君を呼ぶ世界 180
真正面からぶつかってもダメならば。
横から挑むのも、ひとつの手かもしれない。
神子捜索の事で出来る協力をする代わり、帰る手がかりを探してもらう。
そう決まったからこそ、オレはここに来たのだ。ここに居るのだ。
ただ。
確かに、実際には、それは建前と言えるのかもしれない。
国家機密並みのオレを街中に放置できない故の方便だとか、その有無さえわからないような調べに期待は持てないだとか、言えばキリがないだろう程の思いはある。だから、そうするしかない状況だったからというのが一番正しく、純粋に交わした言葉だけを持って正当性を訴えるのは、若干オレだってどうかと思うくらいだ。それくらの空々しさもまた、確かにある。
でも、オレにはそんな、言い訳であったとしても、一蹴する余裕はなく。信じる…というか、信じようとするのが、オレに出来る事であり、唯一の先へ繋がる道だった。
だからきっと、過去をやり直したとしても。オレは結局なんだかんだと思っても、同じ選択をしてここに居るのだと思う。
いま、この時点での現状を、あの時の結果の全てとするのならば。
あれからの事を考えれば、こんなところに居ても意味がない!と、オレが愛想を尽かしても不思議ではない話で。この男が、まだ大人しく居るのかと驚いたりするのは、全くわからないわけじゃない。オレだって、自分のバカ正直さに泣きたくなるような気もしている。
けれど、やっぱり。尤もなものであったとしても。それは、第三者がやっていいツッコミであって、オレをここへ繋ぎ止めた張本人であるコイツがやっていいものではないはずだ。例えばそれは、リエムでも然りで。それこそ、奇人でも同じ。
マジで、フザケンナ、な話だ。
ふざけていないのなら、正真正銘コイツはアホだ。致命的な大マヌケだ。
それが一国の王であるとなれば、尚更だ。
――なんて。
そんな事が、ひとつ呼吸をする間に頭の中といわず胸の奥までかき回すように、オレの体中を駆け巡ったのだけど。
「…………」
視線を消した男の顔は、気まずげにも見えるような心許なさがあって、気が削がれたのか。いつものように爆発までには至らない。
変わりに、怒るまでにいかない熱を持て余し、その気持ち悪さを誤魔化すよう、男の傍らで座るトラ公に、「お前の主人だろう、どうにかしろよ、連れて帰れよ!」と心の中で八つ当たり気味に叫んでみるが。
それさえも、やってみれば空しいだけで直ぐに気が逸れる。睨みつけかけた視線を、あさっての方向へ飛ばす。
この男は、親でもなければ兄弟でも恋人でもなく。友人は愚か、知人にさえ入らないような相手であり、まして酔っ払いだ。素面の普段でさえひとの事を理解しないようなヤツに、ここで怒りをぶつけたところで、半分も聞いては貰えないだろう。
熱くなるだけ無駄だと、こんな男に噛み付いては自分もまた同じアホだと。頭を振って嫌な気配を振り払い、物覚えの悪い子供を諭すような気持ちを持って、オレは口を開く。
だって、なんだか、ここまでくれば。
実際に口を開いて怒るのはバカらしく、かと言って、放置するのは気に喰わず、一矢を報いたいのならば。
だったら、教えてやるしかないだろう?
たとえオレの心情が理解できなくても、無能ではないのだ、記憶する事は可能なはずだ。そこに賭けよう。
いや、酔いで記憶を失くすのなら、それでも構わない。とにかく、喧嘩腰にならず喋れるいま、言える事は言ってやろう。この男が大人しい事なんて、もう二度とないかもしれないのだから。
「あのな、いいか?」
覚悟というか、どこか使命感さえも滲むようなそれを胸に。自然とオレは離れた一歩を縮め、俯き加減の男の前に立つ。
仁王立ちのオレの影が、王様に重なる。
隣に神の獣を従えさせてはいるが、そんな威厳はまるでない。オレが見下ろすのは、ただの男だ。
その年齢にも満たないようにさえ感じるのは、オレが今、優位に立っているからだろうか。
「出て行かないのは何故かなんて、決まっているだろう。約束したからだ」
「…………」
「しかも、オレの記憶では、それはアンタとだ。確かに色々あったし、今も殆ど解決していない感じだから、心境としては穏やかじゃない部分はある。だけど、自分が決めた事だ。無理やり閉じ込められたわけじゃないんだから、逃げるわけがない話だろう」
疲れるようなことを聞いてくれるなよ、と。
アンタは一体、あの時のやり取りや約束をどう解釈していたんだよと。
頼むから、気力を殺ぐようなことを言わないでくれ、ちょっとは誠意を見せろよと。
言葉が返らないのをいい事に、オレは続けてボヤいてやる。
が、ボヤキ口調ながらも、気分は高揚気味だ。こんな風に上から偉そうに言うのは、案外気持ちがいい。
「オレの存在が厄介なのはわかっているさ。アンタがオレを嫌いなのもな。それこそ、神子捜索にしたって、オレが役立つなんてオレ自身これっぽっちも思っちゃいない。いまのような状態なら、街で働いていた方が有意義だったのは間違いないな。アンタの言うとおり、ここよりも確かな居場所があったのは本当だ」
だけどそれは、失くしたわけじゃないけれど、無いに等しくなったと。
女将さんに王城で勤めると話し、レーイさんがあの店で働き出した今、オレはあそこにはもう簡単に戻れないんだと。ここが居場所になっているのだと。
そういうのにちっとも気付いていないのだろう男への指摘は飲み込み、オレはちょっとの強がりと意地を加えて、口角を引き上げて笑ってやる。
ホント、バカな男だ。
自分だって、似たような経験をしたのだろうに。
「でも、さ。オレが今すべきことは、残念ながらそれじゃないのも真実だ」
安寧を求め、平穏に浸かっても、根本は何も変わらない。
元の世界へ戻りたいと思う気持ちを失くさない限り、家族や友人達を忘れない限り。確かに、男が言うように、日々の暮らしの中での穏やかさはこの世界にもあるのだろうけれど。あの街でも、どこでも、居場所があれば生きていく事はできるのだろうけれど。
それは、何の解決にもならない。
だから、ここに居るのは、何よりもオレ自身の意思だ。
誰かが嫌いだとかなんだとかの話で決まるものじゃない。
「言わせてもらえば。わからないのは、アンタにわかる気がないからだろう。オレは、いつだって答えを返し示しているつもりだ。アンタが理解する事を手抜きしているだけじゃないのか、しっかりしてくれよ」
「……お前は、俺が嫌いだろう」
「さっきも言ったな、ソレ」
「…………」
だから何だとにべもなく一蹴してやると、相手は言葉を詰まらせた。まだ言うかこの男…とうんざり仕掛けたが、オレの方はそれで溜飲が下がる。
けれど、当人は面白くないようで、眉を寄せた。
いや、面白くないというか、本気でわからなさ過ぎて、お手上げであり逆切れ気味なのかもしれない。子供の癇癪一歩手前と言ったところか。
そんな風に、無言の抵抗のように口を曲げた男の手が、傍らのトラ公の背に置かれた。
その動きに促されたように、お座り状態だったトラ公が、そのまま伏せをする。頭と前足が、オレの爪先に降りてくる。
「……噛み付くなよ」
反射的に屈んでしまったのは、ちょっぴりトラ公に同情したからだ。不機嫌な主人の機嫌取りとは、お前も色々大変だなと。その健気さを労いたくなったからだ。
それでも、今までの事もあるので一瞬躊躇い、上げた手を止めかけたが。小さな恐れを、懇願を口にする事と、たとえ噛まれても仕方がないかという諦めでもって消し去り、見つめられる中で手を伸ばす。
心配は必要ないくらいに、オレが触れてもトラ公は大人しかった。
オレは、目の前の白い獣の頭を撫で、柔らかい毛に手を埋めたまま、一層近くなった王様の視線を低い位置で捕らえる。
この男も獣同様、たまにならば触れてみても、牙を剥かないのかもしれない。
「アンタもさ、オレに噛み付くなよ」
「…………」
「オレは、この世界のルールはわからないし、階級社会とかにも馴染みがないから、つい意識の外へ追いやってしまってさ。知らないのをいい事に、国王陛下に対しての礼を欠きまくっているのだろうことはわかる。それについては、失礼なヤツだと怒られるのは納得するし、善処は図るさ。多少の礼儀は知っているつもりだし」
オレだって、ちょっとした苛立ちならば飲み込んで、最低限の節度は守ってやるくらいの事はできる。何より、今まではどうにかなったが、何も知らない奴がオレ達の喧嘩腰の遣り合いを見たら、いずれオレは取り押さえられてしまうだろう。王に対して行き過ぎているのは、わかっている。
そう。いつでもアレが許されるわけがないんだ、と。そう思ったところで、結果としては今までは正しく許されていたのだと改めて意識し、自分の無事が誰によるものなのかを思わず考えてしまう。
コイツのお陰とは口が裂けても言えないが。多大な影響をしているのは確かだ。面白くないけれど。
王が厄介者の始末を望めば、オレは一瞬で消されてもおかしくないわけで。それを思えば、怒る割には最後の一線は越えないこの男には、確かな分別があるのだと認められるような気もするけれど。
だけど、それだって。ちゃんと教えてくれなきゃわかんないようなものだ。つーか。オレよりも絶対、こいつの方が何を考えているかわからない人種だろう。
「オレは別に、何でもかんでも邪険にしているわけじゃない。教えてくれたら、出来ることはちゃんとするさ。でも、アンタは根本的に、オレが気に喰わないからと理不尽を突きつけてくるんだ。何故お前なんかがこの世界へ来たんだと、不要者と判断しての嫌悪を見せ付けてくるんだよ。一番オレの事情を知っているくせにと思うとさ、はっきり言って、アンタに対する態度なんてどうだって良くなるわけだよ。わかる?」
「……どういう意味だ」
「いや、別に意味も何も、単純に。嫌いっていうのは、根本がそこだって話。噛み付いてくるから、噛み付いちまうの」
「……」
「でも、正直。そういうのって、とっても面倒だよな? 少なくとも、オレはそういうのは嫌いだ。マイナス感情っていうのは、非常に疲れるだろ? 気に食わないヤツだろうが、何だろうが、子供じゃないのならば、表面上だけでも上手く付き合っていくのが基本だと思わないか? そう出来ないか?」
「……お前とて、俺の事が嫌いだと見せ付けているじゃないか」
「そりゃ、嫌いだからな。遣り返すのは当然だろ」
何も思わない相手に噛み付かれても、噛み付かない。ただの嫌な相手なら、無機質に徹する。けれど、我慢できない程に嫌なヤツが牙をむいてきたら。普通は、反撃するものだ。
だからこそ。
「お前から止めろと、オレは言っているんだよ」
だって、解決方法はそれしかないしと言い切ってみれば。表情が薄かった顔が、暗さの中でも判るほどに歪んだ。
引きつったように見える頬に、純粋な不満さが浮かぶ眼に。何故かオレは、少し楽しい気持ちになる。
そう、この男は感情の高ぶりをみせた時でなお、どこか醒めた目をしていた。
「でも、アンタが噛み付かないのなら。オレも、そんなにも怒んないから」
オレが反撃をやめたところで、コイツは攻撃をやめないだろう。ならば、何の意味もない。
けれど、逆にコイツが攻撃をやめれば、事態は変えられる。何故ならオレは、自分が新たに攻撃を開始しないだろう事がわかっているからだ。わざわざ、痛い目を見るのがわかっていて絡みにいく程も、オレは喧嘩好きではない。
やってもせいぜい、誰か相手に悪口を言うくらいだ。
「……俺が嫌いなんだろう」
「何回聞くんだよ、嫌いだって言っているだろう」
「……」
「でも、だから安心しろよ。これ以上は無いほどのものだから、これからは改善一直線だ」
「……ナニ? 何を言っている」
「何って、え? オレ達仲良くしようぜ、って会話をしているんじゃねえーの、これ?」
あ、自分でもちょっと笑えないジョークだったと思ったが、後戻りも出来ず。だったら、ボケとして逆に突き通してやろうと、驚く演技で首を傾げてみれば。
心底嫌そうな、でも見ようによっては困っているような顔で、王様はオレを見た。
闇の中で曖昧だからだろうか、それがとてもハム公に似ている気がして。オレは胸中で感心する。あ、兄弟だ…と改めて思う。
「…………やはりお前はわからない」
「そう? まあ、酔っ払いだからな、アンタ」
仕方が無いさと小さく肩を動かせば、今度はハム公には似合わない、鋭さも含んだ視線で射抜かれた。
だから。
噛み付くなって…。
2011/03/27