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□ the other side of the moon □

 流石に腹が空いたと腕の時計を眺めたところで、手を休めるのを見計らっていたかのようにタイミング良く携帯が鳴った。一応、恋人と呼べるのだろう男からだ。
 メール画面を開くと、本文はなく、画像が一枚。
 夕闇迫る街の雑踏の中、自分で撮ったのだろう写真は、お世辞にも巧いとは言えない。だが、何を見せたいのかは一目瞭然。
 小さな画像の中で際立っているのは、ビルの隙間に浮かぶ、強く朱味を帯びた丸い月。
 今夜は中秋の名月だったんだなと、席を立ち煙草を咥えながら窓へと向かうが、もう沈んでしまったのか、それとも無粋なビルのせいか、夜空にその姿はない。
 煙草一本分の休憩を自分に与え、「ウサギはいたか?」と返信を出せば、珍しくも間髪入れずに答えが返ってきた。
【ここにいる。淋しくて死にそうだ】
 小さな画面の文字相手に瞠目し、次の瞬間苦笑を零す。
 どう間違おうとも、相手は淋しさで死に至るような者ではない。誰が死のうが、変わらず生きていくだろう男だ。
 そう、冗談でしかない言葉。
 だが。
 冷たいガラスに半身を預け、目を閉じる。瞼の裏に紅い満月を浮かべながら、思う。

 本当に彼が死ぬのならば。
 俺は――

2009/10/03








□ 心の七つ道具――輪ゴム □

 友達とケンカをした。
 僕は間違った事は言っていない。だけど、相手にそれは伝わらなくて。僕の訴えは責めに変わってしまった。
 あいつが怒ったのは、当然なのかもしれない。
 それでも、僕が苛立つのも正当だ。
 愚痴ぐらい言わねばやっていられない。
 と、言う事で。
 家に帰って、丁度居た越智を捕まえて、友達と何があったか、彼がいかに自分本位であるのか、言葉の限りを尽くしていたのだけど。
「ッ!」
 弄んでいた輪ゴムを指に掛けたかと思うと、越智は鉄砲型にしたその手を僕に向け、何の脈略もなく発射した。ピッと何かが突き刺さるような痛みが額で上がり、僕は弾け飛びテーブルへと落ちる輪ゴムを目で追いながら悲鳴を上げる。
「な、何!? 痛いよッ!」
「ガキの癖に、ウダウダ煩い。子供は子供らしく、みんなと仲良くしろ」
「ぼ、僕はしたいと思っているよ。だけど、あいつが…痛ッ!」
 二発目が発射され、先程と同じく額に命中。
 これは、反論するたびに撃たれるのかもしれない。
「あのなァ若。その実直な素直さは評価するが、くだらない事で友達といがみ合うのはただのバカだ。つまらない真似はするな」
「……」
 説教ではない。まして、自分の見解を押し付けるわけではない。こういう時の越智はただ、まるでそれが何よりも真実であるかのように、ストレートな言葉を紡ぐ。
 僕はそれが嫌いではない。
 だけど、それ以上に飛んでくる凶器を警戒して黙ったのだけど。
 神妙な顔にでも見えたのか、僕を見た越智が少し困ったような顔をして、クシャクシャと髪を撫でてきた。その手から落ちた輪ゴムを拾い上げ、今度は僕がゴム鉄砲を作り飛ばしてやる。
 狙い外れて後方へ飛んでいった輪ゴムを見送った越智が、口元で笑いながら言った。
「若。心は輪ゴムが理想だ」
「何それ?」
「絞める時は絞めて、緩める時は緩める。ゴムのように伸縮性があれば、自分を保ちつつ、相手をも纏められる」
「……それって、つまり」
 腹が立っても笑って流し、心底では自分が正しい相手はバカだと思っておけと、そういう事か?
 それって、理想か? ただのずるい大人なんじゃないの?
 越智の言わんとしている事はわかるし、それが処世術なのかもしれないけれど。狙った相手に掠りもせず、何処かへ飛んでいった輪ゴムの行方を考えながら僕は思う。
 ねえ、だったらさ、越智。お前だって、それを理想とする大人なんだから。
 子供の愚痴くらい、黙って訊けよ?
 輪ゴム、どこへいったの。ね?

「トップdeお題」から








□ 心の七つ道具――ボタン □

 根本的に、気が合わないのだろう。荻原と話すといつも意見が食い違っているような気がする。
 だが、それに苛立つ俺とは違い、荻原は俺の否定的な言葉をも楽しげに聞く。
 それがまた、俺にとっては腹立たしい。
 鬱陶しいくらいに前向きな言葉に吐き気を覚えながら煽る酒は、ありえないくらいに不味い。だから、それを改善すべく、荻原の言葉を右から左へ流そうとするのに。
 この男の声は、言葉は、とてもしつこく、俺の中で留まろうとするのだ。
 本当に、どこまでも厄介である。
「そんなに卑屈でいて疲れないか?」
「煩い」
「ボタン、つけてやろうかねぇ」
「……ナニ?」
 まただ。
 また可笑しな事を言い出したぞ、この男。
「子供の頃、静かにする時は『お口にチャック』って言われなかったか? それと同じだ。誰かに対しても、未来に対しても何でも。悪い事ばかり言っていると、本当にそれを呼び寄せる。だから、ボタンで閉じるんだよ」
「……独りで勝手にやってろ」
「必要なのは俺じゃなくてお前だろ」
「……馬鹿らしい」
 悪い思考が実際それを誘き寄せると言うのならば。俺のそれは自業自得だというのか。
 だからこそ、自分の未来は明るいと、その人生を手に入れるのだとでも言いたいのか。
 先程までとは違う意味で苦くなった酒を飲み干し、俺は席を立つ。
 だが。
「まあ待てよ。それでもお前、俺の傍に居たらバランス取れると思わないか? 根暗なお前と明朗な俺、いい感じだろ?」
「……誰が根暗だ、ふざけんな」
 取られた手首を振り払い、喉で篭る低い笑い声を聞きながら背を向ける。
 本当に、ふざけるなだ。一体、あいつは俺をどうしたいのか。どうする気なのか。
 その違いを示され、嫌味かと顔を顰めた俺と違い。荻原は自分のそれを俺に与えようとする。
 未来はない、俺なんかに。
「……」
 気紛れに巻き込むな。俺に構うな。他の誰かを相手しろ。
 湧き上がり喉元まで上がったその言葉をそのまま吐きかけ、男が言った言葉を思い出し飲み込む。
 ボタンは俺には必要ない。むしろ、あいつに取り付けたい。

 アンタはわかっているのか、なあ荻原。
 その言葉が、俺にとってどんな凶器になっているのかを。

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□ 心の七つ道具――爪楊枝 □

 二年付き合った彼女に振られた。暴言とも言える言葉を投げつけられて、初めは怒り心頭だった俺だけど。一夜が過ぎれば、ただ悲しくて、寂しくて。縋るように、無理やり友人を呼び出し酒の席についた。
 最初から俺の独壇場の呑みは、愚痴愚痴愚痴、合い間に嘆きの最低最悪に情けないものなのだというのに。嫌がりもせずに付き合う友人は、俺が言うのもなんだけど、奇特だ。出来た人間だというよりも、ただただ変わった奴だ。
 お前はいつもいつも、俺を甘やかしてどうするんだ?と。いつか聞いてみたいと思うけれど、そんな疑問が浮かぶのはいつも恥もなく嘆き喚いている最中なので、優先順位はかなり低くて未だに実行されていない。
 かなり男前なくせに、浮ついた話ひとつ聞いた事がないことでさえ、友人の奇特さを強めるのだけど。女性から見れば、真面目に付き合っていたにも関わらず不真面目だと相手に罵られているような俺なんかよりもよほど誠実な人間となるのだろうなと、いつの間にか目の前の男のことをダラダラ考えながら、俺は爪楊枝を手に取り皿に残るプチトマトを刺そうとするのだが。
「……お前もかよ」
 新鮮なのか何なのか、皮が硬くて逃げられる。逃げられるのは、女だけで充分だというのに、クソ!
 妙に腹が立って、手で取ればいいだけなのに意地になって追いかけていると、赤いそれが皿からすべり出た。
「何やってんだよ、バカ。ほら」
 笑い声とともにそんな言葉が落とされ、指に挟まれたトマトが差し出される。
 口を開けると、放り込まれた。咀嚼しながら爪楊枝を差し出すと、新しいのを突き刺してくれる。
 プチッと皮が裂ける音を聞きながら、世話焼き上手な友人を、俺は机に片頬を押し付けたままの格好で見上げる。
「なあ、知ってるか? 爪楊枝はさ、イイとこを拾い上げる道具なんだよ」
「なんだそれ?」
「なんか忘れたけど、昔聞いたんだよ」
 だけど。俺の場合、爪楊枝は無駄になる。俺自身にイイところなんてないのだから。
 そして。誰かのそれをピックアップ出来る能力もない。
 アキコの言った事は正しいのだ、全て。俺は、相手を思えないし、自分自身の事だって思っていない。
 実際、彼女に対して俺は何が出来ただろうかと思いに耽りかけていると。
 俺の指から爪楊枝が抜き取られ、刺さっていた実が口元へ運ばれてくる。
「だったら、お前の場合。これは必要ないな」
 口に含んだツルンとした感触を楽しんでいると、先程自分が思っていた通りの事を指摘された。
 わかっているよと、異物を含んだままモゴモゴと俺は応える。
 けれど。
「違うよ。お前の場合はさ、こんなもので突き刺して、目の前に翳して見せ付けてみなければわからないようなものじゃないって事だよ。爪楊枝なんかなくても、お前のイイところは見つけられる。そんな小さなものじゃない」
「……お前、俺を惚れさせる気か?」
 何を言うんだかと、照れずに呆れられたのは、酒のせいだろう。鈍った思考に感謝だ。
 惚れてくれるのか?と聞き返してくる友人の声に、俺は「俺のイイところを百個上げられるのならば、考えてもいい」なんて馬鹿な言葉で応える。これも酔いのせい。
 だけど。酔っていても、俺だって。
 百個くらいならば、簡単にこの友人のイイところを言えるのかもしれない。

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