君を呼ぶ世界 178


 言っておくが、オレはトラ公を軽くあしらっているわけじゃない。
 当然の指導をしているだけだから。

 願いも空しく、トラ公が帰ってきそうな気配はない。
 低い位置から庭を眺めつつ、寂しいよなァと改めて思う。真夜中にこんなところで、実質一人なのも。苦手なヤツの面倒を見なければならないのも。漸く動いてくれたと思ったトラ公が戻ってこないのと同様に、なんだか切なく胸に来る。
 だが。でも。
 しんみりするのも時には悪くないが、今は嫌だ。つか、ダメだろう。遠慮する。行き着く底がなく、落ちるがままになりそうだ。
 同じ落ちるなら、さっさと戻ってベッドへ潜り込み、何も考えずに眠り込みたい。
 ホント、マジ疲れ果てているよ…と。だから何だってこんなことになってンだよ、と。逆ギレのようにオレは胸中で悪態を吐き、大きい溜息を抱えた膝の間に落とす。
 この頃よく感じるように思うが。自覚している以上のストレスが自分の中にある気がする。疲労が大きすぎて、正確に己の鬱屈を把握できていないみたいだ。
 だからこそ、癒しが欲しいと切に願ってしまうのだけれど。
 けれど、リエムは居ないし、ハム公とも上手く会えないし。街へ降りてもいいのかわからないし、奇人は絡んでくるし。
 この男は相変わらず、敵愾心を見せつけてくれるし。
 この世界に来た当初とは違う気鬱が溜まる一方だ。
 始めのころは必死で、それこそ己の鬱さえも構う余裕はなく、無我夢中に、思うがままにやるしかなかったが。多少はこの世界に、生活に慣れて。そこへ、色々難しい事を言われて、目の前に置かれたりして。異世界という未知の場所へ押し込まれた恐怖とは違う、リアルにオレ個人の存在意義と直面するような事態までやってきたりして。
 漠然としていたものが、どんどん形になり現実を持って迫ってきているようなものだ。
 楽しいと思う時も確かにあるけれど、ストレスが溜まって当然の環境であるのも間違いない、と。そんな自分で自分を哀れに思う一方。放り込まれた世界でうまく処理すべくもがく自分に、多少の拒絶もどこかで感じているのかもしれない。
 ここに来て、自分自身の置き所が、少し揺らいでいるようだ。色んなことを知って、どの立場を一番に主張すればいいのか、時に見失っているように思う。
 こういう時こそ、頼りになるリエムが必要なのに。相談でも、グチでも、不安でも、何でも。一言誰かに言えば、自分で処理出来るようになる事だってあるのに。
 あの男は、どこで何をしているのだろう。
「……なあ、オイ」
 第一。仕事とはいえ、自虐発言後にパタリと消えたらオレがどう感じるか。彼はわかっているんだろうか。
 完璧な男に思えて抜けている部分があるので、これもそのひとつなのだろうけど。やってくれるもんだぜ、全く。
「リエムが戻ってきたら、会わせろよ…?」
 振り向いても頭ばかりで顔は見えないので、寝ているのを承知で、オレは体育座りで顎を突き出したような姿勢のまま、隣の男に語りかける。
「そもそも、おかしいから。友人だか部下だかなんだか知らないが、アンタが制限する権利はないだろ。王様だからって、個人を侵すのはダメだろう。っつーか、リエムのことにだけじゃないからな。レミィの事にしたって、おかしいよ。アンタ、自覚しているか?」
 始めは、頼むからなと、何となく手持無沙汰のように、持て余す時間を使って言っていたのだけれど。
 その内に、浅い眠りだろう男を洗脳出来ないかと思い、本気で言い含めるような言葉へ変わっていて。
「大事なのはわかるさ、オレだって、家族は大事だ。友達にだって、ちょっとした知り合いにだって、出来るならば、自分が出来る限りの事をしたいと思うさ。そんなのは当然だろう。けど、アンタのそれは、思いやりじゃなく、エゴだよエゴ。片方を大事にするために、片方を踏み付けていいわけじゃないっつーの」
 っで、気付けば、どんどんズレていて。リエムに会わせろ話が、レミィのことへ移り、王自身へのダメだしになっていた。
「オレを大事にしろだなんて、今更言わないけどさ。ちょっと、アンタ、王様として考えたらどうなんだよ? ラナックのオレ様ナニ様ラナック様とは訳が違うんだからさ。じゃないと、その性格じゃぁ、絶対そのうち痛い目見るからな。どんなにクソ面白くない事態だからっつって、違う世界から何も知らぬまま巻き込まれただけのヤツを蔑むなんて最低だ。ホント、程度が知れるっつーんだよ。呼び出した本人ですら、しなかっただろう雑な対応しやがって」
 マジ、反省しろよ。お願いしますよ、と。
 この前約束したはずじゃないかと、ぶつぶつ言いながら、オレは指先で千切れた紐を弄ぶ。
 上手くやろうと何度も思い、そのチャンスもあるのに、結局オレとこの男は未だギクシャクした関係だ。リエムの言葉が正しければ、他人の気持ちをわからない男ではなく、配慮できる男であるらしい。だが、それ故に、オレへの態度が硬いのだとかなんだとか。ふざけた事に、わざと嫌われようとしているような事をリエムは言っていたが。
 でも、それはやっぱり、オレ自身には与り知らぬ事であり、それこそ王様の勝手だ。何より、リエムがどれだけ力説しようと、どう見てもオレへの態度は、演技だとかではなく本気で嫌悪しているようなものとしか思えず、一つ一つは想像はできても、理解のしようもない。
 それでもだ。
 それでも、この男もまた一人で生きているわけではなく。あのラナックさえも気遣っているようなヤツだとか、出来たリエムが惚れこんでいる相手んだとか、一人の神官が命を懸けた王だとか。
 オレには、それほどの男には思えないけれど、実際にはそうやって動いている人がいるのを考えると。
 オレの見えているのが全てではないのだと、認めないわけもいかなくて。
 はっきり言えば。不満以上に、複雑なのだ。いがみ合いたい訳ではないが、今更仲良くしたいわけでもないのに。オレだけが、なんだか損だかそんをしているような気分になる。
 そして、そう言う気分を覚えているのが一番に腹立たしくて。だったら、どうにかならないかと考えてしまうのだから、オレもなかなかのお人好しだ。
「……なあ、なんで、アンタは――」
 オレを眼の敵のように扱うんだよ、と。グチよりも、悲しみが強いような言葉を吐きかけ、けれども寸前で飲み込む。
 流石に、相手は寝ているとはいえ、口にするのは情けない。
 なにより、もしも答えが返ったとしても、オレにはうまく処理できないだろう。改善を望んでいるが、その先はまだ見えてはいないのが正直なところだ。
「……オレだって、アンタが何もわからない奴なんだなんて、思ってないさ」
 ミサンガを指に巻きつけ、解き、また巻きつけてと遊びながら、この世界で出会った人達を思い、元の世界の友を思う。
 オレが誰かを思うように、その誰かと付き合うように、この男もまた他者との繋がりをきちんと持っているのだ。無能だなんて思っていない。腹が立つから最低だと言ってしまうが、救いようのない悪だとまで思っている訳ではない。愚かなだけであれば王ではないだろうし、リエム達のような友も持っていないはずだ。
 レミィの事だってそうだ。オレへの態度は行き過ぎているが、兄として弟を気に掛けているのはわかっている。でなければ、レミィも慕わないだろう。厄介な人物を大事な弟に近づけたくないと、そう思うのは自由だ。
 ただ。
 だからこそ、余計にわからないのだ。
「思ってないから、余計に困るんだけどさ……ホント、どうにかならないのかよ…」
 結局、何を考えても溜息に行き着くようで。
 先日、王様には家族が居るのか、居るなら痛みがわかる奴だなとか、リエムに聞いたが。その時は、貰った答えに、期待を抱ける気がしたが。
 非道なヤツではないのだとオレ自身が確信を持つほどに、それが薄れる。全てをわかって嫌われているのならば、改善策がない事になる。
 痛みがわかったとて、オレの痛みをわかってくれなければ、あまり意味がない。わかろうとする気がないどころか、わかっていて考慮しない相手に、言ったいどうしろという。
 自分を気遣ってくれもしない相手を、どう処理すればいいのか。オレだって、わからない。
 そう。この男との間に一番必要なのは、そこだ。
 今の、オレには意味がわかない程のこの最悪な関係の、落ち着きどころはどこなのかだ。
 言い合いをしても、無視をしても、何をしても。距離を測れないから気持ちが悪い。
 あの時も言ったが、どんなに嫌いだろうと、最低限の扱いをされねば。たぶん、オレはずっと、この男の言動に対して噛み付くだろう。だが、それをしたからといって得るものなどなく、消化不良のままだ。割り切って上手くあしらえる様になりそうもない。
 こんな事ならば、いっその事。一切オレの眼に入らないようにしてくれればいいのに、こうして接触を持ってしまうわけだし。
 本当に、この不毛な状態をどうにかして欲しい。
「はァァー…。……、――ぅお!?」
 いつの間にか落ち込んだように俯き、ミサンガを弄っていた指で足元の土をつまんでいて。汚れた指先を擦り合わせながら、何気なく顔を上げてみれば。
 思いのほか近い距離に白い影が浮かんでいて、心底驚き身体をびくつかせたのだが。
 男が乗る半身が重くて飛び上がるまでもいかず。子供のように跳ねた心臓を服の上から両手で押さえたところで、ゆらりと動いたそれがトラ公であるのを理解し、一瞬止めてしまった息を吐く。
「……ビックリした、驚かせるなよ……。なんだ…?」
 相手は猛獣でもあるのだから、その正体に安心するのもどうかと思うが。ともあれ、他の変なものではなかった安心からボヤき、目の前に来たトラ公が口に咥えていた物を突き出してきたのに眉間を寄せる。
 無理やり押し付けられるようになったので、仕方なく手にしてみれば。それは結構重い布だった。
「……人は?」
 何故にこんなものを咥えているのか意味がわからずも、それよりも任務はどうしたのかと問いかければ、頭を伏せたトラ公がオレの手の中のそれを鼻でつく。
 促しているのだと解釈し広げてみれば、ただの厚い布であり。コレがなんだと疑問符を浮かべていると、トラ公が自ら端を咥えたまま王の身体を回り込んだ。
 足元だけを上手く覆ったそれを暫し眺め、毛布代わりかと納得する。
「…………あぁ、なるほど…寒いからか」
 主人の体調を心配したわけだ。
 が。
 こんなもの、オレは頼んじゃいないっていうんだよっ!!
「……わからない訳じゃないけどな、聖獣さんよォ。誰かを呼んできてくれたら、オールオッケイなのよ。わかる?」
 こいつ、誰も呼んでいないんだなと。呼んでいたら、こいつが咥えてくる必要はないもんなと。一応、頑張るトラ公に手を貸し、王様に布をかけてやりながら、オレは諭すように語り掛ける。
 何故に、明朝の寒さに思い当たるのに、助っ人の必要性に気付かない。オレの話は効かない気か? それとも、オレにこれ以上のものを期待しているのか?
 いやいやいや、期待されようとも無理だ。オレはコイツを運ばないぞ! 勿論、このまま夜明けまで付き合う気もさらさらないからな!!
「いいか、おい? もう一度だけチャンスをやる。もう少しだけ待ってやるから、誰かを呼んで来い。じゃなきゃ、お前のおかげで防寒対策はバッチリになったし、このままコイツを放置してオレは帰るぞ。いいな?」
 最後のチャンスだと、そんな風に寛大な対応をしてやったのだけれど。
 トラ公は、オレの隣に腰を下ろす。まるで寄りかかるように、若干斜めの格好で。
「……ナニくつろいでんだよ…」
 やっぱりオレの言うことは聞かないつもりなんだな!と。
 何故にコイツらに挟まれなきゃならねーんだよ!と。
 流石にムカついたので、片腕を上げ、触れるトラ公の体を押しやってやる。
「毛布一枚持ってきて、満足してんじゃねぇーよ。ほら、行けっての!」
 オレが風邪をひいたらお前を恨んでやると文句を垂れながら、半身で王様の重みを支えつつ、なんとかトラ公を動かしてやろうとするが。
 無視しているのではなく、ジッとオレを見ているのに。協力姿勢は微塵もみせてこない。
 また噛まれるんじゃないかとか、流石にこの距離だと獣臭いだとか。思ったことも躊躇う要素にはならず、本気で力を込めて奮闘していた、その時。
 不意に、身体への重みが増したと思ったら、次の瞬間には軽くなっていて。
「行く必要はない」
 案外しっかりとした声で。
「戻る」
 漸くきちんと覚醒したらしい男が、誰に言っているのか愛想なくそんな宣言をした。

 ……いや、もう、何て言いますか。
 ツッコミを入れる気にもなりません…。


2011/02/13
177 君を呼ぶ世界 179