□ 20 □



□ 接触 □

 昼休み。職場近くのコンビニへ向かう途中、白名さんと会った。
「時間はあるか?」
「二時まで休憩です」
 答えると同時に助手席のドアが開かれる。オレと同じく昼食はまだだという事で、一緒に近くの店で食事を摂る。
 最近はどうだとの問いに、変わりはないと答えたのは全てに対してだ。仕事も、生活も、日々同じ事の繰り返し。だが、オレはその有難味を知っている。
 けれど、白名さんにすれば、つまらないのか味気ないのか。オレから近況報告を受けると顔を顰めた。
「さっさと一緒に暮らせ」
 溜息のように落とされたそれに、オレは瞠目する。
「え…?」
 一緒に…って。
「白名さんとボクが一緒に暮らすんですか?」
「……馬鹿か。古椎とお前に決まっているだろう」
 おかしな事を言うなよと白名さんは呆れるが、他人の同居を指示するのはもっとおかしい話だろう。短い言葉では白名さん自身に誘われているのかと勘違いしても仕方がないというもので、オレばかりのせいではないと少し憮然としてみせると、心底からの苦笑を零される。
「のんびりしてるとなァ伊庭、また逃げられるぞ」
「逃げる?」
 …一体、何の話だろう?
 また会話が移ったのかと思ったが、そうでもなかったようで。
「古椎は、それが得意だからな」
 そう言って、白名さんはニヤリと口角を吊り上げた。
「……」
 古椎さんは、いつでも揺らぐことなくそこに在り続けているような人で。逃げ出す姿なんて想像も出来ない。
 だが、言われる言葉の意味はよくわからないけど、とりあえず白名さんはオレと古椎さんの事を気に掛けてくれているのだろうから。
 考えて、考えて、オレは口を開く。
「大丈夫だと思います。ボクはこれでも、探し物を見付けるのは得意ですから」
 数秒の間を置いて響いたのは、大きな笑い声だった。どこがだと、そんなに器用じゃないだろうと白名さんが笑いの合い間に突っ込んでくる。
 確かに、オレは器用じゃない。
 だけど。
 全てをなくしたと思ったのに、今はどうだ。気付けば沢山のものをオレは持っている。欲したものを手に入れている。だから少しくらい、得意なんだと自惚れたっていいだろう。
 笑う白名さんを見ながら、不意にあの男に会いたいと思った。この前、声を聞いたけれど、暫く姿を見ていない。
 触れていない。

 だから、そう。
 今夜は、彼をこの手に。

「トップdeお題」から








□ 催促 □

 偶然、コンビニへ向かう途中の伊庭を見付けたので拉致した。内心では羨むだろう同僚を思い浮かべ、自慢してやろうと笑っていたのだが。そんなからかいは、伊庭の近況を知るにつれ消えていった。
 正直、笑ってなどいられない状況だ。
 そろそろこの月も終わろうかというのに、最後に顔を合わせたのが先月とはどういう事なのか。電話で喋ったのは先週だと言うが、よく聞けば会話にも何もならない、ただの連絡だ。加えて、二人ともメールでこまめに遣り取りをするような性格はしていないときている。
 同僚とこの若者の関係が復活し、微笑ましくさえ思っていたが。なんだ、この殺伐としたような状況は。
 なまじ、一度はっきりとさせている分、あの頃よりも悪いんじゃないか?
 そもそも、何が一番悪いかといえば。接触を持たない現状を問題にも思っていないこの若者自身だろう。少なくとも、同僚は現状を快くは思っていないはずだ。
「……さっさと一緒に暮らせ」
 お前ら、付き合っているんじゃないのか?――なんて。流石に、言えはしないが。
 余りにも馬鹿みたいなその状況に呆れ果てて、思わずそんな命令じみた忠告が口をつく。そう、同僚が忙しいのは改善しようもないし、伊庭を欲深くさせるのも無理なので、解決策はこれしかないぞという意味で俺は言ったのだ。
 だが。
 この若者は、俺の心配を受け取りもしない。
「白名さんとボクが一緒に暮らすんですか?」
 少し驚くような表情を作った後、真面目な顔で伊庭はどうしてでしょう?と小さく首を傾げた。
 ……何故、俺がこいつと一緒に暮らさねばならない。意味不明だ。
「…馬鹿か。古椎とお前に決まっているだろう」
 さすが、恋人は愚か友人以下ではないかと思えるそのコンタクト量の少なさに全く危機感を持たない男の反応だ。確かに天然だと思っていたが、それは俺の想像以上だったらしい。
 これでは古椎も苦労している事だろうと、同僚を哀れにさえ思う。
 奴もまた、色恋に現を抜かす性格ではなく、その優先順位はとても低いが。この若者ほどではない。相手の何倍も、会っていない事を意識しているはずだ。
 伊庭のように、会わない事を、言葉を交わさない事を、日常にはしていない。
「のんびりしてるとなァ伊庭、また逃げられるぞ」
「逃げる?」
 本気でわからないらしい伊庭が、考え込むように少し眉を寄せる。
 あの時、古椎は完全に逃げを打った。それなのに、それさえもこの若者は気付いていないらしい。「古椎はそれが得意だぞ」と、馬に蹴られるのも承知で俺は言うのだが、全く相手には伝わらない。
 そう、伝わらないのだが。
 少し困ったような表情を見ていれば、不思議な事にこの男はこれでいいのだと思えてくのだから、なんとも性質が悪い。
 同僚ばかりではなく、自分もまたこいつに甘いのだ。焦れったいほどの伊庭のペースを守ってやりたくなってしまう。
 だから、若干匙を投げ、責任転換するように頑張れよと俺が胸中ではっぱを掛けたのは。
 勿論、いじらしいくらいに待つ若者ではなく、今なお手を拱いている感のある同僚に対してだった。

 伊庭を動かすのは俺には端から無理であったと知る今日この頃。
 偶には、奴の仕事を軽くしてやるのもいいかもしれない。

「トップdeお題」から








□ 降参 □

 お兄ちゃん、大好き。
 大好きだよ、お兄ちゃん。
 そう言われ続けて十余年。始めはとても嬉しくて、言われるたびに小さな身体を抱き締めていた。自分も同じ気持ちだと言葉と態度で思いに応えていた。そのうちに慣れてしまい、おざなりに返事をするようになって、いつの間にか当たり前にもなって、近頃ではちょっと鬱陶しくさえ感じていた。でも、それは、照れ隠しに近く、言わなくてもわかっているからと言うもので。決して、嫌ったわけではない。
 そう、俺にとっては、いつでも。いつまでも。ススムは大事な弟みたいなものなのだ。
 だから。
 こんな暴挙に出られても、驚くばかりであり、怒りは湧かない。
 ホント、湧かないのだけれど。
 だけど、このままというわけにもいかない。言い訳はしないが、説明ぐらいはさせて欲しい。
「……あの、な? えっと、ススム…とりあえず、降りてくれないか? な?」
 顔を真っ赤にして、怒ったような泣くような表情で俺を見下ろすススムに言ってみる。俺の身体を跨ぎ、腹の上に乗っている従弟の膝を宥めるように叩いてみる。
 忙しさゆえに、若干邪険にしていた後ろめたさがある俺としては、「ヒロ兄がオレのこと嫌いでも、オレは好きなんだッ!」と叫んで圧し掛かってきた従弟をさらに追い詰める事は出来ない。ごめんな、悪かったなとしか言えない。
 だから、オレはそう言ったのだ。心からの謝罪を。
 けれど、ススムから返ってきたのは思わぬ反撃で。
「…えっ?」
 退けるどころか逆に近付いてくる顔に、頭突きでもされるのかと怯んだ瞬間、唇を奪われた。
 押し付けるだけのキスは、けれどもススムの震えを俺に伝えてきて。行為よりも、その状況に混乱する。
「……オレの好きは、こういう意味だよ」
 怯えながらの口づけの意味を、そう説明した。泣く寸前の表情に、俺はコクコクと頭を振り頷く。わかったから、頼む。泣かないでくれ。
 俺はススムの涙に弱いのだ。可愛いからとからかっては泣かせてしまい、慌てふためいては機嫌をとるのは昔から。
「あ、え、そうだな」
 本来ならば、泣きたいくらいに困惑するのは俺の方なのだけど。ススムの涙の前では弟の告白など取るに足らないことで。俺は下瞼に溜まるそれを零させないように、必死で言葉を探す。
「いつからなのか、聞いても…?」
「…ずっと前から」
 ゆっくりと肘で体を支えて起き上がっても、ススムは俺の上から降りはしない。変わりに、まるで謝罪でもするかのように、間近になった視線が下がった。伏せられた瞼、意外と長い睫を見ながら、好きだと言われ続けていたその意味を考える。
 一体、いつからアレにそんな意味が込められていたのか。
 同じ言葉なのだから、もっとはっきりちゃんと言ってくれないとわからないと言うのに。いきなりキレるな。そして、泣くな。
「馬鹿だなススムは」
 笑いと共に零したその言葉にビクリと身体を震わせた従弟を押しやり、俺はその体の下から抜け出す。
 図体は大きくなったけれど、まだまだ子供なのだ。可愛くないわけがない。
 さて、どうしてやろうか?
 口角を上げた俺をどう思ったのか。ススムの眼からポタポタと雫が零れる。それはもう、盛大に。

 俺がすぐさま降参しその身体を抱き締めたのは言うまでもない。

「トップdeお題」から








□ 無敵 □

「ハ〜イ、ダーリン。愛してるよ!」
 だから、現国の教科書貸してくんない?――と。そう続けるはずの言葉は、知らない低い声に遮られた。
『…誰だお前』
「えッ!?」
 誰何されつつも驚いた俺は、思わずケータイを耳から遠ざけ電源を押す。
「どーした? 珍しいな、振られたか?」
 前の席に座っていた筒井が首を傾げる。だが、相手にしている暇はない。今のは誰だったんだと、こっちが聞きたいぜと、驚愕から立ち直った胸で悪態を吐きながらアドレスを呼び出す。掛けるのは、いま鳴らした相手と一緒のクラスの友人だ。
 確認すると、目当ての人物はきちんと学校に来ていた。直接確かめるべく、俺は教室を飛び出す。
 友人はごく普通にそこに居た。
「いつからお前は男を相手にするようになったんだよ!」
 別棟から全速力で駆けてきた勢いのまま、机に手を叩きつけ詰問するが。
「決まっているだろ、ハナに無理やり奪われてからだよ」
 にっこりと笑って答える友人に、俺の剣幕は届かない。いつものオフザケ会話ではないのだと顔を顰めるが、気付きもしない。
「…お前、ケータイは?」
「ケータイ?」
「電話したら、なんか感じの悪い男が出たんだけど」
「あ、忘れたんだ。ゴメンねハニー」
「それはいいから、マジあれ誰?」
「たぶん越智」
「誰」
「浮気相手」
「…俺を捨てるのか?」
「捨てられないように自分を磨きなよ、ハナ」
「…そんなにイイ男なのか、あいつ」
「誰?」
「オチだよ!」
 あくまでも軽口を続ける姿勢だった友人が、そこで漸く俺の真剣さを意識した。本気で俺は聞いているんだと伝えるように、「ナニモノなんだ?」とゆっくり問い掛ける。
 高校に入ってからの友人だから、まだ期間は短いけれど。打てば響くこの心地良さにどんどんのめり込んでいっている身としては、忘れたケータイに出る男の存在を無視することなど出来ない。
「何って言われても……なんだろう?」
「…俺に聞くなよ」
「ま、そんな事よりも、ハナ。電話の用件はなに?」
 あっさりと流してしまうその適当な性格が、時に憎たらしい。いつもはこうであるからこそ、俺と馬鹿な会話で遊んでくれるのだとわかっているのだけど。なんだか、とても悔しい気分だ。
「用があるんだろ?」
「……現国の教科書貸して」
「ああ、いいよ」
 頷いて、後ろのロッカーから教科書を持ってきた友人は、笑いながら顎を少し付き上げて言う。
「有り難く使いなよ」
 普段は常にほのぼのとしている少年が、演技とはいえ傲慢さを滲ませる。その様子にキャー!と悶えているのは女子ばかりではないのを当人は知っているのだろうか。…知らないのだろう。……ま、俺も教えるつもりはないけど。
 酷く惨敗感を味わいながら教室を後にしようとした俺を、「あっ、そうだ」と何か思いついたらしい友人が呼び止める。
「ハナ。越智は越智だから」
「はァ?」
「それでいいだろ?ダーリン」
「…………」
 口角を上げて落とされた言葉に、俺はがっくりと項垂れた。

 案外、あの男もこの天然の小悪魔に弄ばれているのかもしれない。
 ざまあみろ、だ。

「トップdeお題」から



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