてくれた奇人が、席を立ったオレをあっさりと送り出す。
もう用はないと言った様なふてぶてしい態度ではないが、まるでオレがここに居た事に自分は関与していないかのようなそれであり、少し何か言ってやりたい気持ちが生まれたが。余計な事を言ってまた絡まれるのも何なので、「またのォ〜」と伸びきった挨拶に対し、適当に頷き早々に退却する。
食堂を出るとジフさんが待っていて、先を案内してくれた。奇人の相手はいいのかと少し思ったが、自分が優先された事に安心もしてしまう。
そう言えば、今更だけどと。廊下を進みながら、あの愛人の間では世話になりましたと礼を述べると、仕事ですからといわんとした短い返事がきた。
「いえ、とんでもございません」
「あの、別に答えにくかったらそれでいいんですけど……あの時、貴方もオレがまたこの城へ戻ってくる羽目になるのを知っていたんですか?」
嘘でも強がりでも何でもなく。あの時はラナックにムカついたが、今は別段そう言う気持ちはなく。当然、誰のどんな画策であっても、巻き込まれただけでしかないジフさんに思うところもないのだけれど。
久しぶりに顔を合わせて、言葉を交わせば。数日前の事である、あの別れ際のやり取りを思い出すのは当然で。
いってらっしゃいと言ったのは、つまりはそう言うことだったのかと問うてみれば。
ジフさんは、目を細めて小さく頭を下げた。綺麗に腰から折られ、背中が伸びたそれに、場違いにも職人魂みたいなものをオレは感じてしまう。う〜ん、これこそが執事なのか。
「えっと…じゃあ、まあ、話は変わって。ジフさんは、今もあそこに居て、ディアさんの世話をしているんですか?」
「常にという訳ではありませんが、そうなります」
「そっか…。…なんていうか、すごく大変そうだな。お疲れ様です」
「いえ、お部屋で過ごされている事は少ないので、疲れるほど仕えさせて頂いている訳ではございません」
「へぇ、そうなんだ」
奇人め。やはり、ウロウロしているんだなと。カモフラージュだとか、問題人物だとかで、あの部屋にすっ込んでいる予定はどうなったんだと。
半ば予想していたが、改めて、オレが思っている以上に飛び回っているらしい人物に、何度目になるのか呆れ果てる。
しかし、そんなオレを察したのか。
「あの方の基本は、惜しみなく周囲へ向けるものとは掛け離れています」
「……え? …誰が?」
「だからこそ、常に笑う事が出来るのでしょう」
突然の意味深な発言に、一体誰の事だかわからなかったが。
問い返したオレにそう言ったジフさんが示したのは、話題を変えたわけではなく、奇人であった。
だが、主語がわかっても、言われた事が上手く理解出来ない。
もう一度聞き返そうとしたところで、先に声を掛けられ促される方へ顔を向けると、そこにはキックスが居た。
「キックス!」
うおー、こんなところまで迎えに来て貰ってごめんなさい、だ。いや、その前に、勝手に部屋を抜け出してスミマセン、だ。きっと今朝、訪ねてみればオレはなく、ベッドはもぬけの殻で驚いた事だろう。
その申し訳なさに、オレは数歩の距離を駆け足で縮め、向き合った青年に頭を下げる。
「ゴメンな、こんな事になって。本当にゴメン!」
「いえ、そんな…謝られるような事はありません」
「いやいやいや、心配かけたし、いま現に面倒かけているし。本当に悪かった」
しつこく謝罪を繰り返すと、キックスはちょっと引きぎみになった。逆に鬱陶しいという話だろう。
だけど、オレとしては本当に、なんて言うか。キックスの姿に安心し、癒される面もあって。短時間で色々あった疲れから、目の前の青年が救いに思えるのだ。何度でも謝りたいし、感謝したい。
「迎えに来てくれてありがとう」
「戻りましょうか」
苦笑交じりだが、柔らかい笑みで頷いたキックスがオレをそう促した。そして。
一段落つくのを待っていたのだろうジフさんをチラリと見て。
挨拶でもするのかと思いきや、何故かその隣に肩を並べて立ち、オレと向かい合う。
「メイさま」
「…はい?」
え?ナニごと?と。首を傾げかけたところでジフさんに呼ばれ、疑問符交じりで返事をすると。
「お伝えするのが遅くなりましたが。私の息子、キックスです」
「…………へッ?」
「父です」
「……。……ぇえッ!?」
あ。そういやジフさん、前は違ったのに、オレのこと名前で呼んでいるなと。
今更に思っていた事が、二人の紹介で、見事にぶっ飛んだ。
こんなところにも、血の繋がりがあったとは…!
こうなってくると。
オレが来訪者だって言うのは、インパクトに欠ける事実なような気がする。
2010/09/03