君を呼ぶ世界 183


 それでなくとも、わけがわからない現実なのだ。
 夢なんかに構っていられるかっ。

 なんだか温かくてとても気持ちがいいと、眠りの淵でまどろんでいると。
 ふわふわのものに邪魔をされた。
 しかたなく目を開ければ、そこは何故か自然いっぱいの山の中で。深い緑に、立ち並ぶ木に、きらめく川に、頭の片隅でデジャブを覚えたが、焦りは一切浮かばない。
 コレは何なんだろう?というそんな疑問も、降り注ぐ日差しの気持ちよさに負け、再びまどろむ。
 そうしているうちに、不意にどこからか声が聞こえたような気がしたので、オレはようやく眠るのをやめ周囲を見渡した。
 廻らせた視線で捕らえたのは、小さな影だ。まだ何かもわからない。
 なのに、何故か行かなくてはという気になり、オレは駆けだす。
 向かった先にいたのは、感嘆するほどに美人な子どもだった。10歳前後の、可愛いというよりも、美人な少年だ。少女にしか見えないが、絶対に少年。それは間違いない。
 大人びているわけではなく、ただただ、整っていると言ったような。オレの語彙ではそんな簡単な表現でしか言えない美少年は、けれども人形みたいな容姿とは違い、生き生きしすぎている感じだ。なんと、綺麗なまま歪んだ顔を作り不満をあらわにしたかと思うと、あろう事か舌打ちだ。
 っで。勢いよく一直線へ川へと駆け出し、オレの横を通り抜ける。なんとも元気だ。
 その姿を追い振り返れば、少し先に、あちらも子どもだろう姿がふたつあって。
 友達でも見つけたのか?それにしては不機嫌だなぁ、とオレが暢気に思っているうちに。突進した美少年がそのまま一方の人物にぶつかり、その相手はみごと川へと落ちた。
 は? 何それ?
 何で突き落としてンだよ!?
 顔に似合わず凄いな美少年…と驚いているオレは、それでもいつの間にか走っていたようで。気付けば、事件現場の川べりへと辿りついていた。
 目の前では。
 川の中で尻餅をついた、ずぶ濡れの少年に。その少年を助け起こそうと、岸から手を差し伸べる少年に。
 そして、その助け起こす少年の片腕に、ぶら下がるようにしがみ付いている件の美少年。
 ホント、何コレ?だ。
 美少年が自分よりも少し大きい黒髪の少年を川へ突き落としたのだが、3人の中で怒っているのは、加害者の美少年だけで。落とされた少年はあまり表情には出ていないが、困ったような様子でしかない。助ける茶髪の少年にいたっては、驚くでも慌てるでもなんでもなく、普通に笑っている。そこに問題など一切なさげだ。まるで慣れているかのよう。
 まだ、中学生になるかならないかの少年二人にとって、幾つか年下だろう美少年の攻撃など、可愛いものなのかもしれない。やんちゃなヤツだなぁで許せられるのだろう。
 だけど、実際問題として、ずぶ濡れになった被害はどうなんだ。
 相手がいくら幼くとも、悪いことをしたら怒らなきゃだめだろう。それとも、この2人は先に、美少年を怒らせるようなことをしたのだろうか。
 良くわからないが、とにかく仲良くしろよなガキども、と。茶髪に何かを言われ泣きそうな顔をしながらも、横を向いて黒髪を威嚇している美少年を見ていて、ふと気付く。
 目に映るのは鮮明で、風も光も、匂いさえも感じるのに。音が、聞こえないのだ。
 いや、そうではなく。正確には、言葉がわからないようだ。
 3人が何かを発しているのはわかるが、水の中からの声のようにまったくわからず。なのに、何を言っているのかはなんとなく感じ取れる。おかしな事態だ。
 オレは、子ども達の声を感覚で拾っているらしい。
 なんたる不可思議。
 加えて、おかしな事ついでに、そういえば視線の高さもかなりおかしい。
 大人であるオレのそれが、子どものそれより低いっていうのはどういうわけだ?
 何かが変だ、と。ここはどこだ、と。急に、意識していなかったそれらが気になり始め。ここで目覚める前の自分が何をしていたのか考える。
 普通に寝ていたはずだ。だが、こんな自然の中で眠りに付いたわけじゃない。ちゃんとベッドで横になったはずで……。
 思い出そうとするオレの前で、川へ落とされたというのにあまり動じていない黒髪の少年が岸へあがり、服を脱いだ。
 光を受け輝く飛沫が、オレの鼻先に飛んでくる。
 こそばゆくて、くしゃみをしたら、大きな音がした。
 っつーか。
 自分のくしゃみで目覚めたオレは、鼻をくすぐるものを手で押しやろうとして、それが何であるのか理解し脱力する。
「お前なぁ…」
 オレのくしゃみをものともせずにそこに居続けるのは、トラ公だ。
 人の枕元で何をしているのか、ベッドに顎だけを乗せて座っている。
 ふわふわとした心地よさを感じたのは、こいつのせいだろうか。じゃあ、くしゃみはこのヒゲが原因か…?
 ……いや、それよりも。
 目覚めて、今見た光景が夢だと認識して。
「…………お前、なんかした?」
 醒めても憶えている夢に、まさかと思い訊ねるが。
 聖獣サマは、剥製であるかのように動かない。ガラスのような青い眼がオレの影を映していなければ、ぬいぐるみでも通用しそうな固まり具合だ。
 それでも数秒じっと見つめてみるが、動物の表情など読めるはずもなく、諦めて体を起こす。
「もういいよ。第一、お前じゃなく、オレなのかもしれないしな」
 夢を見てそれを現実に結び付けるなど、いい歳すぎた大人がすることではないだろう。まったく何の脈略もなく見るのだろう夢に、何を考えているのかと。自分で始めたことに、オレは苦笑で終止符を打つ。
 もしかしたら、トラ公が己の記憶をオレに見せ、何かを訴えようとしたのかもしれないだとか。
 言語能力を得られる程度に残るオレのなかの神子の力が、トラ公の記憶を覗いたのだとか。
 そんなのは、馬鹿げているし。そもそも、この場合は追求しても何の意味がない事だろう。
 可能性のひとつとして、これがお前の力なのだとしても。こういうのはやっぱり、願い下げだな、サツキ。
 わけがわからないのは現実だけで充分だと、宥めるように胸のペンダントをオレは軽く叩く。
 見た内容といえば、ただ子ども達が遊んでいたようなそれだ。あれがオレの妄想ではなく、本当の過去であっても、たとえ未来であっても、別にどうにもならない。あれが、オレの知る誰かであれ、これから出会う誰かであっても、それは同じ。
 あんな、ちょっとした子どもの喧嘩なんて、あれ以上膨らましようがない。
 重要なことがあるとすれば内容ではなく、オレとトラ公の思考の共有だが。当の相手が動物では、正解を突き詰めるのも難しい。
 全てに意味があり、なにかの思惑があってのあの夢だとしたら。考え付くことはいくつかあるけれど、それでもやはり答えを得たところであまり意味がないだろう。
 たとえば。
 オレは夢の中では、トラ公で。だったら、聖獣が傍にいたあの少年たちのうち、黒髪のあれが王様でも。
 彼の過去を見たところで、現実で何か変わるような事はない。あの男に大人しそうな少年時代があったとしても、今があれでは可愛いとも思わない。
 っていうか。川に落とされた彼よりも。アレが王とするならば、他の二人が誰なのかの方が気になる。
 そういうつもりもなかったので、よく見ていないが。オレが知る誰かであるならば。あの茶髪はリエムで、そして、美少年はフィナさんとかになるのだろうか?
「……安直か」
 だが、他にネタはない。
 そして。それでもやっぱり、正解でもそれ以上の得るものはない。
「…………マジ、ヤメだヤメ」
 限りなく、不毛だ。
 折角、昨日のダルさが身体から抜け切っているのに。余計なことを考え悩むなんて愚かだ。起きよう。
 いくらも経たないうちに忘れるのだろう夢なんだから、もう終わりなんだと。今度こそ意識を変えるべく、オレはベッドを降りる。
 オレの姿を追うようにトラ公が頭を動かしたが、腰を上げる気配はないのでそのまま放って寝室を出る。
 部屋には相変わらずの二人がいた。窓からは明るい光が差し込んでいる。
「おはようございます、メイさま」
「おはようございます。体調は如何でしょうか」
「おはよう。もうすっかり大丈夫だよ、ありがとう」
「すぐに朝食を用意致します」
 ああ、やっぱりこの二人には癒されるなぁ、だとか。寝坊したと思ったが、まだ朝食の時間のうちだったか、よかったとかと。
 変な頭の使い方をして凝っていたような気持ちが一気にほぐれたオレは、何の気なしにただそれだけのこととして、トラ公の事を聞いてみたのだけれど。
「なあ、聖獣クン居るんだけど」
 いいのかな?と問えば。意外にも。
 二人揃ってマンガのように、目を見開き驚かれた。テーブルを拭いていた布巾が、チュラの手から床へと落ちる。キックスが固まるのもまた珍しい。
「…それは、気付きませんでした。いつから居らっしゃるのでしょうか」
 スミマセンと不手際を謝るキックスだが、別に彼が謝る話ではない。まあ、ずっと寝室にいたのだろうに全く気付かなかったというのは、侍従としては複雑なのかもしれないが。
 それにしても。一体いつから居るのか。二人が知らないということは、明け方以前にはもう寝室に忍び込んでいたのだろう。
 だが、どうやって?
 扉には鍵。
 じゃあ、窓か?
 まさか、壁をすり抜けられますなんてオチはないよな…?
 猫のように、僅かな隙間から潜り込めるのかもしれないが。一応、聖なる獣サマなわけだし、妙な業を使ってもおかしくはないのかもしれない。
「…………お前さ、何したいわけ?」
 思い直して、出てきたばかりの寝室を開けると。変わらずトラ公はそこに居た。戻ったオレをじっと見るが、尻尾のひとつも動かさない。
 何をしているんだか、おかしなヤツだ。
 そういえば。オレは少し体調を崩したが、あの男は大丈夫だったのだろうか。
 だが、動物相手に聞くのもバカみたいだし、何より心配しているかのようでシャクだから。
 ストレートにただ、帰るようにの促しを込めて、「帰んなくていいのかよ」と言葉を向けてみれば。今度は動きがあった。重そうにしていたわりにはあっさりと、トラ公が腰を上げた。
 近づいてくるので通り道を空けると、のそりと寝室から出る。
 だから、帰るんだと思ったのだが。
「……オイオイオイ」
 本当に何を考えているのか。食事が並ぶテーブルの下に、今度は前足まで折って伏せる。どこでくつろぐ気だ、オイ。
 本格的に居座るつもりなのか、床で落ち着いている虎に。こいつもあの主人に似て、なんだかふてぶてしいかもしれないという思いがこみ上げる。
「チュラ、そんなの気にしなくていいよ」
 無視しろ、無視と。足元の聖獣にどうしていいのやら戸惑い、給仕の手が危なっかしくなっている少女に声をかけ、おいしそうな朝食の席にオレはつく。
「お前にはやらないかな」
 軽く爪先で白い前足を蹴ってやると、人間ごときの食べ物など狙うわけがないだろうというような、呆れたような視線を流された。やっぱり、ふてぶてしい。オレも、無視してやるからな、クソ…!
 甘いソースがかかったキノコのオープンサンドを齧りながら外を眺め、本日の予定を考える。
 書物でこの世界について勉強しなければダメだし、奇人の話も本当はもっと聞くべきだろう。サツキの石の事も、オレ自身の事も、召喚の事も。考えるべき事は沢山ある。
 だが、気分が全然のらない。正直、疲れた。酔っ払い王と会って襲ってきた脱力感は、まだ抜けきれていないようだ。
 昨日も充分休んだが、もう一日くらい、答えなど見えないような難しい事など考えずに過ごしたい。
 そう思い始めると居ても立ってもいられない気持ちになり、今すぐここから飛び出したくなる。
 ああ、そうだ。桔梗亭へ行こう。
「オレ、食べ終わったら出掛けようと思うんだけど、いいよな?」
 オレの事情を知るキックスに、町へ行きたいのだがと確認すれば。王宮内に閉じ込めろ命令は発令されていないのか、一人で出歩く事は意外にもできるようで。普通に、体調は本当に回復しているのかを聞いた後、「わかりました、馬を用意いたします」と言われた。出掛けられるのは嬉しいが、馬は要らない。
「いや、用意されても乗れないし。のんびり歩いていくからいいよ」
「では馬車にいたしましょう」
「それも遠慮する」
 参考までに。出掛ける際の移動は馬を利用する以外にないのかと問えば、少し考えたキックスが出した答えは、輿だった。一瞬どんなものだったかと考えたほどに飛んでいる。交通手段ではなく、オレの中でそれは儀式的なイメージが強い。
「人力の、アレ?」
「一部の国の有力者のものなので、この国では馴染みがありませんが」
 翻訳機能を疑い確認してみれば、オレの理解は間違いなかったようだ。が、同時にそれが一般的なものではないことを知り安心する。
 そうなんだとほっと息をついていると、足を叩かれた。
 下を向けば、まるで自分に乗れば運んでやるぞと言うように。どこか自慢げに、また期待に満ちたような目で、「オレはどうよ?」と見上げてくる動物と視線がかち合う。
「……それこそ有り得ねえよ」
 何を話に参加してきているのか、この虎は。
 信仰心ゼロなオレだって、さすがに皆が一目置いているような聖獣に乗ろうとは思わない。何より、確かにでかいが、オレの足の長さとあまり変わらない動物に乗るって無しだろう。愛護団体に怒られそうだ。
 子どもならば絵になるのかもしれないが…と、自分が跨った画を想像し呆れ果て。その心意気だけは認めてやるべきなんだろうがつい、低い声で突っ込んだオレだけど。
「本当に仲がよろしいですね」
 一部始終を見ていたらしいキックスが、微笑ましげな表情でそう言った。
 懐かれていると思っているのか、懐いていると思っているのか判断は付かないが。どちらにしろ、じゃれあっているわけじゃないので、その感想はどうだろう。
 仲良しというのはもっとこう、オレがもふもふを楽しめるようになり、トラ公もかわいくゴロゴロ鳴いてからこそのものじゃないか? それとも、聖獣ともなれば。ちょっと反応があっただけでも凄いもので、そういうことになるのだろうか?
 いや、でも。言えば普通に、三回まわってワンと鳴こうとする程度のヤツなんだけどなァ、と。
 何をしているのか足元で寝そべるトラ公をチェックしながら食事を済ませ、一息ついてから、オレは日課になっている朝風呂へ向かう。
 ダラダラと歩き、ノビノビと風呂に入り、ホカホカを満喫しながら、先ほどは途中でやめた事をズルズル考える。
 先日オレが乗ったあのワゴンの造りはどうなっていただろう。
 大きめの車輪が付いていたのは憶えているが、仕組みまでは見ていない。だが、自転車は難しくとも、ああいった台車はあるのだから、強度面をしっかりすればキックボードくらいならば簡単に作れるんじゃないだろうか。
 舗装されていない道を走るには、組み立てた車輪よりも、木そのものが良さそうだ。材料があれば、マジで作れるだろう。
 だが、はたしてそういうのを自分が作っていいのかどうか。まず、オレにはそれが判断できない。リエムが帰って来たら聞かなければならない。
 たかだか便利グッズひとつで、作ったはいいが乗り回す姿が目立ってしまい、異端をアピールするような事になるのは避けたい。それなら普通に、この先徒歩だけでやっていきます、だ。
 非凡なことはしないに限る。
 思わぬな長風呂をしてしまい、部屋に戻った時には昼になっていた。
 ドアを開ければ漂ってきたいい匂いに、昼食を用意してくれたんだなと、迎えに出てきたチュラに声を掛けかけ、それに気づく。
「…あ!」
 少女の向こうに目が釘付けになり、勝手に身体が動く。
 数歩の距離を駆け居間に飛び込めば、ふくよかな身体に似合わない、小心者な顔がこちらを向く。
「レミィッ!」
 二日前に一緒に食事をしたというのに、なんだかとても興奮したオレはそのまま短い首に腕を回し、抱きつくように抱きしめる。

 ああ、タプタプした顎の肉がなんとも言えない。
 憧れの安西先生には劣るだろうけれど、これもなかなかじゃないか。うん。
 

2011/10/06
182 君を呼ぶ世界 184