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胸の片隅で空虚を抱えつつも、騒ぎまくった卓球勝負。結果は敗北に終わったけれど、小学生のようにはしゃいで盛り上がったテンションは、一人になっても暫く続いた。
汗を流す為に四人でもう一度温泉に浸かり、今から帰るのだという三人を車まで見送り、離れに戻って溜まっていた友人連中のメールに返事を送る。
適当に、オヤスミと打ち込んで遣り取りを終了させるまでは、水木の事を意識せずにすんだ。
けれど。
「…………」
やはり一人になるとダメなようだ。戸川さんの挑発めいた言葉が頭の中を駆け回る。
始めは乗り気ではなかったが、大淵に会えた事で頭は冷めたし、日常を忘れずにすんだけれど。戸川さんの思惑に取り込まれずにすんだけれど。だから何だというものでもあり、訳がわからない。こんな時ぐらい、貪欲に求めてもいいのかもしれず。ならば、己の立場を実感させられる学友との接触は、マイナスだったのかもしれなくて。
騒いだ分だけ、沈み込む。落差が激しい。
水木に会いたいと思っていても、会えばいつも満足のいくものではなくて。俺は結局ただ理想を押し付けたがっているだけなのかと思うと、会う事にすら後ろめたさを覚える程で。つまりは、いつでもそんな不毛なドツボに嵌っているような状態なのだ。昔と全く変わらない。
いつでも俺は何かに悩んでいるなと、天井を見つめ溜息を吐く。当然だが、重いそれは上には飛ばず、再び真下の自分に落ちてくる。戻ってきた憂鬱の塊は、鬱陶しいけれど振り払えずに、身体の中の奥底へと沈みこんでゆく。
今まで何度、こんな風に過ごしただろう。
気付かない振りをして、気にしないと意地を張って乗り越える日もあれば。こうして見事に捕まってしまう日もある。けれどそれは、言うなれば。確かに、生きている証拠となる迷いや苦しみなのかもしれないけれど。それでも、高見を望めば際限がなくて。理想と現実のギャップに溺れてしまう。
上手く泳げずに過ごす日々は、一日一日は意識せずとも、疲労は確実に蓄積されていっている。
改めて全てを考えてみると、今が正しいのか、幸せなのか、恵まれているのか、全部が判らなくて。振り返る日々は曖昧で、この先の日常もはっきりとしない。
眠れずにゴロゴロと寝返りを繰り返しているうちに、一時をまわった。しんと静まりかえった部屋に、自分の溜息だけが響く。離れだからか、従業員の気配すらない。水木が来る予感もない。知らないところで、たった独り。
昨日は思ってもみなかったこの現状が、寂しい。突然異世界に放り出されたような気分で、いつもは一人で平気なのに、無性に人恋しくて堪らない。迷子の子供のように、尽きる事のない不安が胸に溜まっていく。戸川さんでも杜でもいいから構ってはくれないか――なんて事まで考えてしまう始末だ。けれど、今夜はそれも望めない。普段は彼らに繋がっている手段が、今は絶たれてしまっている。この小さな機械の先にいるのは、求めているけれど簡単には呼べない男なのだ。
水木には、会いたい。会いたいが、それを上手く望めない。
だけど、きっと戸川さんや杜を呼べたところで、独りの寂しさは埋められても、水木に会えない飢えは埋められないのだ。他の何かでは、補えない。
だから、やっぱり、会おう。
ていうか、どう考えても、このまま会わずにバイバイはおかしいだろう?
何の為にここに来たのかなんて知らないが。何の為にここにいるのかと問われたら、水木に会う為だとの答えしか俺の中にはないから。
だから、俺は水木に会う。会ってもいいだろう?
これが、ただの我儘でも。奴にも俺のそれに付き合うくらいの義務や責任は、多分あるはずだ。きっと、ある。
開閉を繰り返し続けたケータイを握り直し、自分に言い聞かせる事で意を決し、俺は発信ボタンを押す。こんなにも近くにいるのに会わないなんて勿体ないはずだ。それは間違いない。
それとも、何か? そう思うのは俺だけだとでも?
「……夜這いに行くぞ、コラ」
俺を試すかのように、なかなか鳴りやまないコール音。
それが途切れ繋がったのは、そんな悪態を吐いて暫く経ってからだった。
「…………ァ」
もしかしてまだ仕事だったのだろうかと不安に思ってしまう程だった呼び出し時間の長さに、情けなくも言葉が詰まる。渇望していたはずなのに、通話を受けられ戸惑ってしまう。
声が、出ない。
『どうした』
「…………」
『大和』
「……なんか、詐欺みたいだ…」
いつもいつも11桁の番号を求めているのに、その願いは叶わなくて苦しんでいる自分が馬鹿みたいだ。それ程に、あっさりと水木に直接繋がってしまった事実が恨めしく、復活した喉は低い声を生み出す。
「戸川さん、ホントに渡したんだな」
『ああ』
「……寝てた?」
渡せるのならば、それを持っていられるのならば。アンタがいつも持っていろよと言う言葉を飲み、話題を変える。変えなければ、言ってはならない事まで言ってしまいそうだ。
『いや』
「仕事中…?」
『終わった』
「だったら、何してンの?」
『……』
「俺を放って何しているんだよ」
『もう遅い、寝ろ』
「……」
勇気を出してのそれに対する返答がこれっていうのはかなり酷い。けれど、ふざけんなよとキレるには、全てが揃っていて。
「……そっち、行っていい?」
甘えるようにそんな言葉が自然と零れる。
だが。
『疲れているんだろう、休め』
「…………来いとか、行くとか、言えよバカ」
ふて腐れて吐き出したそれに対し軽い笑いが向けられた瞬間、反射的にボタンを押し、俺はつい通話を切ってしまう。やってしまったとケータイを見つめるが、直ぐに仕方がないかとも納得する。
何だってあんな面白くない返事をするのか。そんなに迷惑だとでもいうのか、ふざけんな。そんなの、切られて当然だ。
酷い奴だと、最悪な男だと思う。だが、しかし。俺も酷く馬鹿であるので、水木を責める言葉はすぐに勢いをなくす。掛け直してきたとしても出てやるかと決めた心が、直ぐに不安で揺れた。もう一度掛けた方がいいようにさえ思えてくる。
けれど今は…ちょっと、無理。ボタンを押せるほども、浮上できない。
水木との会話に起こしていた体を再び蒲団の上に投げ出す。俺の体温が移ったのか、それとも短い通話による発熱か。温かい携帯電話を掛けるように胸へと抱き、目を閉じる。
俺は水木への気持ちを悩んでいるのではなく、まして関係のあり方でもなく。ただ、現状に小さな不満をいくつも抱えているだけだ。水木がヤクザであるのなど、最初から知っていた事だ。それでも、必要としたのだ。例えそれに間違いがあろうとも、問題はない。今更、辞めろなんて言いはしない。
けれど、今のままではいつかそれを言ってしまいそうだ。
忙しいのも、会えないのも、奴がああなのも。全部知っている、わかっている。けれど、納得なんて全然出来ていない。
不満なんて、本当は全然持たないだろうくらいに、俺は恵まれている。衣食住はもちろん、水木に愛されている事も信じられる。彼の想いを疑ってはいない。けれど、その行動には不安が一杯だ。
だから。だからこそ、俺は頑張らなければ。
水木が離れてしまわないように、努力をせねばならない。
それもわかっているけれど。
それこそが何よりも難しい。
本館へと続く廊下に、人影を見つけた。
ゆっくりと近付いてくる水木を、足を止めて待つ。浴衣ではなく、まだシャツにネクタイ姿であるのを考えると、もしかしたら本気で仕事をしていたのかもしれず、言葉に出来ないものが腹に溜まる。
本当は。ただ、喚くばかりでしかなくて。
俺は何ひとつわかっていないのかもしれない。
全然頑張れてなんかいない。
2007/08/11