「…っざけンじゃねぇーッ!」
仁科が振りかぶった一球は、見事、小竹の頭にヒットした。ただし、それはボールではなく、携帯電話である。
「痛ッ!」
悲鳴代わりの息をのむ声に続き、ローテーブルの角にあたり床へと落ちた小さな器械が派手な音を上げた。だが、仁科はそれを気にもせずに、ズカズカと小竹に近付くと、頭を抱え蹲るその背中に足を落す。携帯が壊れようが、自分のものではないので関係ない。怪我をしたとしても、それも痛いのは自分ではない。
止める理由はないと、顰められた顔を見ながら、無防備な脇腹に踵をねじ込む。
「なあ、小竹。お前には学習能力というものが備わっていないのか?」
痛みに呻く男を無視し、仁科は膝で喉を抑えながら真上から問う。返事如何によっては、体重を掛けてやることも厭わない。
「……キスひとつで、そう怒るなよ。なあ?」
反省の色も見せないその言葉に、仁科は無言で目を細め、拳を小竹の腹へ打ち込んだ。反動に上がった頭が、喉の圧迫に、直ぐに沈む。
咳き込む男にもう一度、「なんだって?」と仁科は問うた。
「……悪かった。二度としません」
「何を」
「寝起きを襲いません」
「違うだろう、アぁ? 二十四時間365日、俺に触れるな」
「…それじゃキスも出来ないだろう?」
「それをするなと言っている」
何が悲しくて、男のそれで目覚めねばならないのか。
十五分程前の悪夢を思い出し、仁科はもう一度、立ち上がり男の横腹を蹴る。この程度では腹立たしさは治まらない。
だが、残念な事に、寝起きは弱い仁科にはこれが限界だった。
唸る小竹を放置し、ソファに座る。邪魔な髪をかきあげた手を止め、そのまま頭を抱える。疲れた、しんどい。もう一度休みたい。
小竹の悪ふざけで目覚めさせられ、それがなんであったのか寝惚ける頭で理解し、飛び起き制裁をくだせられたのは、仁科にとっては奇跡に近い。ここで落ちたとしても不思議ではない。
本当に、余計な事をしてくれる男だ。これが寝起きでなければ、殺してやるのに。
暗くなる意識の中で、仁科は不穏な事を本気で考える。それくらいに、小竹が忌々しい。
この男、本当にどういうつもりなのか。
俺を怒らせて何が楽しいのか。それともこの男もまた、俺を殺す気か?
「……仁科? おい、仁科?」
大丈夫か?と問う声は、いつの間にか直ぐ近くにある。
気にするのならば、最初から仕掛けてくるなというものだ。わけのわからない、その矛盾の行動が頭痛を更に呼び起こす。
「……放っておけ」
「心配くらいさせろ」
「……」
自分をこうさせた原因が何を言うのか。ふざけるのも大概にしろよとの言葉は、胸中で暴れまわるが外までは出ない。口を開くのも億劫だ。
そのままずるりとソファに身体を横たえると、顔にかかった髪を汗と共に拭われた。触るなといったばかりだというのに、この男はそれを頭に刻まなかったらしい。
だから、馬鹿はイヤなのだ。
本来ならばその身体に打ち込んだのだろう拳を仁科は自らの身体に押さえつけ、浅い息を繰り返す。本格的に、気分は最悪だ。起き抜けに動きすぎた。貧血か。それとも、身体はまだ起きていなかった故の拒絶反応か。
自らの重さで地の底まで沈みそうな感覚。気持ちが悪い。
「……小竹」
「ああ、どうした?」
摘むように、髪を弄るのをやめない男を呼ぶと、先ほどの事はなかったかのような柔らかい声で返事をする。学習能力というよりも、記憶力がないのかもしれない。
「…何かしたら、次は殺す」
寝ると告げるだけ告げ、仁科は意識を自ら手放した。
忠告が役に立ったと知ったのは、その後数時間たってからだ。
目覚めた時、仁科は記憶をなくす前のまま、居間のソファで寝ていた。身体に薄い毛布が掛けられているくらいで、違いはない。
そう、小竹もまた、そこに居た。
床に胡座をかき、ローテーブルに肘を置いて、何故か寝ている。間違いなく阿呆だろう。
だが、それでも。
夢も見ずぐっすりと寝られた仁科は、目の前の光景を受け入れられた。
もしかしたら、こうしてこの男が居る事に、いつかは慣れるのかもしれない。
だが、その前に終わりが来ないとも限らないのだ。
- END -
2008/06/26