君を呼ぶ世界 189
もし、この男が本当に変わるのならば。
オレも、見方を変える必要があるのかもしれない。
少しずつ舐めるように飲んでいたグラスの中身が空になる。
多分、王様が飲むくらいだから高級品なんだろうけど。正直、今は味などまったくわからない。間を持たせる小道具だ。
この男のように、酔う感覚もやって来ない。
「なあ、どうしてそんな風に、恨めばいいだなんて考えるんだよ。それって、アンタがオレを嫌いだから、この世界で楽しそうにしているのがムカツクから、オレには全てを嫌いになって腐った日々を送れっていう不毛話か?」
少々ズレた発言をあえてして嗾けてやれば、無言を返された。
でも、だ。
こいつはマジでひとつひとつ解決しなければ話が通じないタイプなんだから仕方がない。常識といえばいいのかなんなのか、感覚がここまで違うと、言葉にせず処理したはずのものが、いつ妙な形で投げ返されるかわかったものではない。
恨むものだと思われるのはわかるが、それ以上に恨めと指示してきたのは何故なのか。オレが出来ることがそれって、どう解釈してそこに至ったのか。きちんと聞いておいたほうがいいだろう。
「って、まあ、そこまでアンタが陰険だとは今は思っていないから、冗談はさておき、として」
「……」
ラナックなら、『今は、かよッ!いい根性しているじゃねぇーか、ああ?』ってな感じでツッコんできそうだが。流石に心中で収めたらしき男は、口を開かない。だが、眉ひとつ動かさないそれこそ、気に触る言い方だと言っているのがありありで笑える。
実際、からかい合う仲ではないので、オレも笑いはしないけど。
「アンタが言うようにこの世界を恨んだとして、どうなる?どうにもならないだろう? オレが生まれ育った世界とは違うから未だ理解なんてできていないけれど、でも、神だとか神子だとか聖獣だとか、異世界から人が来るだとか、オレの中にないそれらがこの世界なんだと言われればそれまでだ。オレ一人がおかしいと言ったところで何になる? 何ひとつ変えることなんて出来ないだろう。恨んでも、どうしようもないし、恨むところもない」
「ならば、召還を実行し、意図せずとはいえお前をここへと呼んでしまった者に対してはどうだ。怒りがないとは流石に言わないだろう」
二日前は答えられなかったその質問も、今夜はすんなりオレの中で消化され言葉が生まれた。
「目の前に居るなら、文句のひとつやふたつどころじゃない話になるだろうな。生まれてこの方、平和すぎるほど平和な生活をしてきたから子どもの喧嘩以上のことはしたことがないけど、ぶん殴るくらいはするだろう。殺してやるとか、そいつも同じ目に合わせてやるとかは思わないけど、簡単には許せない」
そう、恨まないとは言えない。
でも、オレはきっと恨み続けることも出来ない。
そんな感情に捉われていては、大事なことを見落としてしまうだろう。憎い相手のことなど忘れて、人生を有意義に楽しく生きていく方がいいに決まっている
この男はわからないというが、オレはそう考える人間だ。努力してでも負の感情を抑えて、面白いことにこそ目を向けていたい。
恨んだところで、帰る方法が見つかるわけでも、全て得の人間が同情し優しくしてくれるわけでもないのだ。日々を、人生をどう生きるかは、自分次第だ。
「でも、そいつはもう居ない、そうだろう?」
人によっては、恨むことが生きる糧となる場合もあるだろう。だから、この男が言わんとしていることもわかる。オレだって、聖人君子ではないのだから、まったく経験のない話でもない。ただ、一時の勢いではなく、改めて考えるとなると、マイナス感情は自分の性格上なんの得にもならないものだと思うのだ。
それこそ、死んだ奴相手に恨みを募らすなど、不毛すぎるもので。あえてそんな風に生きたくはない。
「……死んだと知ったところで、恨みはあるだろう」
「あるさ。でも、これまたどうしようもない」
「それで収められるほどのものか」
「少なくとも、オレはずっとアンタが私欲のために神子を欲したと思っていたんだけど、その時以上の恨みはその人には持っていない」
「俺が嫌いか」
「いけ好かないヤツだとはずっと思っている…いや、いた、かな。でも、この数日はちょっと正直わからない。こんな風に、酔っ払ったアンタは面倒だしムカついたり困ったりするけど、関係性としては悪い接触ではないと思う程度に歩み寄る気持ちはある。だから、嫌いは嫌いでも、前程でもない」
それも、噛み付かれていないうちに限るけれどと。やり込めに来たら、望みどおり恨んでやるさ、と。そう言いながら、まさかこの間噛み付くなと言ったのをこの男はいま実行しているのだろうかと思いつく。大人しいのは、一昨日のオレの言葉を聞き入れてのことなのか?
だから、さっき、もの言いたげにじっとりと見られたのだろうか?
「他の者はどうだ。お前にとって異世界の住人は、理解できない者ではないのか」
いやいや、オレにとって宇宙人はアンタひとりだ。奇人でさえ、変わってはいるが人だと認識しているので、その他の奴らなどかわいいものだ――っていうのは言いすぎで、かわいくない奴もいるのが現実だけど。それでも差別の対象になどならない。
「逆ならそうなったのかもな。この世界の奴らが来訪者を排することがあるように、オレの世界に別の世界の奴が来たんだったら、戸惑い困り果てて避けるだろう。同じような姿形でも、気持ち悪いと思ったかもしれない。だけど、ここではオレがひとりで、差別される側だ」
そう、オレが嫌われる方なのだ。
その中で、理解できないからと切り捨てる選択などあるわけがない。
オレは、切り捨てられる方なのだから。
「その立場で、他人を選ぶ余裕なんてあるかよ。心細すぎるこの世界の中で、オレをオレだとと認識してくれる人には縋りこそすれ、差し伸べてくれる手を払うことなんて出来ない。実際、オレはひとりきりであったなら、絶対にここまで堪えられていないだろうよ。丁寧に接してくれる彼らが居たからこそ、オレは今ここでこうしているんだ。生まれ育った世界が違う相手でも、、感謝こそすれ恨みなど皆無だ」
「お前は、強いんだな」
今気付いたようであり、けれども知っていることを念押しするかのように。男がゆっくりと瞬きをし、そう言った。
強い。
この男にそう見えるのだとしたら、それはオレの強がりが成功しているだけだ。
オレは、強くない。本当に強いのならば、こんな風に。自分にも教えるかのように言葉を紡ぎはしない。
「違う、逆だ。オレは弱いし、怖がりだ。この世界に来てからは特に、人の目ばかり気にしている小心者だ」
今だって、良くしてくれている人達に、来訪者だと知られたくないと思っている。彼らを信じていないわけではないし、例え見る目が変わったとしてもそれは仕方がないことだと思うけれど。納得できる理由があっても、実際に離れられたら辛い。疎外されることに耐えられる自信がない。
その恐れに比べれば、嘘をついている罪悪感なんて小さなことで。出来る限り、このままオレは嘘を付き通すだろう。今ある関係を壊したくないからと。
でも、そんなものは、強いとは言わない。
「そうは見えないが…」
オレの発言を少し考え飲み込んだ男が、今度は顔を顰め、至極真面目に言う。
酔っているからか、オレがよく見ているからか。思う以上に表情を変える男に、今まで対立してきたヤツだというのを忘れそうだ。不満に、不服に、不遜に、殺してやるとまではいかずとも、お前なんか簡単にどうにでもできるんだぞといった威圧感を撒き散らしていないと、案外ただの男だ。今なんて、ラナックよりも大人しい。
最初は飛びかかってきて怖ろしげだったのに、いつの間にか大人しくなるなんて、トラ公と同じじゃないか。あれ同様、傍に寄ってくるようになったらどうしよう。
ふもふもなトラ公はいいが、大人の男が近くに来ても微塵も楽しくないだろうなぁ。諍いがなくなれば嬉しいが、仲良くするメリットはこの男の場合どこにあるのだろう。
仲良くするのも、案外、面倒そうだぞと。
そんな捻くれたことを考えていたのがバレたのか。大人しさは継続しつつも、嫌味が飛んでくる。
「小心者が、あれほどまでに言いたいことを口にするのか。一国の王相手に」
「いやいや、アンタは別だから。オレが言っているのは、他のヤツのこと」
一体、どの発言に対してそう思っているのかわからないし。そもそも、いつでもこの男には噛み付いていた自覚もあるので誤魔化せるわけもなく。
正直にそう言ってやると、今度はふくれっ面らしき表情を作る。
さすがに、子どものように頬を膨らませているわけではないけれど。
うん、でも、それは自業自得だからなぁ。フォローなんてしてやらない、反省しろってものだ。
「わかるだろう? この世界のことは全て手探り状態のオレの中で、人に見放されるのは一番恐ろしいことだ。オレには、一人で生きていく知恵も手段もない。言葉でも行動でも、何がどこまで許されるのか、許されないのか、それがわからない。別の世界で二十数年生きてきた経験はあっても、それが通用しなければオレは赤子と変わらない。紡ぐ言葉の何が、踏み出す一歩の何が命取りになるのかわからない中では、他人はなくてはならないものに決まっているだろう。だからさ、オレには恨めるはずなんてないんだよ」
たとえ恨む強い気持ちがあったとしても。ここで生きて行くためにはそんなものは邪魔であり、どんな相手でも許さねばならないだろう。恨みは何も生まないが、許せばこの世界で生きていくための手段と成り得るかのもしれないのだから、オレはそれを選ぶ。
そう、それこそ、この男のことだって。
いつかではなく、もう許し始めているのだろう。虐げられた事実は消せないし、きっと同じことをされれば繰り返してしまうのだろうけど。
それでも、歩みは少しずつだろうが、寄っている。知ることによって。
「あのさ、オレだって聖人君子じゃないんだから、好き嫌いは当然ある。誰かを心底嫌ったことも、恨んだこともないとは言わない。まあ、性格的にマイナス感情は長く続かないんだけども」
勝手にグラスに酒を注ぎ足し、ついでなので喋りながらではあるが、男のグラスにも注いでやる。
「でも、元の世界に帰りたい、これは揺るがない気持ちだけれど、それイコールこの世界が嫌いとはならない。だから、全てを恨むなんてホント、マジで無理。そういう感情以上に、オレは好きという感情の方を大事にしたい。オレは、得体の知れない自分に優しくしてくれる桔梗亭の人たちも、ここで面倒見てくれている彼らのこともそうだし。アンタのことだって、いがみ合わなくてすむのならばそうしたいと思っている」
拒絶する相手に、されているオレがしないでくれと言ったところで意味はないだろう。でも、迷っている相手にならば、訴えかけることはできる。
オレの言葉を聞いてくれても、聞き入れてくれるとは限らない。でも、努力しなければ他人と分かり合えることなどできない。
無駄になろうとも言葉を向けるその瞬間は、確かに繋がっている。
「大袈裟だけど、これがまあ、オレの真実だな。アンタのわからない発言に対する答えなんだけど、役に立つか?」
さあどうなんだ、と。意味なくドヤ顔で向けたオレの言葉は、届いているのかいないのか。
じっと向かってくる視線は、あまりにもまっすぐで。今までならば偉そうな態度だと、オレが注いだグラスの中身だけが返されそうなものなんだけれど。やっぱり今日はおかしくて。
目を開けて寝ているんじゃないかと、ちょっと猫だましでもかましてやるべきかとマジで思い始めたころようやく、男は口を開く。
「わかっている」
「…なにが」
「お前がそうだというのは、今更だ」
「……」
いや、だったら訊くなよ。
オレが語ったのは何だったんだ、無駄じゃないか。
っつーか。オレの考え方を知っているのならば、わからないだとか言うなよ。恨みはないのか、恨めだなんだの言うなよ。
コイツ、マジなんなんだ…。
「……アンタ、相当酔っているだろ」
「そんなことはない」
「…じゃ、眠い?」
「疲れているように見えるのか」
「……ダラけてはいるよな、適当なことばかり言いやがって」
敵意むき出しでないバージョンは、これなのか。話が通じているようなふりして相手に一生懸命しゃべらせて、実は全然会話になっていないというオチなのか。こいつは、糠か暖簾かよ…!
今日の癒しでは差し引けないくらいの疲れが一気にくる。
……この話し合いは今後の関係において重要だと思い頑張っているオレの努力はどこへ……。
「…畜生、オレの方が疲れた、寝たい、酔いたい、帰りたい……」
せっかく噛み砕いて理解してもらおうと努めたオレの奮闘を無駄にしやがって…もう嫌だコイツ、と。全身で脱力し、グラスを持ったまま椅子の背もたれにオレは突っ伏す。
「なぜ嘆く」
「そりゃ嘆くだろ」
「知らぬ世界に放り込まれても耐えている奴がか」
「オレは、アンタと会話が通じなさすぎて嘆いているんだ」
原因のアンタが言うんじゃねーよ、と。
腕に伏せていた顔をあげ睨んでやると、相手はちょっとおかしそうに笑った。
「…笑うな」
馬鹿にした笑いじゃなく、面白そうに笑うのがムカつき。つい子どものように言ってしまう。
「ああ、悪い」
「……は?」
「だが、お前は思った以上に素直なんだなと思ってな」
「……え?」
「性根がまっすぐだ」
「…………キモい」
え?いま謝った?と驚いている間に、おかしな評価を向けられて。なぜそんなことを言うんだと考える余裕もなく、反射的にドン引きしてしまい。
口にした言葉が、それ。
自分でも、ちょっとダメだろ…と言った後で思ったが。出たものは仕方がない。
変わるのならば、オレの受け入れスピードにあわせてくれなければ。
危害はなくとも、結局は、害だ。
2013/11/17