君を呼ぶ世界 177
そりゃまあ、王様かもしれないけれど。
所詮は、自分と同年代の男だ。そう考えれば、酒に酔ってフラフラするのなんて特別なことではない。
服を脱いで騒ぐだとか、キス魔になるとだか、暴力行為に走るだとかであっても。
鬱陶しくはあろうとも、酔ってのそれなら仕方がないなと、多少は許容できるものだろう。そんな年齢だ。
二十歳を超えているんだからとか、社会人なんだからとか。許されてはいけない理由は沢山あっても、やっぱり、バカだアホだのひと言で、呆れられてお咎めなしな事態になるのが普通だ。そりゃあ、飲んで運転して事故まで起こしたとかならば、話は全然別だけど。
そういう、逸脱したのはさておいて。実際の話、オレの周りにだって、そういうバカな友人は何人かいたし。
かくいうオレも、羽目を外し過ぎた酔い方をした事は何度もある。
そう。この世界へ飛ばされた時のことをまるで覚えていないオレは。はっきり言って、他人の酔い方にケチを付ける資格は微塵もないのだ。
あの時も。飲みすぎていなければ、世界が変わるその瞬間を、流石に気付いていただろう。あり得ない事態の中、あり得ない状態であったのは、そう遠くはない話であって。落ち着いてみても思い出せないほど正体を失くしていた自分に呆れ果てるなかりだ。
友人の結婚式で気持ちのいい酒を飲み過ごし、気付いたら異世界だったというのは。100パーセントに近い割合で、不可抗力でありオレに非は無いのだとしても、後悔は付きまとうというものだ。
普段はそんな風になるまで飲むことはなく、どちらかと言えば酒癖の悪い友人の介抱役であることが多いくらいで。酔ったからこそ異世界に引きずり込まれたわけではないのだろうが、情けない。しっかりしていても召喚などというものを防ぐ術はなかったのだろうが、悔しさが募る。
なので、反省して――というか。痛い目を見ての教訓として。
この世界に来てからは、不安や絶望に苛まれようとも、酒に逃げる事はしなかった。そもそも、その気にもならなかった。オヤジたちとちょっと飲んだくらいで、酔いさえしない程度だ。
酒のせいで召喚されたわけではなく、自分でもそこまでだとは思っていないけれど。
存外、オレの中ではしっかりと傷になり、トラウマとして埋め込まれているらしい。
きっと、元の世界に戻っても。オレは羽目を外して酒をガブ飲みする事なんて、もうないだろう。
けれど、この世界に来るまではそんな気は一切なかったので。いま現在でのオレの心情は兎も角。酒に呑まれた相手に対する嫌悪は、当然ながら浮かばない。
なので。
飲みすぎての酩酊か、酔いを冷ますという意思を持ってかは知らないが。真夜中にひとりでとはいえ、庭をうろついているだなんて言うのは、二十台半ばの男ならば失態の内には入りもしない、ありふれた話だ。王様としてだとか、今までの接触で得たこの男の普段の憎たらしさなどからは、最悪だ最低だとなるけれど。
実際は、別によくよく考えなくとも、こんなものかと思う範囲の出来事だ。大学の同期になんて、ひとり部屋で酒を飲んでいて、警察沙汰を引き起こした事があるくらいであり。そいつの反省は三日と続かず、後に一緒だった飲み会で盛大な被害を被った事のあるオレとしては、散歩など可愛いものだとさえ思える。
王様だって、酔っ払うさ。人間だもの。うん。
「……っつーことで、だ。ギブだ、ギブ!」
この程度の事なんて、どうって事はないだろうと。
王がこんなところに居るのは駄目だろう。つーか、オレが嫌なので。何とか軌道修正を図るべく格闘するオレを、じっと観察するばかりだったトラ公に。オレは、ぶつぶつと考えていた思いを採用することにして、敗北を宣言する。
何とかしてやると言ったが、何とも出来ない…というか。良く考えれば、何にもする必要はないんじゃないか?と。
王様本人が動きたくなさそうだし。ここは偉い人の意思を尊重しておこうぜ、なあ?と。
そもそも、オレが出来ることには限界があるし。オレがしてやる事でもないし!と。
「っで。それがダメなら、もう暫くなら見ておいてやるからさぁ。お前が誰かを呼んで来い」
誠意に見合うだけの努力をした自負があるので、ヤケ気味を自覚しつつも、オレは天下の聖獣さまに強気に言い放つ。
だってねぇ、オレは疲れたんですよ。開き直らにゃァ、やってられませんよってモノだ。
マジで疲れましたと両手を軽く挙げ降参ポーズを取ると、横で動いたことでバランスが崩れたのか、苦労の末に身体を起こさせ木の幹に凭れかけさせていた男の上半身がズルリと傾いてきた。
「ぅ、おっとッ」
慌てて支え直しながら、今晩何度目になるかわからない溜息をオレは落とす。
「……それにしても、暢気すぎだなオイ」
一言二言喋り、ブレスレットを引き千切ってくれてからは。ゲロって窒息死されてはたまらないので何とか起こそうと頑張るオレに微塵も協力せず、時たま覚醒するのかと思わせる唸りを上げて期待だけさせる程度で、国王陛下サマサマは夢の中にどっぷり沈み込んだままだ。
もしオレがこの男の暗殺を請け負っていたならば、あっさりと任務は成功するだろう。きっと、ちょろい。
王宮の警護からして思っていたが。本当に、ここの危機管理はレベルが低い。王からして、危機感ゼロだ。
幾人もの護衛を従えているのだろうに、なんてお粗末なんだろうかと。あの側近は見掛け倒しかよ?と。オレは男に左半身を貸しながら、舌打ちを落とす。
そんな奴に捕まり、良いようにされた悔しさをつい思い出してしまう。
だけど、今ここでその敵を取る訳にもいかず。もう一度溜息を落とし、思考を切り替えるに努めて。
「あー、別に、呼びに行くの、逆でもいいけど…?」
本当に、面倒なことになったものだ。
酔っ払い相手に大人げない事も出来ないし、トラ公の目もあるので。何とか帰って貰おうと頑張ったのだが、その努力は報われず。少しの差だが、自分よりも大きい男の身体を引き起こすのは汗がにじむ程の作業で。
思うように動いてくれない男の身体を何度も叩いているうちに、心の底からもう本気で、どうでも良くなって。
この男が風邪をひこうが、ゲロを喉に詰まらせようが。王としての風格を問われようが。
オレには関係ない。放っておこう。
第一、こんなのは良くあることで、騒ぐほどの事でもないじゃないか。王様なのだしと心配してやる義理もない。もともと酒癖が悪いのならば、慣れっこだろう。
そんな風に、いい訳というか、言い聞かせるようにして。とりあえず、善意の気持ちで座らせてから、酔っ払いの相手はやっぱり出来ませんと、オレは見張るように座り続けているトラ公に前言撤回を向けたのだが。
それでも、じっと見つめたまま動かない相手に妥協案として、乗りかかった船で仕方がないと諦め、もう少しならば付き合ってやるよと言ってやったのに。
で
やっぱり全然動こうとしてくれない相手に気付き、疲れ果てているからか散漫する思考を何とか元へと戻して、強気発言を収めて、丁寧に言葉を重ねてみる。
「……あのなぁ。そもそもオレが悪いんじゃないんだからな?」
怒るなよ、と。
睨んでいる訳ではないと思うのだが、見据えるように視線を向けたまま、どうしても動きたくないらしいトラ公に。オレの強気は一気に萎み、情けない言い訳が唇から零れる。
でも、でも!ホントの事だからな…!
「…お前だってさ、ご主人様が心配なんだろう? だから、ここに居るんだろう。オレだって、放置して戻ったならば夢見が悪いと思うし、こいつには大人しく帰って欲しいと思っているんだよ、マジで」
だが、オレの体力では、グデングデンな男を運べないし。お前が引っ張って行くのはもっとムリだし。かといって、起きるのを待つ時刻でもないし。
そうなれば、第三者の手が必要になってくるってものだろう。
確かに、オレがその役目を果たしてもいいが。きっと、どこの誰かわからないようなオレが行くよりも、聖獣さまが行く方が話が早いだろうし、無難に事が進むんじゃないか?
「寝ている誰かを起こして連れて来いとまでは言わないからさ。王城なら、夜勤の兵士も沢山いるだろう? そう言うヤツを一人二人引っ張って来る事は出来るよな? 行ってくれないか?」
言葉がわかるのならば、オレが言っているのも正論だと理解出来るよな?
頼むよ、と。お前が行ってくれないととても困るんだと下手に出て、何度も何度も頼み倒すと。
漸く、トラ公がのっそりと腰を上げた。
オレを見たまま立ち上がり、ゆっくりと回転する。白い身体が、暗闇の中で揺れる。
流血沙汰を引き起こしかけたヤツには思えない、事態を把握していないようなゆったりとした動きで、マイペースに夜の庭を去っていくトラ公の姿を見送りながら。オレは、漸くどうにかなりそうな予感にホッと息を吐き、早くも達成感を覚え、未だに滲む汗を手の甲で拭う。
とても大きな仕事を終えた気分だ。頑張ったな、オレ……って、まだ問題児はここに居るのだけれど。
それでも、これでトラ公が戻って来れば、全てが解決だ。王様は帰ってくれるだろうし、オレも帰れる。
だから。体重は木に預けてくれているのでそう重くはないが、折角起こした身体が転がらないように支えているという鬱陶しい態勢で、オレはトラ公が戻って来るのを大人しく待つつもりでいたのだけれど。
「…………オレの方が風邪ひくっつーんだよ…」
あの遅い歩みでも、いい加減、誰かのところへは着いただろうと思う頃。
オレはといえば。掻いた汗が夜気に冷やされて、寒気を覚えはじめ。同時に、半身に寄りかかる男の熱が感じられるようになり、何とも言えない気分になって。
大人しくなどしていられなくなり、やっぱり放り出して帰ってやろうかと真剣に考えてしまう。戻ってきたときオレが居なければ、トラ公は何か仕掛けてくるだろうか…?
しんと静まり返った、緑が茂る庭で。
ひとりで夜空を見上げ、傍らに酔っ払いとはいえ寝息を零す人がいるというのは。
こんな風に思うのは滑稽だけれど、なんだか泣けてくるような気にもなってしまい。
それが、嬉しいからなのか、虚しいからなのか、可笑しいからなのか、切ないからなのか、良くわからないというのに。夢想ばかりで放置の決心はつけられず、悶々とした思いを抱えてオレは身体を丸める。
最後に見た生まれ育った街はアルコールに濁っていたなとか、本物の酔っ払いなんてもっと性質が悪いもんだとか。森の野宿に比べれば、穏やかな夜だとか。夜空の明るさが違う気がするだとか。
傍らの男のせいで思い出した記憶にふけったり、取り留めのない事を考えたりしていただけなのに。そんな他愛もない事が、何故かオレの胸を刺激して。頭ではわからないまま、涙腺が緩み掛けたのに気付き慌てて眼を閉じる。
真夜中の暴君の奇行を嘆く以外、ここで泣くなんて有り得ないだろうに。何をやっているんだオレ…。
「……帰りてぇ」
本気の本気で、数十分前にのことを。気になるからと言って部屋を飛び出した自分の行動を、心の底から後悔した。
もう、マジでこの男などどうでもいいから帰って寝たい。
睨んでもいいし、無反応でもいいし。この際、王様に噛み付いてもいいから。
トラ公、早く帰って来い…!
2010/12/19