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腕を通しただけだが浴衣を羽織った水木と違い、いつのまにパンツを脱がされてしまったのか、俺は全裸のまま抱えられるようにして運ばれた。キスと言葉を受けながら廊下と座敷を通過し、寝乱れた蒲団に寝かされる。ガツガツやってくれと頼んでしまいそうになるような、じれったい愛撫を受け啼く俺を、水木はやはり低く笑った。
「ァッ……ン、ま、待っ…あ!」
躊躇っていた俺はどこへやら。水木に舐められ吸われ噛まれ、蹲るように身体を丸めて固まり、跳ね上がるように大きく震え、俺は羞恥を忘れ悶える。そんな俺を宥めるように優しく、力強く触れてくる水木は、けれども俺の頼みを聞く訳でも、望みを叶える訳でもない。
もう少し、強く。もう少し、奥へ。もう少し、甘く。もう少し、痛く。もっと、貴方を俺に。俺を、貴方に。
満たされているが、それでもまだある飢餓感を教えるように、水木の熱は俺の欲望をそんな風に掠めていく。歯がゆい。けれど、啼くしか出来ない。伸ばした腕は押さえられ、絡めた脚は離され、追いかけた唇は外され、求めた視線は遮られる。
だから余計に、欲しくて欲しくて堪らなくなる。
「ンッ…ゥ、ァ……ミ、ミズキ…アッ!」
蒲団までは運ばれる間に、何か言いたい事があるんだろう、顔に書いてある言ってみろと水木に問いただされた。軽い笑いを含んだそれに何もないと、始めは首を振っていた筈なのに。深いキスを繰り返し受けるうちに何故か気分が変わり、言うつもりのなかった言葉を俺は口にしていた。具体的に指し示しはせずに、ただ約束を覚えているのかという短い問いだったが、水木はそれが何であるのか正確に汲み取ったのだろう。静かな声で、覚えているとだけ答えた。間近で見たその瞳は、どこか詫びているような色をしていたが、水木はただ一言そう言っただけで謝罪は口にしなかった。
俺自身、謝って欲しかったわけではない。ただ、確かめたかったのだ。けれど本当は、確かめる事自体怖くもあったので、返された答えの処理を上手く出来ない。
「……はァ、も、あ…、ン、あァッ!」
二年前、何かあるごとに物を贈ってくる水木に呆れて、俺が贈りたい時には居ない水木にキレて、俺は宣言した。誕生日でも、クリスマスでも何でも、その日にしか俺は受け取らないし、その日にしか俺は祝わないと。アンタがその当日に渡してくれるのならば、素直に受け取る努力をする。だから、俺にもアンタがしたいような事をさせろ。そういう意味合いの言葉を、俺は本気だとの言葉と共に伝えた。水木の攻撃を交わす為でもあったその妥協は、けれども俺の願望の方が明らかに強いものであった。自分はきっちり誰かを使って俺へ物を届けるのに、俺は感謝の一言すら簡単には向けられない。それを少しでも改善して欲しくて、二年間俺はその発言を押し通している。
けれど、実際にはそれは今のところ、ただ自らの首を絞める行為にしかなっていない。水木は、いつも、その日にはやって来ない。俺に祝いを言わせない。そして、本人以外からは受け取らないと言った俺の言葉を無視し、戸川さんに、若林さんに物を託けている。俺が受け取り拒否出来ない人物を選んでいるのだから、性質が悪いとしか言えないだろう。
そういう事を、この男はわかりながらやっている。
「ハァ、ハァ、アッ、……もう、」
「…大和」
「ァ…」
耳元で名前を囁かれ、身体がびくりと震えた。中に居る水木の形を、熱さを、大きさを、リアルに感じる。けれど、頭は霞がかかったようで。身体は麻痺したようで。実際の感覚はとても曖昧だ。
これ以上ないほど、満たされている。
けれど、それでも穴は空いている。
先日の水木の誕生日にも、俺は何も出来なかった。
祝いの言葉ひとつ、言っていない。
明け方目覚めた時には、もう既に水木の姿はなかった。蒲団の中で自分一人であるのを確認し、俺は再び何も考えずに眠りへ落ちた。微睡みの中では、水木が居ない事は自然であるように思え、怒りは湧かなかった。
けれど、はっきりと覚醒した今は、やはり文句のひとつは言いたくなるわけで。
きっと水木が着せてくれたのであろう浴衣は乱れており、裸に近い状態で起きあがった俺は、それでもそれを直しもせずに隣の部屋へ続く襖を勢いよく開け放つ。居ないとわかりつつも、もしかしたらと期待したのか、居ない事を証明し詰りたかったのかわからないが。何かを求めて飛び込んだ部屋には、予想通り水木は居なかった。
だが、別な人物は居た。
居なくてもいいというのに。
「おはようございます」
「……ゴザイマス」
こんなところで何をしているんだよ!?と。思ってもみなかった戸川さんの存在に俺は驚愕し、脳も身体も全ての機能が一時停止で、ただ呆然とマヌケな姿を晒す。襖に手を掛けたまま、読んでいた新聞を丁寧に畳んでいるスーツ姿の男を眺め、もう一度心の底からはっきりと「何故居るんだッ!?」と叫ぶ。正直、いま会いたくはなかった。水木が居ない事よりも、戸川さんが居る事実に俺はショックを受ける。
そんな俺の心中を知ってか知らずか。俺に衝撃を与えてきた戸川さんは、至って呑気なものだ。
「その格好はいただけませんね。前、合わせて下さい。こんな事で私は水木に妬かれたくはないですからね、お願いしますよ」
「…………済みません」
着替えてきますと、スコスコと正面を向けたままバックし、ススッと気を抜けば震えそうになる手で襖を閉める。
驚きで、水木が居ない腹立たしさなど本当にどこかへ飛んで行ってしまった。
「…………って。妬くって何だよ、妬くって…」
あり得ないだろう、それ。こんな事で妬いてくれるのなら、どこででも裸になってやるぞオイ。溜息と共に落ちるのは、隣の部屋に居る男へのものばかり。それでも、気を抜けば再び潜り込んでしまいそうになる蒲団を横目に、ダラダラと服に着替え腰を上げる。
情けないが、戸川さんが居るのをわかりつつ、部屋でグズグズする事は出来ない。引き篭もるにも勇気が必要だ。からかわれたくはないと逃げ込んでも、後で更にもっと虐められてしまうのだから、その場しのぎに意味はない。
洗顔とトイレを済ませ部屋に戻ると、戸川さん自らお茶を煎れてくれていた。熱いそれを啜り、俺はホッと一息吐く。
「ゆっくり出来ましたか?」
「あ、はい。ありがとうございました」
「いえ、お役に立てたのなら何よりです」
「……はァ」
…………って。ちょっと待て。待って下さい。俺は普通にこの小旅行の事だと思って返事をしたのですが。それは、貴方。もしかして…じゃなく。もしかしなくても、水木との接見を指していますね? 間違いなくそうですよね、戸川さん。クソ。やっぱりソコヘもって行くのか、天邪鬼め…。
確かに役立たせて貰ったけれど。水木に会えたのは戸川さんのお陰であり、昨夜一緒にいられたのもそうだけれど。どこをとっても、戸川サマサマなんだけれど。わかってはいるが、それで礼を言うのはとてつもなく恥ずかしくて。何だか心を覗かれているような気まずさもあり、ぎこちない動きで俺は目を反らす。
やはり、蒲団をかぶって引き篭もっていれば良かったのカモ……。
「ああ、それと申し上げ難いのですが」
「……はい」
「千束さんのご希望はお聞きしていたのですが、水木に急用が出来まして」
「そうですか…」
「ええ、申し訳ありません」
今度は何だと身構えたが、向けられたのは予感していた事実であり、落胆さえ浮かばない。それでも、改めてこうして言葉にされると、何だか少し自分が可哀想にも思えてくるから不思議だ。水木が居ない上に、俺の前に居るのはイジワル戸川。何だか、割に合わない気がする。
「…いえ、別に、戸川さんに謝って貰う事じゃないんで……。俺が無理を言っただけだし…大丈夫です。全然問題ないです。ただ、言ってみただけというか、何と言うか…。…………笑わないで下さい」
ふと気付けば、戸川さんの目は三日月型になっており、その後ろには三角のしっぽが見え隠れしている。もう、どうしようもない。
これってワガママを言った俺への天罰なのかと、我慢するしかないのだろう。
そうこうしながら戸川さんに連れられ、レストランで朝食を摂る。早い昼食と言う方が正しいような時間だが、それなりに客の姿はあった。水木同様、戸川さんもこれから仕事らしく、直ぐに俺を残して席を立つ。漸く解放だ。
「食事を続けていて下さい。後で杜を来させますので」
「あ、はい」
「今日一日、杜には千束さんに付き合うように言っていますので、どうぞこちらで観光するなり、東京に戻って遊ぶなり、好きに使ってやって下さい」
では、お疲れ様でした、と。どういう意味でその言葉を選んだんだと聞いてやりたくなるような台詞を残し、颯爽と去っていく戸川さんの背中を、俺は箸に出汁巻き卵を挟んだまま見送る。
ホッと一息つくのは仕方がない事なのだけど。
杜が来るまでボンヤリとしてしまったのは、戸川さんが居なくなっての安堵だけではないのだろう。
何処かへ寄るかと誘ってくる杜に、まっすぐ帰ると付き合いの悪い返事をしながら、二人で宿を出る。他には誰も同行しないらしい事に安心しつつも、「疲れているんだろう、寝ていいぞ」と後部座席を開け促す杜に俺は舌打ちを返した。コイツも戸川さんに似てきたのではないだろうか。洒落にならない。
無言で助手席におさまると、運転席に座った男は機嫌が悪いなとエンジンを掛けながら感想を漏らした。
「オヤジさんと一緒だったんだろう? 喧嘩でもしたのかよ」
「……喧嘩するほども一緒に居ていない」
「そんなにあの人と帰りたかったのか」
「…別に、それはどっちでも」
からかいにしか聞こえないが、それでもボソボソやる気なく返事をすると、だったら何だよと低い笑いが返る。何だよと言われても、俺自身何を思い悩んでいるのかよくわからない。接する機会が少ないのも、言いたい事が言えないのも、何もかも。それら全てが当然だと理解出来る。だが、納得は出来ない。というか、したくない気持ちが強い。
「言えばいいじゃないか、寂しいってさ」
「…………」
誰がそんな話をしたと、どの方向へ話を持って行くのかと胡乱な視線を向けるが、前方に注意し運転している杜には効果がない。
「……バカ言うなよ」
「言ったところで、オヤジさんなら仕事を投げ出してお前に走る、なんて事はないだろう。心配無用だ」
「…そんな心配はしてねーよ」
水木はそんなキャラじゃないのはわかり切っている事実だ。杜とて冗談として口にしたのだろう。だが、恋人の我儘に付き合う為に仕事を放り出すくらいの愛嬌があってもいいかもしれないと、その言葉に少し本気で考えてしまう。そうなれとは言わないけれど、ほんの少しでもそう言うのがあれば、俺の不安定さも落ち着くなのかもしれない。
「寂しいでも、ムカツクでも、何でもなァ千束。言わなきゃダメだぞ。互いにわかっている事でも口に出さないと、溜まりに溜まったらそれが溢れて他のものを汚す。詰め込みすぎていたら、いつか器が割れてしまう。そうなたっら修復は難しい」
「…………杜は言ってるのかよ…?」
「まあ、言う努力はしている。けど、それ以上にアイツの方が言うけどな。口煩くて参ることもあるし、ちょくちょく喧嘩もしちまうけど、それが夫婦のコミュニケーションだろ?」
「……」
「言葉にするからこそ、生まれる価値だ。二人の重みだ。だから、言えよ。遠慮なんてせずにな」
「……ああ、そうだな」
杜の言うとおりだ。
けれど、言えないのも確かな現実。
こんな事で、俺のガキ臭い感情で、水木を煩わす訳にはいかない。もっと一緒に居ろよとは、簡単には言えない。大事にされている自信があるからこそ、余計にだ。一瞬の隙も命取りになるのかもしれない男に、俺に合わせた恋愛を求めるのは危険だ。寂しいと言った瞬間、アイツが足元を掬われたならば、俺は一生後悔し続けるだろう。水木が今の立場である限り、杜の言うようには出来ない。
気軽な気持ちで我侭を言えるほど、俺は子供ではない。
けれど、仕方がないと全てに納得出来るほども大人ではなくて。自分が水木にとって相応しい相手ではないのが、嫌と言うほど良く判るから。少しでも務まるように、出そうになる言葉を飲み込むのだ。今の俺には、それしか出来ないから。
なのに。杜は言えと言う。
言えたのならば、どんなにいいだろう。
けれど、言った後の未来が、俺は怖くて仕方がない。自分に歯止めが利かなくなりそうで、恐ろしい。
「…けど、俺にはやっぱり難しい」
いや、俺達には、かと。呟いた言葉が空気にとける前に、胸中でそう訂正を入れる。
思うように、全てが上手くいけばいい。
考えそのままに行動出来たならば、もっといい結果が得られるはずだ。
想うように、愛せられればいい。
水木を求めるがままに彼にしがみつければ、こんなにも悩む事はないはずだ。
苦しさも、虚しさも。その一因が俺や水木にあろうとも。二人ではどうにもならないところにも原因は確かにあって。
俺の心の邪魔をする。
壁は、柵は、目の前だけでなく、互いの中にもあって。俺達を縛り続ける。
赴くままには、行動できない。
ドアひとつ、簡単には開けられない。
「難しいから、頑張ってんだろ? お前が必死だから、オヤジさんも真剣に応えてんだよ」
ヤサグレんじゃないぞ。オヤジさんのそれを蔑ろにしたら、俺が怒るぞ。
今までの事が無駄にならないよう、これからも努力しろ。
何でもない話をするような声で、けれども強い意思を込めて杜が口にする言葉を聞きながら俺は目を閉じる。それがお前のするべき事だと教えられても、どうしてもピンと来ない。
けれど、それでも。
色々な事に、その立場に、俺達は制限されているけれど。
それと同等に、周りに助けられているのだと、協力されているのだと改めて気付く。
薄目を開けて見上げた空は、限りなく白に近い、薄い水色で。
この天を何処かで見ているのかもしれない男を想いながら、俺は再び瞼を落とした。
+ END +
2007/09/09