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□ 勝敗の行方 □

「それって難しいのか?」
 先程までは確かにニュースを見ていた男が、一息入れたところにそんな疑問を投げ掛けてきた。いつの間にかテレビは消えており、筑波直純の身体は僕の方を向いている。
 一体、何が難しいのか。その質問が指すものがわからず首を傾げると、「サックスだ」と相手は軽く眉を寄せた。無心に練習していたのだが、五月蝿かったのだろうか。若干不機嫌な表情に、僕は軽く目を瞠る。もしかすれば、もっと早くから呼び掛けられていたのかもしれない。
「難しいのか?」
 ならば、謝っておくべきだろうか。その答えを決める前に、再びそんな同じ言葉が飛んで来る。何を拘っているのだろうか。
 僕は首を横に振りながら、ソファに座る筑波直純に歩み寄った。頭からベルトを抜きながら、立つように促す。
 出来たのが新しい楽器なので、サックスはそれ程難しいものではない。音が鳴らしやすいので、どちらかと言えば初心者向けになるのだろう。演奏は兎も角、吹くだけなら簡単に出来るものだ。
 折角興味を持ったのなら吹いて見れば良いと、僕は筑波直純にサックスを渡した。

「もう降参だ」
 半時間程格闘した男は、口が痛いと下唇を指先で撫でながら、僕にサックスを返して来た。
 そして。ソファに座り込みながら、側に立つ僕を見上げて言う。
「夢中なお前をこっちに向かせたかっただけなんだが、やられたな。お前がハマるのもわかるような気がする。ますます面白くない事態だ」
 簡単に嫉妬も出来なくなったと、筑波直純は盛大に顔を顰め、子供の様な笑みを浮かべた。
 全く、何を言っているのだろうか。恥ずかしい人だ。
 だが。
 僕もまた、彼が僕の好きなものに関心を持ったのが嬉しかった。…と言うのは、この際伝えないでおこう。
 言えばきっとこの男は僕を更に喜ばせようとするのだろうなと思いながら、呆れた様に肩を竦め、僕はサックスに息を吹き込んだ。

 男が嫉妬するくらいの音を響かせられれば、きっと僕の心はバレてしまうのだろうが、勝負には勝てそうな気がする。

2005/09/29








□ 小さな戦争 □

「ヤマトくん!」
 その姿に気付いた途端、幼子が両手を延ばして駆け出した。向かう先には、少し困ったように笑いながらも、腰を曲げ待ち構える千束。その横には、面白くなさそうな瑛慈。
 案の定。一生懸命走っていた幼子は、大好きな「ヤマトくん」に辿り着く前に、大人気ない男に行く手を阻まれる。額を押さえられ先に進めず、それでも手を伸ばす隆雅の姿は滑稽だ。だが、それで終わりはしないのが、水木雅の息子というもの。
「ヤマトく〜ん」
 涙を堪えて訴えれば、直ぐに助けて貰えるのを、小さな子供は知っている。
「意地悪しないで下さいよ」
「……」
「リュウくん、大丈夫?」
 千束がデコを擦ると、隆雅はコクンと頷き再び両手を伸ばした。しょうがないなと苦笑しながらも求めに応じて小さな体を抱き上げる千束の横で、瑛慈が無表情に子供を見下ろす。その視線を負けじと受け止めた幼子は、青年の目を盗み不機嫌な男に舌をだした。あっかんべぇ〜、と聞こえてきそうな気迫に思わず笑う。
「阿田木さん、どうかしましたか?」
「いや、別に。それよりも。久しぶりだな千束、元気にしていたか?」
「ええ、まあ、お陰様で……って、だからどうして笑っているんですか…」
 千束と挨拶を交しながらも、彼の死角で静かにやりあう二人に、我慢をする間もなく喉を振るわせてしまった。それを自分が笑われていると取ったのだろう、青年の整った顔が歪む。しまったなと思った時には、今の今まで隆雅に向かっていた視線が、まっすぐこちらに注がれていた。
 付き合いが長いので、ガンを飛ばされても、実は単なる嫉妬でしかないとわかってはいるのだが。それでも面白くないものは、面白くないと言うものだ。
「違うぞ千束。俺が笑っているのは、大人気ない嫉妬をしている男だ」
 その言葉で多くを理解した青年は、冷やかな一瞥を瑛慈に向け、どうぞ思う存分笑ってやって下さいと真面目な顔で頼んで来た。
 腕に抱く子供が満足げに笑うのを、当の千束だけが知らない。

2008/10/30








□ 光は無くとも愛はある □

「好きだ!」
 言った瞬間、頭を叩かれた。だが、こんな事でヘコたれるのなら、冷徹人間に告白などしない。
「愛してるんだ」
「……死ね」
 綺麗な顔にイチミリさえも感情を浮かべず、短くそう言い放つ。マネキンの方が表情豊かだろう。だが、却ってそれが面白い。
「結婚し――ウッ!」
 最後まで言わせても聞いても貰えず、オレの腹にめり込んだ拳が、そのまま直ぐにまた顎先に飛んでくる。ナマケモノかと思うくらいに怠惰のくせに、動けば意外と俊敏だ。
 ただし、暴力に限定されるのだが。
「痛ッ…………!!」
 効く、なんてものではない。顎を掠るようにして与えられた衝撃が、頭の中を揺さぶる。痛む腹を抱える事も出来ずに、オレは床へとダイビング。ガツンと鈍い痛みが肩から体を通り爪先まで突き抜けた。
 ……撃沈。
 だが。
 とっくの前からこの暴力男に落ちている身には、今更と言えば今更な沈み具合だ。
 そう。沈んだ分だけ、浮上する術も心得ているというもので。冷めた横顔を眺めながら、上擦る息を整える。
「――なあ」
「……」
「しようぜ、結婚」
 オチなかったのかと少し不服な顔で見下ろして来た相手に、今がチャンスと、言わせて貰えなかった言葉を俺は一気に口にした。
「お前を幸せに出来るかどうかはわからないけど、俺は絶対死ぬまで幸せでいられるから、結婚しよう。協力してくれよ、オレの未来の為に」
「……」
 触ったら串刺しにされそうな程いつも常に尖っているのに、呆れるくらい臆病なところがあるのをオレは知っている。手や足は直感で出すくせに、実は考慮深く、慎重派だ。
「一緒に居よう、問題ある?」
「……」
「あったとしても、オレは離れないけどね」
 肘を突きながら上半身を起こした途端、肩を押すように蹴られ、オレは再び床へと寝転がる。
「……何だよ、お前。照れて――」
 いるのか…?
 そう聞くはずが、口にする前に俺の視界が暗くなった。

 頭は痛いし、世界は真っ暗だが。
 それでも俺は幸せだ。

2006/02/04



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