弱っちくて、ごめんなさい。

　真夜中に不審者を発見してみれば、反りが合わない王さまで。
　けれど、かと言って放置も出来ずに見に行けば、なんとなくズルズル付き合う羽目になり。
　意識が戻った男と話始めれば、いつもと違い調子が狂う。狂った中で進むそれに、自分でも良くわからなくなり、気付けばバカをしたり、失敗したり。
　まあ、少しは、上手くいったかな？と思えるところもあったけど。総じて、相互の意思疎通の悪さを再認識した感じだ。ただ、今までよりは充分に意義なる会話であったと思う。
　王としての外面はともかく、友人知人に対するものもともかく。オレに対して性格が捻じ曲がった面を見せ付けてくれていた男の、多少なりとも理解できるというか、わかってやってもいいようなところが見えたのは、多分きっと、これからも付き合っていくしかないのだろう相手であるのだから、良いことに間違いない。
　ムカツク面は多々あったが、思い起こせばそれまでの接触の時とは違い、オレに対する頭ごなしの否定は少なく、生理的な嫌悪までは抱かなかった。攻撃性が抑えられている男は、思った以上に普通だった。
　勿論、男が酔っていたというのは、外せない点であり。次に会った時も、同じように比較的スムーズに遣り合えるかどうかはわからない。普段まとっている壁が薄かったからこそ、何もかもが緩かったからこそ。オレの方も、いつもと捉え方が違ったのかもしれず。もしかしたらまた、顔を合わせればオレの全てを否定のような態度を取ってくれるのかもしれない。
　でも、だとしても。
　あんな風に、誰かの視点から伝わった知識ではなく、オレ自身の現実として。王さまである前の、不安定さを持つただの男の姿を目に出来たの、確かに意味があるものだった。良し悪しはまだわからないけれど、オレは知らないよりも知った分、少しあの男に近付いたのだろう。一歩にも満たない歩み寄りだけれど、無駄ではないはずだ。
　だから、そう。
　いつもならば、やりあった後に残るのは、あいつへの不満ばかりだけれど。昨夜のそれは、色々と問題はあれど、鬱屈したようなものはオレの中には残っていない。
　けれど、逆に。いつもならばない、後悔というか、己のしくじりが、胸の中でかさぶたのようにこびり付いている気がする。今までの方がよほど、口汚い事をたくさん言っていたというのに、たったひとつ応じられなかった答えが、オレの中で張り付いている。
　男の、言葉や態度、空気さえも今までと違うあれらに飲まれ、オレもどうかしていたのか。
　その人を恨んでまではいないと変わらず思っているのに、何故かあの男だからか、あの場だったからか、言葉が全く出てこなかった。
　喉元で張り付いたそれが剥がれ落ち、今になって腹の中で主張する。
「……ぅ、…ッつ」
　消化できないそれを抱えるよう、オレは両腕を腹へと回し、仰向けだった姿勢を横に転がす。
　動いたからか、空咳が出かけたが、喉の痛みに無理やり飲み込む。それでも、地味に痛い。
　ベッドの脇の小さなテーブルに置かれている水差しを眺めるが、今日一日で何度も喉を潤してきたので飽きてしまっており、手が伸びない。億劫だ。
　身体はそうダルくはなく、風邪までいかないのだろうが。ほぼ一日寝て過ごしてしまったお陰で、気分的に病人の一歩手前な感じだ。
　これじゃダメだよなと思いながら寝返りを打ち、またボンヤリと昨夜のことを考える。
　どうして、フィナさんを恨んでいないと言えなかったのか。自分でもわからない。
　他の奴らには偉そうなほどに力説したのに、一番言わねばならなかったのだろう相手に、何故…。
「……」
　いやいや、考えてもわからない。
　っつーか、頭が回っていない。
　良く考えれば、昨日もオレは、夜明け前から奇人に振り回された影響で、昼間から寝ていたのだったと。風邪気味以上に、二日続けて不規則な睡眠をとっているからパッとしないんじゃないかと、自分の不調に鬱を持つ。
　起きよう、と。午前中は普通に寝ていたので、昼食時になりオレの喉がおかしいと気付いたキックスに再びベッドへ押し込まれたのだが。このままゴロゴロしていては、今夜も目がさえて眠れなくなってしまうかもしれないと。
　鈍い重さが包む身体を起こし、寝室から抜け出す。
「メイさま。お加減はいかがですか？」
　直ぐにオレに気付いたチュラが、心配げに問いながら近付いてきた。「ああ、大丈夫だよ」と、応える声は、昼間に発したものより嗄れている気がしたが、まあ、こんなものだろう。
「まだ夕食までは少し時間がありますし、お休みなっていてください」
「寝るのも飽きたんだ。悪いのは喉くらいで、身体は充分休んだし、ここでのんびりしているよ」
　思ったほども時間は経っていなかったようで、食事どころか夕焼けもまだである時刻のようだ。昼食後直ぐに休んだが、精々、三、四時間か。
　それでも、動き出してみれば案外気分が晴れ、明るい光を受ければ気力が回復する気がする。
　心配げなチュラに、たかだか喉風邪ひとつで大げさだと、どこの深窓の令嬢だと笑い、オレは居間の長椅子に身体を落ち着ける。流石に会話を楽しむわけにもいかないので、借りている本を広げて視線を落とす。
　が、当然。内容を追えるはずもなく。
　気付けば、辺りに視線を飛ばしてぼんやりとしており、場所を移動しても思考は落ち着かない。
　そんな風にポヤポヤしている間に、チュラがお茶を用意してくれて。そのお茶が冷めるころに、出ていたキックスが戻ってきて、チュラと同じように心配された。
　ただの風邪気味なだけなのに、過保護すぎやしないか？　っつか、自分のせいでしかないので、申し訳なさすぎだ。
　仕事ゆえの丁寧さだけではないだろう二人の親切心に、呆れとこそばゆさと有り難さが胸に染みる。同時に、酔った国王陛下へのオレの扱いは雑だったなと、大人げない己を反省する。まあ、ヤツもまた体調を崩していたところで、自業自得でありオレのせいではないのだけれど。気持ち的に、こうして人のいい二人を見ていると、ガキな自分が何ともいえない。
　もうちょっと、大人になろうオレ…。
「今朝話しました、この部屋の鍵のことですが」
「あ、うん…？」
　ただ夜更かししただけで、風邪を引き。気に食わないやつにその態度を隠さず。そして、言うべきはずのことを言えない。そんな自分の弱さに思考を深めていると、傍に来たキックスに手を差し出された。その手には、小ぶりの鍵がある。
「メイ殿の分を用意いたしましたので、こちらをお使いください」
「えッ？　わざわざ用意してくれたのか！？」
　手渡してもらった細い棒状のそれに、オレは心底から申し訳ないと眉尻を下げる。今朝話していた時は口に出さなかったが、オレが物欲しそうにしていたのはバレバレであったようだ。それを察して、キックスは用意してくれたのだろう。
「ゴメン、手間かけさせて……まあ、あまりオレが遣うことはないんだろうけど…ありがとう、嬉しいよ」
　手のひらで簡単に包める、おもちゃの様なそれを握り締めて存在を確かめれば。思った以上に感動がこみ上げてきて、喉の痛みも忘れて言葉を紡ぐ。
　ここは、ただの客間だ。
　だけど、こうして鍵を手にしてみるとなんだかまるで、自分のもののような気がしてきた。自分の居場所を手にしたような気分になった。
　そんな筈はないのだと頭ではわかっているのに、現金なものだ。大げさにも喜ぶがじわじわと増してきている己に、オレは内心で苦笑する。
　昨夜抜け出した窓は、降りる分には良かったが。外から部屋に入るのは難しく、きちんと入り口から戻る事にしてオレはあれから建物の中に入ったのだけれど。
　ひとりの警邏兵とすれ違っただけで、無事に辿り着いた与えられた客間の扉に手を掛けてみれば。思いもよらぬことに、鍵がかかっていた。ドアノブは回るが、どこかで引っかかって動かない。だが、それがなのかわからない。普通ならばあるはずの取っ手部分に鍵穴はなく、どうにもこにもいかない。そんな状態だ。
　鍵を掛けたのはキックスなのだろう。だが、こんな時間に叩き起こすわけにはいかない。
　っつーか、鍵あったんだなぁ…なんて。若干途方に暮れながらそんな関心をして少し佇んでいたのだけど。いくらもしないうちに夜は明けるだろうと、適当に時間を潰す事に切り替えその場を離れた。
　王さまから有り難くも渡された毛布を持っていたので、あと少しくらいならばどうとでもなるだろうと、気の向くままに歩き出し、さて夜明け前の散歩でもと考えたが。
　いくらもいかないうちに、風呂へ行けばいいんじゃね？と思いつき、即座にオレは実行に移した。
　いつでも大丈夫だと聞いていたが、いつも朝に使うので。暗闇の中での湯浴みは初体験だと思って行ったのだが、きちんと明かりは点されていて。なんだぁ…と、安心と多少の肩透かしを覚えながら服を脱ぎ中へ入れば、先客がいた。オジサンと呼ぶのは気は引けるが、オレより一回りほどは上だろう男だ。
　時刻を思えば、酔狂なヤツだというところだが。オレ自身ひとの事は言えないし、普通に考えるならば、仕事で致し方なくってあたりが妥当なのだろうから。
　なので、まあ、何となく。
　居る事がわかって無言も妙なので、お疲れさまです、お邪魔しますみたいな事を言ってみれば。相手も気を使ってくれたのかなんなのか、当たり障りのない言葉をぽつぽつかえしてくれた。っで、ズルズルと。体を洗って、湯に浸かっている間に、「今まで仕事？」「いや、寝付けなかったので気分転換です」とか、「ミグまで行く用ができてね、これから発つんだ」「そうですか、お気をつけて行ってらしてください」とか、何だとか。お前はどこの誰？というのは一切なく、何となくの会話をしてみたり。
　ミグって街？国？どこなんだよ？とか。オレ、こんな時間まで仕事しているような奴に見えるのかな？とか。色々まあツッコミどころはあったが、そっとして、タラタラ喋っていて。その中で、ほんの少し喉に違和感を覚えたのだけれど。だけど、王さまと喋りすぎたからなぁと思って終わり。それ以上気にすることもせず。
　でも、直ぐに治ると思ったそれは、寝て起きたら悪化していた。風邪の前兆だったらしい。今は、風呂が致命的だったかと思わなくもないけれど、あの時は知る由もなくて。
　そうして。知らない男と長めの風呂に入り出てきたころにはすっかり早朝となっており、チラホラ人が行きかう廊下を進んでいる途中でキックスと出くわした。早いですねと微笑む青年に、実はまだ寝ていないと言えば流石に驚かれ、外にいる理由を話せばすぐに部屋へと戻してくれた。
　キックスの傍で、ドアの表面の細工部分へ細い鍵を差し込むのを良く見ていると、言われなければわからないほどの穴が開いるのに気付く。ちょうど、蔦の様な彫り物の実の部分と鳥の目の部分だ。凝っている。
　鍵があるんだなと話を向ければ、客間ですからねとあっさり肯定された。オレは持たされていないんだけど…との意味で言ったつもりだが、相手には届かなかったらしく、普通に目の前で扉を大きく開け室内へ促される。その存在を部屋の使用者が見止めたというのに、渡しておきましょうかとか言わないのを思えば、そう言うものなのだろう。まあ、持たされたところで、大抵寝るとき以外はキックスとチュラがいるのだから、オレに使う機会はなさそうだと。その態度から所持は早々に諦め、施錠について訊ねるに留める。
　聞けば、通常、部屋に鍵はないもので。あったとしても簡易なものだという。それこそ、棒一本ドアに差し込む程度のものが主流なようだ。中からのみ施錠できる、あのタイプだ。ただ、この客間は通常、外国の要人なども利用するものなので、プライベートを尊重する意味で丁寧なものにしてあるらしい。一種のパフォーマンスな感じで、防犯に重点は置いていない感じだ。メインは礼儀か。
　なんにしろ。使用しているオレが鍵の存在を知らないのは、緊急時に危ないんじゃないのかと。閉じ込められるだろうと言ってみても、賊が忍び込んでくるだとかの認識はないらしく、「そう言う事はないでしょうから、ご安心ください」と、これまたあっさりと言われた。
　いやいいや、そう言う事はなくはない。現に一昨日、オレの部屋に奇人が現れた。もしあれが悪い奴らで、オレが逃げようと出入り口に向かっていたとしても、鍵を開けられず追い詰められていたということになる。危険以外の何ものでもないだろう。なんだ、その自信は。どこから来る？
　そう強く思ったが、実際にはその時のオレはとても眠くて。いつもの、この国特有の平和ボケだと納得も出来て。
　鍵を持たせて貰えなくとも、せめて内から解除する方法を後で聞かねばと思いながら、慌てる話ではないと睡眠を優先し。そして昼食で起き出してみれば、声が変わっており、話をする前にベッドへ出戻り、今に至ったというわけだ。
　キックスはオレの様子から判断し、短時間の間に合鍵を用意してくれたのだろう。本当に頭が下がる。この鍵は、価値観など全く違うオレを理解しようとしてくれている行為の証だ。
「大事にするよ」
　ホントありがとうと重ねて礼を言えば、今度はオレの方が大げさだと苦笑された。だけど、本当に、ただの鍵だけど。それ以上のものがオレの胸で溢れる。少し前までこの手のものは、オレは沢山持っていたのだと思い当たれば、借り物でしかないのに懐かしさまでこみ上げる。
　こんな事で、泣いてしまいそうだ。

　こうして少しずつ、異世界での日々がオレの日常に変化している。