お題 「真下×ナナミ」+「矢木」+「日常」
社長×フリーター

 寝る間を惜しんで働いたのは、結果論に過ぎない。
 物理的に睡眠以外を削るのは無理で、ただスケジュールに沿って行動していると、気付けば寝不足でフラフラだっただけのこと。
 だから。
 半日の休みを意識せず睡眠にあててしまったのは、当然といえば当然の結果で。
 決して、連絡をすると言っていたのを忘れたわけではない。ただ、夢も見ない眠りについていたので思い出さなかっただけだ。
 そう。
 出勤まで一時間を切っての奇跡的な覚醒に、慌てて部屋を飛び出しケータイを所持し忘れたのも。オレの失態であって、ワザとではない。気付いた時にはもう電車の中で、どうしようもなかったのだ。
「……サイアク」
 学生に混ざって、揺れる電車に身を任せながら呟いたのは。自分に対してか、携帯電話がないことに対してか。
 怒っているか、心配しているか。どちらかわからないが気にしているだろう真下を思い浮かべて出るのは、溜息ばかり。
 電車から吐き出されながら、ケータイはどこへ置いたかと考えるが。答えが出る前に、意識は男へと戻る。
 ここ暫く、全く会っていない。
 原因は、間違いなくオレの忙しさ故だ。
 馴染みから、新たな従業員が決まるまで手伝ってくれと声を掛けられたのは、先月初めのこと。その時は、忙しくもなく時間の都合もつくものだったので、二つ返事でオッケイした。朝から昼過ぎまでの清掃員と夕方から夜中までのファミレス店員に加えるには、深夜前から早朝までの警備員はキツくもあったが。手伝いは半月にも満たないだろうという見通しに、オレは付き合いだと多少の寝不足は覚悟した。
 けれど、いくらバイトであろうとも休日は存在する。睡眠はその時に取ればいいと、そうたかを括っていたのだが。
 こういう時に限って、断れない臨時の仕事が舞い込むもので。
 内職程度で仕事を貰っている雑誌社から、毎月のコーナーに加えて、特集ページも発注され。特別臨時職員として契約している知人のスタッフ派遣会社からも、休みを狙ってイベントやパーティ、果ては個人営業までさせられ。加えて、警備員の採用はなかなか決まらずで。
 職場での仮眠で睡眠を確保し、自宅にも帰れない日までも作って仕事に精を出さざるを得なかった、この二ヶ月。
 漸く雑誌の仕事を片付け、月末の締め切りを何とか守れてホッと一息ついた、三日前のことだ。
 仕事の休憩時に偶然掛かってきた電話は、なんと矢木さんからで。それだけでも驚きなのに、その内容が「時間を作って真下に会って下さい」と言うものなのだから、こっちとしては頷く以外に出来ることがないというものだった。
 どうやら、真下は相当イラついているようだ。矢木さんが態々オレに言いにくるくらいなのだから、仕事にも影響が出ているのだろう。
 あの男ならそうだろうなと、それが想像出来るオレはもどうかと思うが。
 でも、それ以上に。
 だからって、それでも矢木さんが口を出すのもどうかと。出される真下に呆れが浮かびもするというもので。
 このクソ忙しいのに、大の大人の面倒まで見る暇はないぞと、瞬間的に思ったのも事実だったりする。
 しかし、それでも。
 残り短い休憩時間を使って、改めて考えてみれば。俺が忙しくなる前は、真下の方が忙しくて会えなかったので、三ヶ月近くまともに顔を合わせていない。三ヶ月といえば、ワンクール。ドラマも終われば、季節も変わるほどだ。ついでに言えば、忙しくなってからは電話もメールも殆どしていない。
 初めのうちは真下からの着信にきちんと返していたけれど、いつの間にか後回しになっており、最近では生存報告程度だ。
 そんな、三ヶ月。毎日が忙しすぎて気付かなかったが、長いなと改めて思う。
 真下が腐るのも、当然なのだろう。矢木さんが口を挟むのもまた、そう。
 いま会ったら、俺を蔑ろにしてと、真下なら怒るかもしれない。オレが仕事で愛想を振り撒くのですら、敵愾心を剥き出しに噛み付いてきた過去がある男だ。詰め込んだ仕事の中にホスト紛いのものが入り込んでいたのを知ったら、絶対機嫌を悪くするだろう。
 だが、とは言え三ヶ月だ。流石にこの長さなら、小言を言うよりも、まずは漸く取れた時間を大事にする方を選ぶのかもしれない。子供のようなところがあっても、それでも社長をしているくらいの男だ。働き詰のオレを前にすれば、それくらいは出来るだろう。
 って言うか。しろよ、だ。しろ。
 社長とフリーターでは色々違うだろうけど、それでもオレだって働いていることに変わりはないのだ。労え。
 この状況を作ったオレが言うのもなんだけど、疲れが取れるような癒しが欲しい。
 そんな風に思い立ったら、どうしても会いたくなって。通話の温もりが残るケータイでスケジュールの確認をした。
 三日後に丁度、警備と掃除バイトの休みが重なっていた。平日の昼間なら、急遽派遣の仕事が入る、なんてことは殆どない。
 大丈夫だろうと思って、真下にはその場でメールを入れておいた。時間が合えば、昼くらいは一緒に食べられるだろうと思ってのことだ。
 だが、結局。
 警備の仕事の休みが一日ずれて。
 それでも、昼飯は大丈夫だろうと、メールをしかけて。
 作成途中で力尽き、ベッドへ辿り着けもせず、オレはカーペットの上で爆睡。
 朝の六時過ぎに帰ってきて、次に気付いた時には昼の三時を回っていた。九時間近くの熟睡。
 失態どころではない。
 確かに、オレが悪かった。
 悪かったのだ。

 いや、でも。
 だからって、さ。
 それはどうかと思うぞ、なあ?

「……」
 客の入店の合図に、いらっしゃいませと声を発しながら、何気なくカウンターから顔を出してみれば。
 昼間に会う予定をしていた男の姿がそこにあった。
 奥まったところに居たオレには気付かなかったのだろう。バイト仲間に連れられて賑やかな店内へ足を運ぶ二人のビジネスマンを見ながら、つい息を落とす。
 本当に、オレが悪かった。悪かったよ。
 きっと、ケータイを鳴らしてくれたのだろう。気に掛けここまで来てくれのだろう。それは、ありがたいと思わないこともない。
 だけど、さ。
 やっぱり、さ。
 普通は、来ないだろう。来るなよ、オイ。
 お前らは、過保護な親なのかよ。オレは、家出少年なのかよ。
 しかも、何故に、真下を止めるべき役目であろう矢木さんまでもが来るんだ…。
「……苛めかよ」
 口内で呟きながら、オレのミスに対する嫌がらせかよとも思う。
 気付かなかった事にしてやろうか。本気でそう考えるが、そう言うわけにもいかない。
 客の入りによって前後するが、一応決められている休憩時間に入っていたので、チーフに断り店内へ向かう。
 足を向けたオレに先に気付いたのは矢木さんで。それを察して、振り返ったのが真下。
「……いらっしゃいませ」
 後ろめたさがあるからか、視線を向けられ若干たじろぐが、ここが接客業で培ったワザを発揮するところだと平常を顔に乗せる。
 けれど笑顔を作るが、無視された。しかし、このくらいでヘコたれるほどオレは弱くない。
 二人とも、学生や家族連れなどが騒がしい店内には似合わない硬さ。特に、矢木さんは呆れているのだろう。オレだって、自分自身に呆れている。こうなったのは、オレの寝坊のせいなのだ。その理由がわかる分、誰よりも気まずい。気まずすぎる。
 でも、ここで負けては、オレの立場もないのだ。
 バイト仲間の面々の前で、怒られる訳にはいかない。当然、痴話喧嘩なんてものは、絶対にゴメンだ。
 だから、頑張れオレ。主導権を与えるな。
「お仕事は大丈夫ですか?」
「今から休憩なんです。お邪魔してもいい?」
「どうぞ」
「あ、済みません。ありがとうございます」
 真下に向けて発した問いは空を漂い、数拍遅れで矢木さんが反応し、自分の横の椅子を引いてくれた。オレとしては真下の隣が良かったのだけどと思いつつも席につくと、案の定、カウンターの中のバイト仲間がこちらを気にしているのが見えた。仕事をしろよ、仕事。
「注文はしましたか?」
「コーヒーを頼みました。奈波さんも、好きなものをどうぞ」
「いいです、休憩は15分だけだから」
 言っている側から注文を運んできたウエイターが去るのを待って、オレは口を開く。
「それにしても、来て下さって助かりました。実は携帯電話を家に置いて出てきてしまったので、連絡を取れなくて困っていたんです」
「そうでしたか」
「鳴らしてくれたんだろ? ゴメン、悪かった」
 真正面から増したと視線を合わせ、謝罪を告げると、「……電源、切れてたぞ」と低い声で言われた。
 怒っていると言うよりも、不貞腐れているような声だ。ここまで乗り込んできたのでびびったが、案外大丈夫なのかもしれない。
「ホント? 切れてた? いつからかな……重ね重ね済みません」
 頭を下げたオレに、真下の顔が少し弛む。同時に、横から「社長が呼び出しを続けていたのでバッテリーがなくなったのでしょう」と、矢木さんの冷静な注釈がつく。
「煩いぞ、矢木。お前、何でここに居るんだ」
 折角弛んだ顔が、また元に戻ってしまった。でも、矛先はオレからずれた感じだ。矢木さんもたまには、オレの役に立つらしい。
「それは、社長がひとりで奈波さんに会いに行く勇気がないと仰ったからでしょう」
「そんなことを言った憶えはない」
「寂しいと泣いていたのは誰ですか」
「記憶にない」
「みっともない真似をされては困ります」
「していないと言っているだろう。ナナミ、信じるなよ?」
「大丈夫、わかっているよ」
 つまり、矢木さんは真下が心配で同行したということだ。
 その憶測は、完璧な正解なのだろう。だが、真下が言いたいのはそうではないだろう事も含めて、わかっているのだと頷くだけにオレはとどめる。二人の遣り取りはいつもの事だ。二人の時に二人でじゃれていればいい。
 硬さが抜けていつもの表情を見せ始めた男を眺めていると、不意に見返され眉を寄せられた。
「なに?」
「痩せただろう」
「うーん、どうだろう。少しそうなのかもしれないけど。だけど、ちゃんと食べてるから大丈夫」
 運動量が多いからウエイトが絞れただけだと、肩を竦めながら壁の時計を見る。15分なんて、あっという間だ。
 だけど、オレの充電はとりあえず終了。残りは後で、出来るよな…?
 ここまで来るくらいなんだし。
「あのさ。シフトが昨夜と入れ替わって、この後のバイト、今夜が休みなんだ。遅くなるけど、遊びに行ってもいい?」
 オレのお伺いに、真下が笑顔を見せた。
「ここは何時までだ」
「一応、11時まで。直ぐには終われないけど、今日中には行けると思うよ」
「なら、待っている」
「待つって、さ。まさか、矢木さんも付き合わせる気?」
 流石にそれはダメだろう、まだ二時間もある。ファミレスのコーヒーでは、そんなに時間は潰せない。何より、居座られてはオレが仕事を遣り難い。帰ってくれ。
 ホント、親じゃないんだから。
 オレの休憩ももう終わりだしと、さり気なく追いたて、レジへ誘う。清算を済ませ、二人を店から送り出す。
 けれど。11時半に迎えにくると言った真下の言葉を反芻させふと思い出し、慌てて駐車場まで追いかける羽目になる。休憩を取りすぎてしまうことになるが、許して貰おう。
「どうした?」
 車に乗り込むところで気付いた真下が足を運んでくれる。
「もし、何かあったら悪いからさ。ケータイの番号、教えておいて」
 オレは胸ポケットに挿しているボールペンを渡し、シャツの袖を捲り上げ腕を差し出す。手では確実に消えてしまうから。
「俺の番号くらい暗記しろ」
「無理。アンタはしてるの?」
「勿論」
「じゃ、言ってみて」
 実際、正確に言われても、それはれで気味が悪い。そう思いつつも強請ってみると、「後でな」と真下は悪びれもせずそう言った。続けて、「本当に、ケータイ忘れたんだな」と呟きを漏らす。
 嘘つきの癖に、オレの事実を疑うとは。ヤな男だ。
 それでも、ここは大人しくするべきで。
「ゴメン」
 短いながらも謝ると、もの凄く優しい顔付きで、ゆっくりと髪をかきあげられた。耳を引っ張るようにしてから離れていく手を見て、何をされたのか思い知り慌てて数歩身を引く。
「……!!」
 あ、危ないじゃないかオイ! ここはオレの職場だぞ。明るい店内から外は見えにくいとはいえ、どこに目があるかわからないんだ。ヤメテクレ。
 一気に顔に血が上り、心臓はドクドクだ。
 オレの反応をわかっていてやったのだろう。ニヤリと笑う男が、ボールペンを放る。放物線を描きやってきたそれを辛うじて受け取り、オレはそそくさと職場に駆け込む。
 恥ずかしい、恥ずかしすぎる。
 仕事ならば、全然大丈夫なのに。公衆の面前で仕掛けられる不意の接触に、オレは慣れることが出来ない。そして、真下はそれをわかっていてオレをからかう。悔しい。でも、言い返せられないくらいに、羞恥が増す。
 初心な女子中学生ではないのだけれど。
 赤くなっている気がする頬を手の甲で擦り、オレは仕事に戻る。
 あがりまで二時間弱。無心だ無心。お仕事を、頑張ろう。あの男は頭からポイだ、ポイ。

 けれど、いつもはあっという間に過ぎるというのに。
 今夜の二時間は、不本意ながらもとても長いものだった。

- END -
2008/06/04
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