君を呼ぶ世界 187
気にする前に。
するべきことがあるんじゃないのか?
夕飯を食べて一息ついていた時。
朝も入ったが、今日は出掛けたことだし、寝る前にもう一度風呂に入るか。それとも、もう少しレーイさんと約束した作業をするか、どうするかなぁとダラダラしていたら。キックスが疲れましたか?とお茶を用意してくれながら聞いてくれて、結局行き帰りは荷馬車だったしと、楽しかったよと雑談モードに入りかけたところで。
「陛下がお会いしたいようなのですが、いかがいたしましょう」
「……は? ダレだって?」
「王です」
「ハイィ?」
体調が良いようなら声をかけるように言われていたのだと説明するキックスは、全然悪くないのだが。若干眉根が寄ってしまうのは仕方がない。デジャブじゃないか、オイ。さっきは、ハム公で、今度はキックスかよクソ。
オレの安らぎをどこまで脅かすつもりだクソ王め。
「気が進まないのでしたら、もうお休みになられたとお伝えしてきましょう」
「……いやいや、いいよ、大丈夫」
気が進むかどうか聞かれたら、そりゃあ、まったく進みませんだ。一歩も進まない。むしろ、数歩は後ろへ後退のドン引きで、隙を見て脱兎のごとく逃げたいくらいだけれど。
オレの心情を察し、本気で断りに行こうとする青年を流石に止めないわけにもいかなくて。
普通は、国王陛下の呼び出しなど断れないものなんだろうし。それをキックスにさせるのは勿論、駄々をこねても迷惑をかけるだけでしかない。
心底嫌だが、仕方がない。
「今から行くよ。っで、ちゃちゃっと片付けて、帰ってきて寝る」
無理しなくとも大丈夫だと、正式に呼び出されているわけではないのだからとキックスは言ってくれるが、後延ばしにしたところであの男はオレに何か用があるのだろう。無視し続けるわけになどいかないのだから、今日も明日も同じだ。今夜の安眠のためにも、嫌なことは済ませてしまおう。
「しかし、なんの用なんだかなぁ…聞いているか?」
「いえ、そこまでは…。もしかしたら、元気なお顔を見たいのかもしれませんね」
「はぁ? ないないない、それはない」
「いえ、そんなことはありませんよ。王はとても、メイ殿の体調を気にされていましたから」
「……いつ?」
あり得ない話だが、さわやかな笑顔で確信を持っていうキックスに、興味よりも恐怖を覚え。その根拠は聞かねばならぬと、掘り下げてみれば。
恐怖話ではなかったが、それでも、聞かなきゃ良かった…な話だった。
そう、キックスが言うには、昼前にハム公が来たとき、彼はまずオレの体調を訊ねたらしい。前日の様子を知ってのことだ。
っで。どこで知ったのかは当然、兄王からで。王様がどこで知ったかというと、まあ、それはキックスの侍従としての報告が、何人かの人を経て、男のところまで行ったのだとか。行かなくていいのに、こういう時は客人の立場がフルに発揮されるらしい。面倒くさい。
まあ、それで、だ。有り得ないことにも、王がオレの体調伺いを弟に頼み、ハム公が実行。けれども、結果を報告に行く前にハム公はオレに捕まったので、事情を知るキックスが代わりにオレの体調は回復していると王のところへ届けに行き、今夜オレの体調をみて、よければ私室まで案内するようにと頼まれたのだとか。
だから。命令ではなく、あくまでもお願いだから無理せずとも大丈夫とキックスは言うのだろうけれど……。
もうなんか、そういう全てが嫌だ。裏をひしひしと感じ、気持ち悪い。
キックスは、だからこそオレの好きなようにと、王の気配りを大事にしてオレに権限を持っていることを教えてくれようとしたのだろうけれど。オレとしてはもう、キックスを巻き込みそんなことを話している時点で、なんだか逃げ場は一切ないんだといわれているような気分になる。
考えすぎなのだろうが……相手は仲が悪いあの男なんだから仕方がない。
オレの体調を本気で慮る気があるのならば、そもそも事前に侍従に話を振るなどNGでしかないだろう。
あの男は、来て当然と思っているにちがいない。
キックスに見せた気遣いは、体調不良の原因が自分にあるとしての表面上のものだろう。たぶん、ここで行かなかったら、明日は朝イチで引っ張られるんじゃないかオレ…。
流石に言葉にはしないが、それでもそういう思いが表情に出ていたのだろう。
オレの感情を察知したキックスが考えすぎだというように言葉を重ねてくる。王は心配しているんですよ、と。……まあ、キックスはオレと王様の仲を知らないからなぁ…う〜ん。
しかし、百歩譲ってだ。
全然上手くはないが、これがあの王様の最大の気遣いなのかもしれないと思えなくもない行為であるのは確かで。真意は会ってみなければわからないが。正直、今更微妙なそれを見せられても、今度はなんだよと思う方が強いが。酔いが醒めても一昨日の会話の記憶があったのならば、噛み付くなと言い聞かせたことを覚えているかもしれない。少しはそれを実践しようとしているのかもしれない。だから、ハム公を派遣してくれたのかもしれない、と。
好意的に受け止めようと思考を切り替える努力をする。……気持ちは追いつかないけれど、一応、オレにも歩み寄らねばならないところがあるのもまた事実だし。
まあ、今日のハム公派遣は、マジで感謝しているし。
伺った途端、テメェはナニを勝手に俺の弟を連れ出してやがんだ!と怒られたとしても、今日の充足感がまだ残っている今夜は、余裕でブラコン兄貴の嫉妬を相手にしてやれるかもしれない――ので。
そんなわけで、ハム公と遊んだ対価として王様の相手もしてやるかと、気分的には呼び出しを受けていることに対して疲れ果てているのだが、自分を奮い立たせて挑むことにして。
キックスに王の私室前まで連れてきてもらい、そこからは衛兵に案内されて辿り着いたところは、本当にプライベートの空間といったような居間で。ドデンと執務机が置いているようなところへ案内されるかと思っていたオレは、ちょっと驚いた。
しかも。長椅子に腰掛けた王様は入ってきたオレを見ることは見るが口は開かず、かわりにジフさんに王の右手になる一人がけの椅子に促された。が、なんて微妙な空気……オレなんかがいていいのか? マジで?
仕事は終わったのだろうオフモードな王様の横に、オレが座っていいのか? 一応、王様だろ。っつーか、オレだぞ? 酔っ払いの時とは話が違うだろう……これはジフさんの苛めですか!?
「…………」
ものすごく躊躇い部屋の主をじとっと見てやれば、無表情ながらもその眼が座るのを待っているかのようにオレを見上げてきたので。
「……」
ゆっくりと腰を下ろしてみれば正解だったらしく、視線が外れた。
そして、ボトルとグラスを運んできたジフさんに、今夜はもう用はないと下がるように告げる。
「……」
……え?
なに、それ? なにこれ?
ジフさんが下がったら二人になるじゃん!
っつーか、酒ってどういうつもりだよ!? オレと酌み交わす気か!?
「それでは、何かあればお呼び下さい」
失礼します、と。王だけにではなく、オレの分の一杯目の酒をついでから部屋を後にするジフさんを未練がましい視線で見送る。
扉が閉まった瞬間、緊張が格段に増した。今更この男相手に怖くはないが…今夜は居心地が悪すぎる。
状況に乗れずに口を開く機会を失ったオレと、オレがいるのを認識しているのかも怪しいような雰囲気の王様が作る沈黙。…沈黙、……沈黙。
……ゆっくりとグラスを傾ける男が恨めしい。なにくつろいでいるんだオイ!…いや、ここは完全なプライベート空間みたいだからくつろいでいいんだけど…じゃ、オレはどうすればいいんだよクソ。
「お前も、呑んだらどうだ」
「…………」
漸くやっと声をかけてきたと思ったら、そんな言葉だった。
この男、大丈夫か? オレとアンタはそんな関係じゃないだろう。そもそもこの雰囲気の中で、喜んで酒に口をつけるようなヤツがいたら拝みたいものだ。オレの神経はそんなに図太くはないんだよ畜生!
「呑めない口ではないだろう」
カラリと氷の音をたてながらグラスを振り勧めてくる男は、正直言って犬猿な関係のオレから見てもサマになっている。この世界での美形基準が日本と違えばわからないが、オレの中ではモテ男認定をしてもいい姿形をしている。
それに加えて、王様だ。権力ある若い男だ。性格の悪さに目をつむることができれば、一晩のお相手をしたいと願う女性がいたとしてもおかしくない。……いや、まあ、美の基準以上にこの世界の女性の貞操観念をしらないから完璧な妄想だけど。
とにかく。
オレを横において呑んでも、この男にとっては微塵も面白くないはずだ。なのに、何を悠然と味わっているんだ。アホだろう。
呼び出しておいて、これかよ。これが用かよ? ンなわけないよな?
「……」
「体調は戻ったと聞いたが…まだ酒は不味かったか?」
「……」
「…では、茶でも煎れよう」
「……いや、要らないから……これでいい、デス」
一体何を考えているんだかとシラけた気分が先にたち、向けられる言葉を無視していたのだが限界がきた。
本気で腰を上げかけた男を制し、仕方がないとグラスを持ち上げる。手ずから茶を入れようとするなんて、どんな脅迫だ。
てか、マジで今夜のコイツはおかしい。今までなら、速攻嫌味を言ってくるかキレるかをして、それこそグラスの中身をぶっ掛けてきそうな状況なのに。おかしすぎる。
「…それで。用は何ですか」
何か仕組んでいるのか。それとも、一昨日の邂逅で心を入れ替えでもしての友好的行為か…なんて、それはないな。あり得ない。
「レミィと出掛けたそうだな」
「ええ、おかげさまで」
酔っ払いの相手とは違い、それはもう心底から楽しく過ごしたさ、と。交ぜた嫌味に気付いた男が僅かに眉を寄せるが、やっぱり罵倒は出てこない。……まさか、この反応の鈍さは、もう既に酔っているからじゃないだろうな?
「病気だとかの話をしたと聞いたが」
「あぁ…まあ、単純にオレが考えているだけなんだけど」
改めてこうして言われると、当人に不確かなことを言ったのは軽率だったかとも思え、言葉がにごった。ハム公が早速兄王に話していたのは当然だと思うが、どんな風に話したのかと思うと不安になる。
オレの発言は、ハム公を傷つけなかっただろうか。
憶測というかもう知識はあいまいで妄想レベルに近いのだが。一応、そういう可能性も無きにしも非ず程度で改めて男へと告げながら、その表情をじっと見つめ、その向こうにいるハム公が見えないかと探る。
十分に理解は出来なかっただろう説明は、ハム公の心を少しは軽くしただろうか。
「レミィを気に入ったか」
話し終えたオレに、王は今更な質問をしてきた。
けれど、そこに部外者が不確かなことを言うなといった怒りは微塵もなく、本当に純粋な確認のようで。
「ああ、好きだよ。アンタは気に入らないだろうけどさ」
オレは素直に感情を吐露する。もっと仲良くなりたいと。
その返答に、男は噛み砕くような短い沈黙を作り、「リエムともそうだが、他の面々とも上手くやっていると聞いている」とハム公の話題を終わらせ、オレの話に移してきた。
「え? 他って、キックスやチュラか?」
「王宮内外問わず、お前が関わっている多くの者たちとだ」
ああ、桔梗亭か?
「まあ、みんな優しいし」
ラナックとはちょっと違うかもしれないけれど、あれはヤツの性格であって、関係が悪いわけではない範囲に入るだろう。…本人が聞いたら、ツバを吐かれそうだけど。
「少なくとも、アンタ以外とは良好だな」
「元の世界に戻りたくはないのか」
「は? いや、帰りたいさ勿論」
ん? やっぱり酔っ払っているのか?
話し始めたと思ったら、会話が飛びまくっている…何なんだ?
「オレはそのためにここにいるんだぞ、オイ。忘れたとは言わせないぞ」
お前と約束したんだぞと眉を寄せたオレをじっと見つめたまま、男が背もたれに預けていた背中を起こし、軽く前のめりに座る。
オレとの距離を縮めるように。
「今のままでは、この世界に囚われてしまうぞ」
「……なにを、」
「帰りたければ、誰にも心を許すな」
「……」
「全てを、恨め」
「…………」
青い眼が、オレを射る。
「それが、今のお前に出来る唯一のことだ」
まるで神託のように。
それは世界を変える言葉だった。
2013/06/30