□ 10 □
□ 黄金週間 □
今年のGWは一週間休みだと伝えた時、「三日は休みを取る、予定を入れるな」と言われた。普段の忙しさを考えれば素直に喜べるものではなく、「別に無理しなくていいよ」と答えると、「無理でも取る」と相手は宣言する。だが、たった一日の休みでも、それを得る為に大量の仕事を割り振り働くのだろう事を思えば、嬉しさよりもやはり心配が付きまとうと言うもので。
休暇を捻出するべく普段以上に働いている男を思うと、自分だけ休みを満喫するのはなんだか忍びなく。五月三日をそこそこ楽しみにしつつも、早く休みが終わればいいのにと思ったり。そんな自分に、俺ってダメダメじゃんと愛想をつかせたり。
結局、長期の休みを、自宅でゴロゴロと過ごし消化する。いつにもまして夜は遅く朝は早い男と擦れ違い顔を合わさない日が重なる度に、不安が募る。自分がわがままを言ったわけではないのだが、なんだか申し訳ない。
そんな風に、鬱々と過ごしていた五月初日。昼前にケータイが鳴った。ここ数日会っていない男からの、不意打ちだ。
『急だが、今から大丈夫か?』
「え?大丈夫だけど…どこか行くの?」
『今夜は都合を付けた。一泊しか出来なさそうだ、悪い』
「ああ、いや……全然」
三日と言っていたのは、五月三日ではなく、三日間都合を付けるという意味だったのだと初めて気付く。
『一時間で戻る。飯は食うな』
「あ、うん」
通話が切れた後も、しばしケータイを耳に当てたまま、男の言葉を頭で繰り返す。飲み込む度に、気分が急上昇していく。明日の予定はわからないが、泊まると言う事は少なくとも、最低でも丸一日、二四時間は一緒に居られると言う事で。
「ヤッタッ!!」
ガッツポーズをし、俺は子供のように飛び跳ねる。さっきまで沈んでいたのに、現金なものだ。
さあ、何を着ていこうか。何を持って行こうか。胸躍り、地に足付かぬこの状態で、果たして一時間以内に出立準備が整うのか。
その自信は、全くない。
「トップdeお題」から
□ この場所に □
「お疲れ様です」
俺の目を真っ直ぐと見つめ言った福島が、90度に腰を折った。同じ便で帰国した千葉までも、倣うように頭を下げる。
「お帰りなさい」
「ああ…今帰った」
ただいまと落とす言葉に笑いが混じった。福島の顔を見、帰って来たんだと実感出来たからなのか、安心感のようなものが込み上げる。
「意外だな。岡山は居ないのか」
人混みの中、足を進めながら問い掛けると、福島が当然のように頷いた。
「この中で大泣きされては困ります。恥ずかしくて連れ歩けませんよ」
福島のその苦労を知ったのは、駐車場に停められた車に乗り込んでからだ。必死で我慢をしているようだが、溢れる涙を抑えられず、運転はさせられないと助手席へ追いやられた岡山が唸り続けている。自分の名を連呼する部下を落ち着かせる事を諦め、俺は約一年振りの街を眺めた。
懐かしさはなかった。だが、愛おしさは胸にある。それは自分の女々しさを覚えさせるものでもあったが、今だけはいいじゃないかと己を許す。
「サンタクロースに感謝です。最高のプレゼントですよ」
「サンタはお前にやったわけじゃないだろよ。第一、感謝するのなら筑波さん本人にしろ」
「それは当然しています。ただ俺は、普段はしない事をしてしまうくらいに嬉しいと言う事をですねぇ――」
何の事だか、千葉と岡山のそんな騒ぎ声に現実へと引き戻され、年末の街並みから視線を車内へと戻す。
隣の福島を見ると、珍しく困った顔を見せてきた。立場的に注意しなければならないのだが、今ばかりは二人を咎める事は出来ない。そう言ったところだろうか。
この地に、この場所に、戻ってきた事は正しいのか。自分は後悔しないのか。それはまだ、今は何もわからない。しかし、三人の様子に、ここに居る事は間違ってはいないのだと、俺は自信を持つ。
例えこの先何があろうとも。ここに居る事を、間違いにはしたくない。
「トップdeお題」から
□ 成長 □
「樋口は、雪じゃなく氷柱だな」
言われた言葉にピンとこず、どういう意味でしょうかと問うと、荻原は身長の事だと笑った。
「一気にグンと伸びるんじゃなく、気付かない程度に少しずつ伸びたよな。ここに来た頃は小さかったのに、いつの間にかデカくなって」
「それが何故、氷柱なんです?」
井原が首を傾げる。
「氷柱って、軒下にぶら下がるアレでしょう?」
「ああ、そうだ。だが、時間をかけてゆっくりと上に向かって伸びていく氷柱もあるんだ、知らないか?」
「えッ、上に伸びるんですか?」
「そ、洞窟の中でな。天井から落ちる雫が氷柱になるんだ。樋口の背の伸び方は、正にそれだ」
「なるほど。ちなみにですが、逆に俺は竹みたいでしたね。中三の時、一年間で15センチ近く伸びましたから」
「へえ、骨が追いつかず、痛かっただろう?」
「そりゃもう、泣いてましたよ」
当人を放って盛り上がる上司と同僚。酒の席での話題は何でも良いようで、そのまま話はどんどんとずれていく。
樋口は荻原の幼少期の武勇伝を耳に入れながら、話題に上げられた自分の事を考えた。確かに、二十歳をすぎてもなお、背は伸びているようだ。それは本人すらも気付かぬくらいの成長。だが、それでもいつか。このまま伸び続ければ、いつか。あの人に追いつくのだろうか。追い越すのだろうか。
そんな事をふと思い想像し、樋口はひとり小さな笑みを浮かべた。
「ナニ笑ってんだよ?」
目敏くそれを見つけた同僚に、なんでもないと視線だけで答えグラスを煽る。
サラリとした日本酒は、透き通った氷の柱を思い出させるものだった。
「トップdeお題」から
□ LOVE □
信号待ちでの停止中、前触れもなく車に軽い衝撃が落ちた。トンッバンッと予想の付かないそれに顔を上げると、フロントガラスにクマが張り付いていた。着ぐるみクマがボンネットに腰掛け、車内を覗いている。
「……開けてやってくれ」
異常事態に身構えかけた前席の二人を制し、俺は許可を出す。だが、当然ながらどちらも反応が鈍い。その間も、クマはドンドンと両手を振り上げガラスを叩いている。
これがもし暴漢だというのならば、このまま車を発進し轢き殺されても自業自得だろう。だが、愛嬌たっぷりのクマは、全くそうとは思えない。細かい作業は無理だろう太い指で、一体ナニが出来るというのか。分厚い着衣に拳銃を隠し持っているのだとしても、あの指では引き金は引けない。よって、刺客には成り得ない。
開かない窓を待っていては、目撃者に通報されるなと、ドアを自ら開け足を下ろす。俺の行動の意味に気付いた松本が慌ててそれを止めようとしたが、大丈夫だと目で応え、車外に下りる。
「危ないだろうナナミ、降りておいで」
声を掛けると、飛び跳ねるようにクマが側までやって来た。信号が変わり走り出した車を避けるため、一緒に歩道へと上がる。
「よくわかったじゃん」
体の割には大きい頭を取り外し、素顔を晒したのは、予想通り恋人だった。
「決まっているだろう、愛の力だ」
「バ、バカ!」
ンな事言うなよと唇を尖らせながらも、顔を赤く染める姿が可愛くて仕方がない。車を見かけたからと、バイト中にも関わらず駆けよって来る恋人の方が、街中で愛を囁くよりも直球だと思うのだが。自分の事はあまり気にならないらしい青年に怒られつつも、ついつい手を伸ばし体に触れてしまう。
「ダメだよ、オレ汗臭いから」
「そうか?」
わからないぞと嗅ぐ振りをして、湿った額に唇を落とすと、二方向から抗議の声が上がった。
「ふざけるな!もう知らねェ!」
「社長ッ!」
赤くなった顔を隠す為、クマを被り去って行く恋人の後ろ姿を暫し眺め、俺は噛み締めていた笑いを溢した。
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□ 海の日 □
ハッピーマンデー法により、三連休が多くなった分、無給奉仕が増えた。休日出勤は比較的前半に集まり、土曜の昼前までには半数の者が職場に顔を出している。先に仕事を済ませ、後半はゆっくりと休む考えが主流なのだろう。よって、必然的に月曜の祝日に出勤するのは、本格的に仕事をする者だけだ。
「おい、お前だけ世界が違うぞ」
「気のせいだ」
いや、断じて気のせいではない。いくら、休日出勤は私服が認められているとはいえ、ランニング短パン草履で出社する奴は他にはいないだろう。内勤者ならTシャツGパンでも問題はないが、営業ならば大抵、そのまま営業先に出向いても失礼ではない程度のシャツにスラックスが普通だ。間違っても、剥き出した二の腕に模様は付けていない。
「遊ぶのなら、自分の部署で遊べ。こっちにまで来るな。って言うか、仕事しないのなら帰れよ」
「今日は丸一日働き通しになるだろう俺様に、なんて事を言うんだか。冷たい奴だな」
「全然働いているようには見えないんですが、オイ。何もしていないだろがボケ!」
「そうか?じゃ、今は休憩中と言う事で」
「去れ」
「ンな怖い声出すなよ阿部ちゃん。第一、お前だって仕事をせずに俺とダベってんじゃん? お互い様だよお互い様〜」
何を言う。俺は、仕事の効率と俺の能率を上げるために、まずは職場環境を良くしようとしているんだと。お前が目障りで仕事が捗らないのだと、溜息と共に吐き出しかけた言葉は、結城のケータイが音を上げた事により引っ込んだ。
「あ、社長。おはようございます。え? ああ、はいはいはい。大丈夫ですよ、準備オッケイいつでもどうぞ。――あはは、任せて下さいよ。女の子を捕まえるのは得意ですから、心配しないで下さい。じゃ、後程って事で。はいはいどーも、失礼します」
ツッコミどころ満載な会話を披露し、「と言う訳だ、じゃあな!」と勝手に締め括り、草履をペタペタ鳴らしながら結城が去って行く。一対、ナニがどう、「と言う訳」なのか。社長ってどこの社長さんだよ、女の子を捕まえるってナンパだろ、それが仕事だって? オイオイオイ!
「……アイツ何してんだ?」
なあ?と答えではなく同意を求めて振ったオレの呼びかけは、黙々とパソコンに向かっている橋本にキレイサッパリ無視され、部屋の隅へと飛んでいった。
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