君を呼ぶ世界 186


 オレの癒しを邪魔するヤツは、馬に蹴られてどこか遠くへ飛んで行け。

 王宮へ帰る爺さんが迎えに来てくれてからあわてて片づけをして、賑わいはじめた桔梗亭をあとにした。太陽が沈んだばかりの赤と青が混ざり合う空の下を、馬車の荷台で荷物と同じように揺られながら帰路につく。
 夜になっても騒がしいのだろう街を抜け山道へと入れば、辺りは急に静かになり。木々に光を遮られて暗さも増せば、少しばかり王宮に与えられた居場所が恋しくなった。楽しすぎる桔梗亭の反動だ。
 今は、同じ場所を目指す爺さんも仲の良いハム公もいるのに、おかしなものだ。
 この感覚は何かに似ているなと考え、とても幼い頃の夕刻だなと思う。いつでもどこでも誰とでも繋がることができる安心アイテムなケータイを持つようになってからは覚えなかった感覚だ。
 疲れたとも、寂しいとも違う。単純に、今よりも安心する場所がこの先にあり、少しだけ気持ちが急くような、そんな感じ。
 中学に入る前にはケータイを持っていて、アンタ達は暇なのかと呆れるようなメールを打ってくる両親だったので、一人きりの帰路も、一人きりの自宅も、どこでも誰かと繋がっている確信があった。聞かなければ、相手がどこにいるのかわからないけれど。聞けばわかる。その手段は自分にある。意識したことはなかったが、それは自信にも繋がっていたのだろう。
 まあ、オレも。両親に負けないくらい彼らに、そして友人たちに、くだらないことでメールを打ちまくってっていたので。それこそ、誰かと繋がっていない時間など一切なかったように思う。
 この世界で、知り合いなんてまだそんなに多くはないけれど、日常を過ごす中で極端に少ない連絡手段に不便さを感じていた。だがそれ以上に、携帯電話というのは精神面での拠り所でもあったんだなと今更ながらに実感する。
 たぶん、きっと。
 この世界はケータイそのものがないからいいけれど。逆に、オレだけが持っていないような状況だったならば、疎外感は半端ないものになっていただろう。
 状況が状況とはいえ、子供の頃からあって当然なそれが今この手の中になというのは、改めて考えれば変な感じだ。
 まあ、ケータイばかりの話ではないのだけれど。
 オレは向こうの世界で「オレ」という自分を形成していたたくさんのものを失っており、この世界での「オレ」は、オレが自覚していた自分からはあまりにも身軽だ。この世界で通用するものが少なすぎて、ここでのオレはなんとも薄い。ふとした時に、とてつもなく不安になるくらい。
「ほら、もう少しだ頑張れ」
 帰ったらご飯だと。爺さんが坂道を奮闘する馬に話しかけている。
 ああ、そうだ、頑張るしかない。だからこそ、オレの今は、一日一日が、どんなくだらないことでもなんでも、全てに大きな意義があるんだ。だから、ホント頑張らないとなと思う。薄いからこそ厚みが増しやすいんだと、自分に発破をかける。
 っつーか。
 ごめんな馬さん、余計な荷物が二人も追加されて重いだろう、すみません。しんみり黄昏ていずに、オレも一緒に頑張るべきだよな、うん。
 でも、マジ悪いけど。腹が空きまくりで今のオレは荷馬車を押すことも引くこともできそうにない。今は、甘えていいか…?
 ……嗚呼、今夜のご飯はなんだろうぁ。
「あー、お腹空いたなぁ、レミィ?」
 頑張れ馬、オレは心の中で応援をするから、早く連れて帰ってくれ!と。
 不便なことは多いけど、食べ物が口にあったのは本当に不幸中の幸いだ。何より、現在は上げ膳据え膳状態。この間までは、まかないで過ごしていた。うん、オレって恵まれている、ホント。さて、帰ったら、可愛いチュラにご飯を用意してもらおう。って。改めて考えると、なんて贅沢なんだ!
 と。
 腹が空き過ぎて若干テンションが上がりつつも、同意を求めるように声を掛けたのだが。
 けれども隣からの反応は思った以上に薄かった。ハイと答えるのみで、素っ気無ささえ感じるそれに顔を向ければ、こちらを見る顔はなぜか困惑。
「…空いてないのか?」
「す、空いて、います……」
「だよなぁ、店で食ってきたらよかったよな」
 エルさんの料理は美味しいからと。でも、そうすると部屋で用意してくれているだろうキックスたちに悪いからなぁと話を向けるが、下がった眉は変わらない。兵士はそれぞれ食堂で食べるのか?とか続けても、応える声もどこかたどたどしい。
「レミィ?」
「あ、あの、……」
「うん?」
 ああ、そうだ。奇人の話では、ハム公はいつでもお腹が空いているんだったかと思い出す。
 そういえば、昼を一緒に食べたが、オレと同じ量だった。早めに軽く摂っただけなので、腹が減っていないはずがない。なのに、食事の話題というだけで身構えるなどおかしい話だ。
 奇人も奇人なのでその言葉を信用するのはいかがなものかなのだが、ことハム公の食事に関しては、王様も構うなと怒っていたくらいだから訳があるのは間違いないのだろう。
 しかし、デリーケートな問題であり、オレは所詮、ただの知り合いだ。多少の好意を持ってくれているのだろうが、何せ、ハム公にとっては大好きな兄の大嫌いな奴である。来訪者だからと知ったところで差別はしない性格であろうが、兄の仏頂面の手前、オレと仲良くするのも気がひけるタイプだろう。
 そんなハム公に、彼自身の傷を抉るようなことを言っていいのだろうかと、少し考える。
 考えるが、こういう機会が次はいつあるだろうかと思うと、今聞いておくのがいいとも思う。
 リエムが居るのならば、彼に聞くのが一番穏便に事を運べることになるのだろうが。居ないのだから仕方がない。ホント、いつ帰ってくるのだろうかアイツは…。
 と、いうわけで。
 なんてことはない振りを混ぜつつ話を向ければ。
 案の定、言葉につまり話し難そうにはしたが、真面目な性格なのでハム公は答えてくれた。
「ぼ、僕は、食い意地があるみたいで、その…いくら食べても、お腹が満足しなくて……」
 奇人が言っていたのと同じだ。だが、その時も思ったが、やっぱりそれは、病気だからじゃないのか?
「それって、いつでもお腹が空いているってことだよな?」
「そ、そうです」
「いっぱい食べたあとでも?」
「いえ、あの…多分、そうです」
「多分?」
「満腹になるまで食べないので…」
 恥ずかしいというか、本当に申し訳なさそうにハム公が言うには、自由に食べれば際限なく食べてしまうのでいつも制限しているらしい。
 それでも、我慢できずに食べることも極たまにあり、幼いころはもっと常に食べているような状態のときもあったそうだが、満腹感というのに覚えはないようだ。
 だから、この身体か――じゃなく。それって、やっぱり思った通りじゃないか。
「病気だな」
「……はい、ぼ、僕が悪いんです」
「いやいやいや、違う、そうじゃなくてだな」
 明らかに傷ついたようハム公にオレは焦る。一昨日の朝、ハム公のことを語る奇人の言い方にはそういう配慮が微塵もなかったが、アレが特別なわけではなく、この世界ではこういうことに対して病気という概念がないのだろうか……?
 でも、性格だけの問題でないのは明白だろう。それとも、オレの考えすぎか?
「食べたいのに食べないことを日頃我慢しているんだから、自制心なく食べて太るヤツとは別な話だ。レミィのそれは、意思でどうこうなるものじゃないと思うぞ。そりゃ、オレは医者じゃないけどさ。多分、脳の障害かなんかじゃないのか」
「……あ、あの、お、おっしゃっていることが、よ、よくわかりません…」
「誰も悪くはない、生まれながらの病気じゃないのかって話。だから、レミィがそんな風に恥じる必要はないってこと。当然、誰かに貶される必要もな」
「……」
「生まれたときからの姿形をバカにするのと一緒だよ。髪の色だとか、肌の色だとかをおかしいというようなもんだ。本人の与り知らないところの話なんだから」
「…………そ、そ、それが、病気、で、ですか?」
「あ、今の例えは下手すぎるか…う〜ん、なんだろ。じゃ、指が一本足らずに生まれたとか、足が片方短いだとか、そういうんだって言えばわかるか? 確かにその他大勢とは違うし、それを欠陥と表現するのだろうけど、だからといって不良品じゃないってこと。指がなかろうが、足が短かかろうが、それこそ、知能が低くても。それがそいつで、それ以下にはならないって話」
「は、はい…」
 不安ながらも一生懸命理解しようと聞いてくれているが、明らかに疑問符が頭を飛び交っている様子でハム公が返事をする。
 オレだって、全然上手く言えていないのは自覚している。けれど、根本的な知識が皆無の相手にその障害をどういえば良いのかわからない。とにかく、少しでもハム公は悪くはないんだというのが伝わって欲しいと思う。
 オレは、暴飲暴食をしていたとしても、そんなことで嫌いにはならないから。だから、そう、自分を恥じないで欲しい。怯えないで欲しい。
「なあ、レミィ。食べるというのは、人にとって最大の欲求だ。なのに、満腹感も得ず、決められた量の食事だけで耐えるっていうのは、生半可なことじゃない。そうだろう? ストレスが堪る一方で、精神的にきついはずだ」
 突然キレるとか聞いたのも、結局はそれだろ。他者の理解もそうだが、自分で病気だと認識していないのなら、一体、ハム公はどこで折り合いをつけるというんだ。今の状態は、逃げ道すらないじゃないか。
「レミィの場合、中枢神経が傷ついているだとかそんな話だろうから、精神力でどうこうじゃない」
「ちゅ、ちゅうす、う……?」
 偉そうに言っても、オレだって、テレビなどで何となく見て何となく覚えている程度でしかない。下手なことは言わないに限るのかもしれない。
 だが、今は目の前で縮こまるハム公の不安を少しでも減らす方が大事だ。
「満腹を感じ取れないレミィに、ただ単に節制をしろというのは、腱が切れて足が動かないヤツに、動かさないのは本人の怠惰だ、頑張れば動くんだ!って言ってるようなものだ。だけど、腱がくっついていなきゃ動かない。じゃ、周囲はどうする? 無くても動かせられるようになれとそいつに言うのか? 本人だって動かしたいと思っているだろうに、無理難題を突き詰めて責めるのか? 違うだろ? こいつの足は動かす機能をなくしたんだと認識し、不便を味わうそいつの手助けをする。動かないことで気鬱になったり、人一倍頑張らなければならないそいつを気遣う。そういうもんだろう?」
「は、はぁ…」
「つまり、さ。現状として、レミィの周囲の面々がレミィのその食欲をどう思っているのかは知らないけれど、オレはお前に非があるとは思わない。だから、そんなに情けない顔をするなよ。」
 こわばりが解けないその顔に指を伸ばし、柔らかい頬に触れる。
 今まで何度かテーブルを一緒にしたけれど、こいつにとっては折角の食事も苦痛のひとつになっていたんだと思うと、凄く悲しい。
 そりゃあ、病気だとしても、今までのように制限をつけて当然だ。理由が別にできたところで、食べる量は変えられないだろう。でも、日ごろ食べたいのを耐えているのだから、せめて、全然足りない食事だとしても、一日三回のそれはひとときの喜びであって欲しいと思う。
「オレは、お前が美味しそうにご飯を食べていたら嬉しいよ、絶対」
「……ぼ、ぼ、僕が、ですか?」
 繋がっているようで繋がっていない唐突なそんなオレの発言に、流石のハム公も疑問に耐え切れずに聞き返してくる。だが、そう思うのだから仕方がない。
 食事をしてハム公が笑えないのは、きっと他者への恐怖からだ。今までずっと抑圧されてきたからだ。
 オレの話は今は半分も理解できていないだろうけど、少しでもそれが軽くなり、いつか限られていても食べることに引け目を感じず、気負わずできるようになったら。一緒に席につき、美味しいなと言い合えたら、絶対オレは幸せだと思うだろう。
 たかだか、腹が減ったなと言っただけでこんなに緊張するようなハム公なのだから。
「だからさ、今度は桔梗亭へ食事に行こうぜ、一緒にさ」
 またオレに付き合わせて悪いけど、子供たちもお前のこと気に入っていたしさ。遊びに行こうぜ、と笑顔を向ければ。オレの飛ぶ言葉を掴まえるのに少し間を置き呆けた顔を見せたが、ハム公もまた薄暗い中でも輝く笑顔で頷き返してくれた。
 そして。
 王城の入り口まで送ってくれたハム公が、もじもじしているから。
 オレはてっきりなんか嬉しい事を言ってくれるんじゃないかと邪な期待で水を向ければ。
「あ、あの、メ、メイさま…!」
「うん、なんだ?」
 今日はありがとうと礼を言い、こちらこそ楽しかったですと言ってくれた後での、意を決した勢いの呼びかけなのだから。ここはやっぱり、愛の告白…はないとしても、次の約束をするだとか、友達になれて嬉しいだとか、そんな胸キュン台詞が来るところだと思っていたのに。
「きょ、今日、ぼ、ぼく、僕が来たのは、あの!」
「うん」
「あ、兄上が、言ったからなんです!!」
「……は?」
「だ、だから、そ、その、あ、兄上が、お、お、お気に、されて…、それで、そ、の、あの、……」
 モジモジから一転、アタフタとなるハム公に、あ、オレ今笑顔消えてるんだなぁと他人事のように思ったが、据わっていく目をとめる事はできなくて。
 ついには「ス、スミマセン!」と泣きそうになり謝りながらも、兄を弁解しようとするハム公に大丈夫だと言い含め、今のは訊かなかったことにしてとりあえず置いておき、改めて今日の礼を言いまたなと別れる。
 …………ハム公は悪くない。勘違いしたのはオレだ。
 ……ハム公はまったく悪くない。むしろ、あんな兄貴のフォロー役もするのかと思うと可哀想だ。
 大人気ないのは、オレ――なのは、わかっているけれど!
「ここでまさかのクソアニかよっ!?」
 廊下に人目がないことを良いことに、オレは一声吠える。
 これがデートだったら、ぶち壊しだな、オイ!!

 いやいやいや。
 デートでなくとも、壊された感、マックスです。
   

2013/05/21
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