□ 21 □
□ 不動 □
越智がおかしい。
鬱陶しいほどに僕で遊び構い倒していた男が、この半月程とても大人しい。
それに気付いたのは三日前だけど、それから気に掛けてみれば越智は僕を見て溜息を吐くくらいで、他のアクションが殆どない。この三日でその奇妙さを確信し、それがいつからだと考えて僕が思い出したのは、僕がケータイを越智の車に忘れて登校した二週間前のことだ。そう言えばあの日、朝はいつも通りだったけれど、帰ってきてケータイを受け取った時は既に変だったように思う。いつもならば、忘れるなというはずなのに。ただ「忘れていたぞ」と言うだけで、僕にケータイを返したのだ。普段の越智なら、要らないのかと思ったとか何とか言ってからかい、僕が頼むまで返しそうにないのに。
そう。僕が気付くずっと前から、越智はおかしかったのだ。
だけど。その原因が僕の憶測どおりの二週間前ならば、もはやそれがどうしてであるのか、本人から聞く以外には不可能だ。日が経ちすぎていて僕の記憶は曖昧であるし、あったとしても僕はそれに気付かないだろう。気付けるのならば、もっと早くに越智のおかしさに気付いていたはずだ。
「僕がケータイを忘れた日、何かあった?」
「……突然なんだ」
わからないのならば聞けばいいと、僕は越智の前に立ちはだかってみる。
「ここ最近、僕の顔を見て溜息を吐くの、気付いてる?」
「……」
「思い当たるので一番近い日があの日なんだ」
「若の気のせいだ。何もない」
「そう? 本当に?」
「ああ」
だったら、あの日ではないとしたら……僕にはお手上げだ。匙を投げるしかない。
「じゃ、何で変なの?」
「…だから、気のせいだ」
「そんなハズないじゃん。何年一緒にいると思ってるの。越智がおかしいのくらいわかるよ」
僕に言いたくないのなら、そう言えばいい。誤魔化すなんて、越智らしくない。
黙ったままの男に言いたい事を言っていると、「…わかった、俺が悪かった」と両手を上げて降参する。別に謝って欲しいわけじゃなく、理由が知りたかっただけなのだけど。だけど、苦笑する越智にはそれを言うつもりはないのだろう。残念な事に、そんな事まで僕はわかってしまうのだ。わかれば、我は貫けない。
だから。この事はこれまでだと区切りをつけるために。
「ね、越智にとって僕って、何?」
そう、これもまた二週間前。あのケータイを忘れた日に、それを知らずに僕のケータイを鳴らして越智に出られた友人に訊ねられたのだ。あいつは何だ、と。
僕にとって、越智は越智だ。父の部下であっても、それは僕には関係ない。でも、友人でも家族でもない。越智は、越智でしかない。それが僕の出した結論。
では、逆に越智はどうなのだろう。
思いつきのような僕の問いに、少し顔を歪めた越智は。けれどもすぐにいつものように笑うと、「総てだ」と言い切った。
「総て…?」
「そうだ」
「ふ〜ん、そう」
聞いたのは、そう言う意味ではないし。その答えも子供騙しのようなものだけど。
それでも僕は、とりあえずの満足を覚えた。
越智が、何かに気を取られているのは面白くない。
けれど、それが僕のことであるのならば、問題はない。
「トップdeお題」から
□ 願い事 □
あと数分で新年を迎える時刻に携帯電話が着信を知らせた。通話を受けると同時に、友人達と除夜の鐘を撞きにきたのだとの報告を青年から受ける。
『次、俺だ。ちょっと待ってて』
このまま鐘を撞くようで、通話口から気配が遠のいたと感じれば、直ぐに少し遠くから響くような鐘の音が響いてきた。
『聞こえた?』
「ああ」
『あのさ。それで、これから神社へも初詣に行くんだけど』
「気を付けろよ」
『あ、うん』
寒さの中、白い息を吐き話している青年の姿が簡単に思い浮かぶ。
座り続けていた椅子から立ち上がり窓へ近付くと、触れずとも外気の冷たさを身体に伝えてきた。
「寒くないか」
『そりゃまあ寒いけど、大丈夫。それよりさあ』
「なんだ」
『アンタの願い事って、なに? 初詣なんて行く暇ないだろ?』
だから俺が代わりにお願いしてきてやるよと続けられる声に、思わず口元を緩めてしまう。
「そんなので叶うのか?」
『賽銭二人分入れるから大丈夫だ』
「だったらお前がふたつ願い事をしろ」
『それはダメだろ、一人ひとつだ、怒られる』
「心の狭い神だな」
『もう、ンな事はいいから教えろよ。さっさと言え』
焦れる声に重なるよう、遠くから呼び声が聞こえる。それに待てと返した青年が、答えを急かしてくる。
『なあ、何にする?』
望みは、ひとつだ。
この若者を己の傍に在り続けて欲しい。
だが、それは神に願い乞うものではない。
『俺は、アンタの無事をお願いしておくよ』
無言をどう思ったのか。フッと小さく笑った青年が、沈黙を破ってそう言った。
それに促され口を開く。
「なら俺の分は、お前にとって良い一年であるようにと」
『…了解』
じゃ、仕事の邪魔して悪かったよ、と。
そのままさっさと通話を切ろうとした青年を呼び止める。
「大和」
『なに?』
「年が明けた」
『ははっ、ホントだ。おめでとー』
「今年も俺と一緒に居てくれ」
『……了解』
今度は、返答と共に通話が切られたが。
今は、寒さではない理由で頬を染めているだろう青年を思い浮かべ、水木は苦笑を零した。
神など要らない。
必要なのは、お前だけだ。
「トップdeお題」から
□ 願い □
通話状態のケータイをポケットに入れ鐘を撞く。ゴーンと気持ちよく音は響くが、俺の煩悩は消えるどころか増えているように思う。後ろで順番を待っていた小学生に場を譲り、ありがとうございましたと付き添う住職に軽く頭を下げてからケータイを取り出す。
「聞こえた?」
先に撞き終え待っていた友人達に電話だからと仕草で示しながら、通話口に問い掛ける。
『ああ』
一言にも満たないその返答にも、俺は満足してにんまりと笑ってしまう。これでは、全ての鐘を聞き終えても煩悩はなくならないだろう。
別段、なくさねばならない理由もないのだけど。
「あのさ。それで、これから神社へも初詣に行くんだけど」
本題はこれからだと、これの為に大晦日の夜中まで仕事をしている相手に電話をかけたのだと、勢い込んで言いかけた言葉が静かな言葉に遮られる。
『気を付けろよ』
何てない言葉。だけど、何故か水木に言われると心に染みる。この男はいつでも、こんな何気ない言葉でも、本気で口にする。その真摯さが、時には苛立ちをも生ませるが、多くの場合は温かい。
夜で良かった。今、俺の顔は絶対に赤い。
友人達のもとへ向けかけていた足を変え、人を避けて境内の影に入り込む。寒さに痺れていた耳が、いつの間にか火照っている。
「アンタの願い事って、なに? 初詣なんて行く暇ないだろ? だからさ、俺が代わりにお願いしてきてやるよ」
案外暇なのか。心配しているのか。外にいる俺を気に掛ける水木の声にのぼせそうで、本来の目的を果たす為に問い掛ける。怪しむ声も撥ね退けて、俺は男に願いを求める。
「さっさと言え」
ぞんざいな物言いは自身でも呆れるが、仕方がない。これくらい強気でないとい、この男は願いなんて口にしない。
一向にやってこない俺に焦れたらしく、友人達が早くしろよと促してくる。もう少し待ってと返すも、確かに少しでも早く行った方がいいのもわかっているので、しょうがないと足だけ向ける。
通話はまだ切れない。切らない。
これくらいの我儘は許されて当然だろうから、譲らない。
けど、友人達の中で水木と会話をするのは憚れるし、何より勿体無くも思うから。
「俺は、アンタの無事をお願いしておくよ」
ほら行け、行けと。友人達に先に歩き出すよう片手で促しながら、俺は水木の口も促そうと言ってやる。俺の願いを聞いたのだから、アンタも言えと。じゃないと、ズルいぞと。
そうして無理やり聞きだしたそれは、予想の範囲内のものではあったけれど。実際に言われてみると、何ともいえない気持ちにさせられて。了解と答える声が少し震えた。
それじゃ、と。目的も達成したので通話を切りかけると、名前を呼ばれた。年が明けたとの言葉に、おめでとうと笑って返したのだけど。
『今年も俺と一緒に居てくれ』
言われたそれに、泣きそうになった。追いついた友人達を慌てて追い越し歪んだ顔を隠しながら「……了解」と呟き、問答無用で通話を切ってやる。
不通音を聞きながら、水木の事を馬鹿だと思った。あの男は、いつまで経っても馬鹿だ。どうしようもないくらいに。
願われなくとも、乞われなくとも。俺は一緒にいるのだと。
いつになたら、水木瑛慈は信じるのだろう。
神様。
願わくば。あの男に、安心を。
「トップdeお題」から
□ プライド □
神様。
俺は確かに「悪い事は一度もしていません」なんて事は口が裂けても言えない程度には、それなりの事をしてきました。でも、それは誰しもが経験しているものであるはずです。常軌を逸脱したほどのものではありません。法を犯してはいても、悪戯で済むようなものであったはずです。他人に迷惑を掛けていても、若気の至りと許されてもいいようなものであったはずです。俺は、どこにでもいる、ごく普通の学生であるはずです。だから、ごく普通の人生を欲しても、罰はあたらないと思うのです。それなのに。どうして、俺の願いを叶えては下さらないのでしょうか、神様。俺は貴方に見捨てられるほどの、悪魔に捕まってしまうほどの罪を犯したでしょうか?
今すぐ、この悪魔を俺の前から消し去って下さい!お願いします!
後生ですからと、どんなに必至に願っても。俺の願いを聞いてくれる神様はこの世に居ないらしい。何百、何千の神が居るはずなのに、誰も彼もがケチなようだ。非道だ。無情だ。
それでも、神様!と叫ばねばやっていられない。間違っても、神がダメならば悪魔でもいいなんて。そんな事は言えやしない。
自分を苦しめる元凶に、助けを乞うなど死んでも嫌だ。
ホント、マジで嫌なのだ。だけど、時々、そんな信念も崩れそうになる。
「何だ大人しくなったな、詰まらないぞ。お前からその汚い口を取ったら何が残るんだ? ホラ叫べ、もっと抵抗してみせろ」
「う、煩い…」
力尽きかける俺を本気で嫌そうに見下ろす悪魔が、躊躇いなく涼しげな仕草で足を振り下ろす。腹に受けた衝撃に詰まった息は、悪魔の口腔に吸い込まれた。
人には限界があるのも、息が吸えなきゃ死ぬのも、この悪魔はわかっているのか。
いや、わかっているからやっているのだろう。そういう奴だ。
渾身の力で覆い被さる身体を押しのけ盛大に咳き込む俺を、悪魔は楽しげに笑う。背中に滑ってきた指が、無数の傷を辿り、おもむろに新たなものを刻む。
「止めろ、サディスト!畜生!」
「優しくされたら泣くくせに、笑わせるなよ」
「あんたが勝手に笑って――アアッ!!」
「汚い声で啼くな」
「だ、だったら、う…、抜け!抜きやがれ!」
「冗談は好きじゃない」
全然、全く、冗談じゃない!本気だ! 本気で俺は嫌がっているのだ。わからないのか? いや、わかるからこの悪魔は俺に執着するのだ。
俺はどうやっても、この悪魔に従順にはなれない。だが、だからこそこの悪魔は抵抗する俺を甚振って楽しむ。この悪循環を断ち切るには一体どうすればいいのか、俺には全くわからない。ただ必至に、自分を見失わないよう、なけなしの襟持を握り締め守るしかないのだ。馬鹿みたいに、信じていない神を求めてまでも。
「う、あ、…この、悪魔がッ!」
「その悪魔を貪欲に貪るお前は何なんだろうなァ。…ホラ、もっと腰を振れ」
寝てずに協力しろと上に乗せられ、俺は喉で吼える。俺の上でそんな顔をするのはお前くらいだと、笑う悪魔に俺は噛み付く。
神様。助けてくれないのならば、せめて、ひとつだけ。
この悪魔のこの笑いに震える心を、俺に教えないで下さい。
「トップdeお題」から