「ボクはヤマトくんをオヨメさんにする!」
「…………リュウくん……」
顔を合わせた瞬間、挨拶もなくそう宣言した子供に脱力し、俺は重い溜息を吐きながら顔を俯ける。
可愛い子供が、確実に毒されていっている。
誰だよオイ、いたいけな幼子にこんな事を教えたのは…!
「オヨメさんだよ、ヤマトくん!」
「……うん、まぁ、なんだ。それは、一体どういうことなのかな?」
「えっとねぇ、オヨメさんは、カワイイの。それでね、フワフワでぇ、やわらかいのー!」
この説明は、間違っていないと思う。ここだけ見れば正しい。だけど、先の発言の手前、邪推する俺は安心などできず、むしろ不安が増したというもので。
「…………それは、まあ、そうだね、うん」
幸せそうなリュウには悪いが、理解したくない俺は覗き込んでくる子供の両肩に手を置き、宥めるようにトントンと叩く。とりあえず、落ち着いてくれ。俺も落ち着こう。
天使の後ろに性質の悪いヤクザが見え隠れしていようと、正せばいいだけだ。幸い、この素直な子供ならばわかってくれるハズ。
「だけど。あのね、リュウくん」
仰るとおり、お嫁さんは可愛くて、女の子ならば柔らかくて、着飾っていればフワフワであろう。絵本かアニメかで得たのだろう知識は、正しい。だが、それを俺に結び付けるのは正しくない。絵本と俺がどこで繋がったのか。
「男はお嫁さんにはなれないんだ」
この幼子がおかしな事を言い出す時は、絶対に周囲の大人から間違った知識を入れられたという事で。そしてその周囲はヤクザばかりだという事で。一体、彼らは何をしているのかと呆れ果てるというものだ。子供の、可愛いフワフワ柔らかいに、俺を入れさせるなよ。
「だから、俺は無理なんだ」
諦めろというのも変なので、正しく理解させようと根本的な間違いを指摘すると、幼子はキョトンとした表情を作り、続いて可愛く首を傾げる。
「ボク、ヤマトくんが好きだよ?」
「俺もリュウくんが好きだよ。だけど、俺もリュウくんもお嫁さんにはなれない」
「なれないの?」
驚いたその顔は、明らかになれると思っていた顔だ。どうやら、俺だけではなく、自分もそれが可能だと思っていたらしい。
確かに、リュウは可愛いしフワフワだし柔らかいけれど。
「お嫁さんは、結婚する女の人のことだからね。俺もリュウくんも男だろう? だから、お婿さんにはなれても、お嫁さんはムリなんだ」
「でも、男の子と男の子も、ケッコンが出来るんだよ?」
「……何だって?」
「ヤマトくん知らないの?」
「知らないよ」
無邪気に問うてくる子供に、「そんなのは嘘だから」と大人気なくもオレはきっぱり言い切ってしまう。
ホント、誰なんだ。こんな事を子供に教えるのは。ヤクザどもめッ。っていうか、これは俺苛めか? リュウは刺客か、スナイパーか?
……負けそうだ。てか、疲れた。
「…あのね。誰に教えられたのかは知らないけど、間違いだから。他で言っちゃダメだよ」
「ダメなの?」
「俺は好まない。だから、リュウくんにも言って欲しくない」
言葉は理解できずとも、俺の気持ちは感じたのだろう。とても素直にわかったと頷く子供を抱き上げながら、俺はこっそりと息を吐く。何て会話だ、情けない。と言うか、バカバカしい。
俺への好意を全身で向けてくれたリュウには悪いが、そうとしか思えない。この子供を適当にからかい俺へと仕向けたのだろう悪い大人達の姿が簡単にリュウの向こうに見え、苛立ちさえ浮かぶ。あの男達は何をしているのか。馬鹿だろう。
自身に若干の後ろめたさがあるからこそ、純粋な子供の発言に過敏に反応している部分もあるのだろうが。お嫁さんの勘違いは可愛らしいと笑えても、小学校にもあがっていない子供に同性の結婚が可能だなどと教えるのは、冗談では済まされないだろう。誰だって、悪質だと思うはずだ。
本当に、ここはそういったモラルに欠ける。
これからも苦労するだろう子供を抱く腕に力を込めながら、可哀相にと心底から思う。無条件に自分を慕ってくれるリュウは俺にとっても大切で、いい環境とは言いがたい生活に遣る瀬無ささえ浮かぶ。
嗚呼、俺の癒しが汚染されていく…。
「あのね、ヤマトくん」
「ん…?」
「それでもね、ボクはヤマトくんとケッコンしたいよ?」
もっと、ずっと、一緒に居たい。
涙が出るほど純粋なその言葉に、「そうだね」と微笑み返す。
しかし、そのピュアさに触発されたのか、俺は薄情にもリュウを抱き締めたまま別の男を思い浮かべる。
俺にも、もっとずっと一緒に居たい奴がいる。
最早、何日会っていないかと考えるのも虚しいくらいに、顔を見ていないのだけど。
子供経由でからかわれている俺を助けに来いよ、役立たず。
「ね、ね、ヤマトくん」
「ン? ァッ…!?」
俺の場合、結婚以前に、普通程度でいいので付き合っていると言えるくらいのレベルになりたいと、会えなくとも連絡くらい寄越しやがれよと。ヤクザどもをバカだと言えないくらいの、バカな思いへ意識を飛ばしていたところへの呼び掛け。
俺は、何の考えもなく首を動かしたのだけど。
「ぅ…ッ」
頬に当たる柔らかい感触に、思わずおかしな声を出してしまう。
リュウに、キスをされてしまった。
「こうするとね、ヤクソクなの」
「リュウくん……」
脱力だ。
それでも、腕の中の子供は落せないので、逆に力を入れ抱き締めなおす。
ね、ね、と答えを促すように可愛い声を出すリュウに、「そうだね。ずっと一緒にいられたらいいね」と以外には最早言えやしない。
結婚云々は兎も角。
俺とこの子供の関係は、水木が居てこそ成り立っている。彼と別れたら、会う事はもう出来ない。もしかしたら、何年後かには水木なしの関係を作れて、別れたとしても個人的に会えるのかもしれないけれど。そんな頃には、この幼子も大きくなっているだろう。ならば、水木と俺の関係を知るのだろう。その後もこんな風に無条件に慕われるかといえば、甚だ疑問だ。リュウはとても素直でいい子供だけど、数年後もそうであるとは思えない。年頃に似合った腕白さも、潔癖さも出てくるはずだ。
小さな手が俺の肩を掴んでいる感触に、一緒に居続ける難しさを思いながら、俺は性懲りもなくまたここには居ない男のことを頭のスミで考える。キスが絶対の約束になるのならどんなにいいだろうかと、バカな事を考える。
とりあえず。次に顔を合わせた時は、一分でも長く引き止められる手段を講じなければ――なんて。
本気でそんな事を思う自分は、かなり嫌だ。こんな事を自分に思わせる水木が憎い。
でも、止められない。
止められないのだ。
一度我慢すれば、次にはそれが当然になる。
我慢の果てに何があるのか。報われる時がくるのか。
今の俺には、それがわからない。
水木に追いつきたいと。彼の苦労を少しでもわかりたいと思う気持ちはあるけれど。
大人になどなりたくないと、俺はそんな風にも思ったりもする。
この子供のように、純粋に。欲しい気持ちを叫べればどんなにいいのだろうと思いながら、俺はリュウの頬に約束を落す。
一緒に、成長しよう。
- END -
2008/05/28