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□ 変身――猫 □

 目を開けると、そこに尖った耳があった。
 よく見ようと近付くと、男の腕に抱き取られた。
 無意識なのか、起きる気がないのか。そのまま僕を抱いて動かないので、これ幸いと僕はそれを間近で見分する。
 これは、猫の耳のようだ。
 筑波直純の頭に、猫の耳がついている。
 しかし、一体どうしてなのか。
 まさか、僕にこういう好みがあると思ってつけたとか?
 それとも、この男がコスプレ趣味を持っているとか?
 悪いが、僕は擬人化キャラは好きではないので、耳でも尻尾でも肉球でも、どれも萌えない。筑波直純が勝手にやっているのは一向に構わないが、一緒に楽しむ気はない。むしろ、朝から見て楽しいものでもないだろう。
 止めてくれと、よく出来たフサフサの耳を掴み、僕はそれを外してしまおうと引っ張ったのだが。
「ッ…!」
 筑波直純が低く呻いた。
 僕は僕で、あっさり取り外せると思ったのに、予想以上の抵抗感をみせられて眉を寄せる。
 この耳。まるで、頭皮にくっついているかのようだ。
「…何をするんだ、保志」
 引っ張るな、痛いだろう。そう文句をたれながら男は髪を掻き回し、漸くその存在に気付いたのか、指でそれを摘み固まった。
 恐る恐るというように、自分で引っ張ったり曲げたりするその様子を見るうちに、どうやら本人がつけた玩具ではなく、きちんと生えているものらしいと僕は悟る。
 黒い髪の間から角のように出るふたつの耳は、本物、というわけだ。
「……これは、何だ?」
 身体を起こしながら茫然と呟く男に、僕は猫の耳だと告げてやる。
「……何故、そんなものが俺の頭にあるんだ…?」
 そんなこと、僕に訊かれてもわからない。
 生えたからでしょうと応えると、「だから、どうして生えるんだ?」と更に問われた。
 それこそ、僕にわかるはずがない。
 ベッドに腰掛けた状態で、頭を抱えるようにして項垂れる筑波直純を眺めながら、僕は少し考える。
 はっきり言って、猫耳はマヌケだ。だが、生えたものは仕方がない。耳として機能しているのならば切り取るわけにもいかないのだ。諦めるしかないだろう。
 そういうプレイは絶対に遠慮したいが、好みじゃないからと言って、筑波直純を避ける気にはならない。それは選択権がないのも一緒で、やはり、しょうがないと妥協するしかないのだ、僕も。
 見慣れたら、可愛く思えるかもしれないと。そのうち慣れるさと、そう思って。
 僕は、髪より柔らかいそれに口付けを落す。
 解決策を見出したいのだろう筑波直純は、僕の行動に納得出来ないと顔を顰めたままであったけれど。
 僕を前に暫く沈黙を作り、そうして溜息の後に言った。
「……お前がこれでいいのなら、いい事にする」
 全然良いとは思っていない声音ながらも、それでも多少の決心はしたのだろう。
 そんな男を馬鹿だと思いながらも僕は満足し、今度はきちんとその唇に自分のそれを押し当てる。
 指先で猫耳を弄ると、筑波直純は笑うように喉を鳴らした。

 可愛く感じる日が来るのは、案外、とても近いのかもしれない。

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□ 変身――戸川 □

 覚醒の途中で傍らの気配に気付き、目を開ける前に腕を伸ばした。
 手を握られ、その温もりに安堵をしかけたのだが。
「……?」
 違和感を覚え、モゾモゾと動き布団から頭を出す。
 目を瞬かせながら手元に視線を向けると、思った以上に綺麗な手が俺の手を包んでいた。それがどういう意味であるのか理解する前に、目線を上げた俺は瞬時に固まる。
「…………なんで、貴方がここにいるんですか…?」
 俺の言葉に、戸川さんは僅かに目を細めただけで口は開かない。
 もの凄い気まずさを覚えながら、ゆっくりと手を引き抜き、俺はベッドの上で起き上がった。ガシガシと頭を掻きながらこの状況を考えるが、何も思えない。
 何故、戸川さんが寝室に居るのか、どれだけ考えようがわからない。
 こんな早朝に、ベッドで眠る俺に、一体なんの嫌がらせだ。
「……戸川さん」
「戸川じゃない。入れ替わった」
「……はい?」
「気付いたら、入れ替わっていた」
「…………」
 静かな眼で、意味不明なことを言われた。
「大和」
 名前を呼ばれ、髪を撫でられ、頬を指で擦られ。
「……水木…?」
「ああ」
 呆然と呟いた俺の言葉に、しっかりとした頷きが返るけれど。自分で言っておきながらも、その答えは直ぐには受け入れがたいものだ。
 それでもたっぷり時間を掛けて、目の前に居る戸川さんは、けれども戸川さんではなく、中身は水木であるのだと俺はなんとか納得する。
 何がどうなっているかなんて、それを理解する事は無理だ、出来ない。本人さえもわからないのだから、それを解明するのは早々に諦めるしかなく、考えるだけ無駄だ。
 ただ。姿形は戸川さんだけど、その仕草や雰囲気や眼差しは水木のものであるのは間違いはなくて。
 戸川さんの新たな嫌がらせである可能性も頭の隅に残しつつも、俺はこの現状を、目の前の男が説明するもので受け取る事にする。
「……入れ替わったって、大変じゃん」
 大事も大事だ。なのに、何故にこの男は落ち着いているのだろうか。
「そのうち、戻るだろう」
 その根拠はなんなのか。どこからその自信はくるのか。危機感なんて持っていないんじゃないかと思いながら俺は男を眺め、諦めるような溜息を吐く。
 容姿に拘らない水木ならば。
 もしかしたら、別に元に戻らなくてもいいと思っているのかもしれない。
 だけど、俺としては、その意見は却下だ。中身が水木だとしても、戸川さんの姿で触れられるのは、正直キツイ。
 早々に元に戻ってもらわねば困る。
「……ヤメロ」
「……」
 近付いてきた身体を押し返すと、小さく眉を寄せられた。だが、俺の眉間の皺の方が深いのに気付いたのだろう。キスを仕掛けた事などなかったかのような顔をして、男は立ち上がる。
「…行くの?」
「ああ。今の戸川を野放しには出来ないからな」
 その言葉に、少し違和感を覚えながらも、俺は頷く。
 確かにあの戸川さんの事だ。水木の身体を手に入れたのなら、何をするかわからない。あまり離れるべきではないだろう。
 だけど、だったら。こんな時間に、その状況でわざわざ来なくてもいいのに。
「…いってらっしゃい」
 気を付けてと、離れていく背中を見送る。
 けれど、俺は。
 どうして、あえてその姿で俺のところへ来たのか、不意に答えがわかったような気がして。
 次の瞬間にはベッドを飛び出し、階段の途中で男を捕まえてしまう。
「……今度は、ちゃんと帰って来い」
 待ってるからと背中に唇を当て囁くと、腹に回した俺の手を、男は数度苦笑するようなリズムで叩いた。

 不安になったのは、俺だけではなかったようだ。

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□ 変身――女 □

 胸に何かが乗っている。
 僅かな重みが気にかかり、無意識に近い感覚で寝返りを打ち、漸く異常を知る。
 胸に手を這わせると、そこには大きな膨らみがあった。
「……」
 思うようには開かない瞼をそれでもこじ開け、薄暗い中で確認をしてみても。やはり、胸は女性のようなものになっている。
 けれど、だからと言って、真夜中に出来る事はない。邪魔だと今すぐ切るわけにもいかない。
 急に大きくなったのならば、急に萎むこともあるだろう。
 それよりも、眠い。今は睡眠だと、落ちる瞼と同様に、再びベッドに沈み俺は意識を手放したのだけど。
「……どういうことだ?」
 朝が来ても、俺の胸は大きいままだった。
 正確には、胸が出来たのではなく、俺は男から女になっていた。
 しかし、どういうことかと訊かれても、答えようがない。
「…さあ」
 俺の変化に絶句し固まった男が、やっと口を開き紡いだ言葉は俺自身が聞きたいもので。
 雨宮に覚えがないのならば、もう肩を竦めるしかないと、俺はそれを実行したのだけど。
 何を怒る必要があるのか、「ミナトッ!」と珍しく怒声に近い声で男は俺の名を叫んだ。
「さあ?じゃないだろう! 何をそんなに落ち着いているんだ。それとも、それはお前が望んだ事か!?」
「まさか。だが、女になったのは俺だ。アンタが焦ってどうする?」
「焦るのは当然だろう。突然、男が女に変わったのだから」
「だが、問題はない」
「…ナニ?」
 何を言っているんだと眉間に皺を寄せる男に、俺は近付きその身体に腕を伸ばす。
「アンタは、俺が男じゃないと、契約を打ち切るのか?」
「……」
「女にも同じ穴はある。胸や性器を見たくなければ、そういうプレイをすればいい」
「…………」
「前を弄らず、後ろだけで俺を達かせた事もあるだろアンタ」
「……ミナト」
 名前を紡ぐ男の唇に自分のそれを近づけながら、「どこに問題がある?」と囁きかける。
 俺がここに居るのは、雨宮がそれを望んだからだ。
 雨宮がそれを望んだのは、自分に都合のいい相手を求めたからだ。
 俺が女になったとしても、性格が変わるわけでも、セックスが出来なくなるわけでもない。
 雨宮が、了承すればいいだけの事。
「…それでも、アンタは俺を捨てるというのか?」
 乾いた唇に唇を当てると、痛いくらいの力で身体を抱き締められた。
 激しくなる口づけの中で、ただひたすらに堕ちろと思う。

 愛しているというのならば。
 どこまでも、堕ちて来い。

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□ サンタクロース □

 12月24日。
 女の子と二人ならば、クリスマスイヴだからと言えるけれど。
 男友達数人と騒いだのは、今日が二学期の終わりであったからだ。
 賑わう街でダラダラと、それでも楽しく遊んで帰宅したのは、日付が変わる少し前。テレビを見つつ休憩をして、お風呂に入って、寝る前に水でもと、乾いた喉を潤す為に向かった台所には越智が居た。今帰ってきたばかりのようで、ネクタイを弛めてもいないスーツ姿。
 近付くと、冬の冷気が香る。
「まだ起きていたのか、若」
「もう寝るよ」
「ああ、そうだな。早く寝ないと、サンタが来てくれないぞ」
 腕時計に目を落とした越智が、午前一時のそれに軽く笑ってそう言った。幼い頃、夜更かしする悪い子供にはサンタクロースは来ないんだと、イヴの日は早々にボクをベッドへ押し込んだ男が懐かしそうな表情を作る。だけど、ボクにとっては別段楽しくない記憶だ。
 だが、だからといって、そのからかいに反発して、まだ寝ないよと噛み付く意味もない。サンタクロースを望んでいる訳ではないが、忠告に従い休むとしよう。
 そう、コップ一杯の水を飲み、ボクはオヤスミと言って立ち去ろうとしたのだけど。
「……ねえ」
 今なお、どこか顔の筋肉が弛んだような、昔の無垢なボクとの遣り取りでも思い出しているのだろうな越智のその顔をどうにかしたくて。今のボクを見て欲しい気分になって。
 ボクは呼び掛け、越智に向かって右手を出す。
「プレゼントは?」
 サンタクロースなんて、もう信じていない。何より、早く寝なきゃ来てくれないのならば、ボクはもう失格だ。
 でも、この男なら。
「くれないの? 越智」
 首を傾げてみれば、越智は「俺はサンタじゃないぞ」と呆れたけれど。その眼は笑っている。今のボクを映している。
 それにボクは満足を覚え、空のままの右手を降ろそうとした。
 けれど。
「…ァ」
 下げかけた手を掴まれ引かれ、狭まった距離を感じる間もなく、額にキスを落とされた。
 風呂上りの温まった肌には、越智の冷たいソレが気持ちいい。なのに、それを味わう暇もなく唇も手も離れていく。
 ホンの一瞬の接触。
「……」
 …っていうか。今のは何? どういうつもり?
 まさか、これがプレゼントだとでも…?
 驚くボクを満足げに見下ろす越智を見て、何だか釈然としない気持ちが溢れ、思わず言ってしまう。
「コレだけ…?」
「……」
「…ケチ」
 本気でそう思ったわけではなく、勿論、越智のからかいに対する軽口だけど。
 若干不服げに言ったのがいけなかったのか、スッと笑みをけした越智が、さっきと同じように顔を近づけてきた。
「…ンッ、……ァ、あ、…ンンッ!」
 二度目に落とされた唇は、額ではなくボクのソレ。少しかさついた厚みのある肉をリアルに感じ腰が引けるボクを、片腕でがっしりと押さえ、口腔までをも蹂躙する。
「悪ガキだな、若」
 反撃にしては度を越えたキスにいいように啼かされたボクは、「喰われたくなかったら大人しく、とっとと寝ろ」と背中を押され、今度こそ素直にそれに従った。
 自室に戻って、ベッドに入って、ふと気付く。
 先の額へのキスは兎も角、後のアレは、ボクにとってはプレゼントじゃない。むしろ、奪われたようなもの。与えるのではなく巻き上げるとは、酷いサンタクロースもいたものだ。
 越智はどう頑張ってもサンタにはなれないのだろうなと思いながら、ボクは遅い眠りについた。

   翌日。
 違和感に目を覚ますと、何故か越智が隣りに寝ていた。
 靴下には入ってはいないけれど、今年のプレゼントはなかなか大したものだ。人間をプレゼントするとは、粋なサンタクロースもいたものだ。
 やはり本物は違うなと、ボクはひとりニンマリと微笑み、贈り物となった自分の運命を知らずに眠り扱けている男の肩に顔を埋めて二度寝を決め込む。
 寝坊をすれば、いつもならば越智は怒るけれど。今日からはボクのものらしいし、大丈夫だろう。
 何より、学校は昨日で終わり。楽しい冬休みなのだ。
 こんなにも気持ちのいい温かいベッドから出る理由はない。

2008/12/24



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