「……一体俺にどうしろというんだ」
思わず嘆きを零した筑波に、福島は簡単に「使えばよろしいでしょう」と言い放った。
他人事だと思って、適当なものである。
「なら、お前がやってみろ」
「遠慮します。貰ったのは貴方でしょう」
「……つき返せば良かったというのか?」
「まさか。そんな事をされては、後々面倒ですよ」
福島の素っ気無い態度に、筑波はそれ以上の言葉を控えた。何を言っても、弱気な愚痴にしか聞こえないのだろう。年上の部下にする事ではない。
押し付けられたとしか言いようのない湊からの贈り物を脇へ投げ出し、筑波はひとつ深い溜息を吐いた。
遊ばれているのだろう事はわかっている。だから、これが他の者ならば適当に相手をしてやればいいだけのこと。
しかし、あの湊となれば話は別だ。
彼の遊びは、遊びではない。
その場限りのものではなく、どこまでも性質が悪いのだ。
玄関のドアを開けると同時に、華やかな音に包まれた。帰宅した筑波を迎えてくれたのは、本人ではなく、恋人が奏でる音楽だ。
だが、それでも悪い気はしない。むしろ、穏やかさを感じるくらいである。保志が三つ指つき玄関に座っていたとしたら、それは世界の終わりの啓示だろう。見たくはない光景だ。たとえ吹かれているのが軍艦マーチでも、平和ならばそれでよい。
リビングに向かう前に寝室に入り、上着をハンガーに掛ける。ネクタイを解きながら、そう言えばと厄介な器械の存在を思い出す。結局、事務所に置くことも出来ずに持ち帰る羽目となった。
湊の笑う顔が簡単に想像出来るのが癪だ。
しかし、それも慣れたものであるので。腹立たしさよりも疲労が増し、怒りまでは覚えない。そんなところまで性質が悪いそれは、逆にいつまでも遊ばれる自分に嫌気を差さす。
ポケットから取り出した小さな玩具を手に、筑波は廊下へと出た。いつの間にか、曲はモリタートに変わっている。選曲の基準はどこにあるのだろうか。
その場に立ち止まり適当にボタンを押してみると、筑波の手の中でピロロンとマヌケな音が上がった。測定中と表示される小さな画面を暫し眺める。馬鹿馬鹿しいと思いつつも、現れた結果に思わず口角が上がる。
『楽シイニャ』
これが、今の保志の心の声らしい。
ただの偶然だろうが、当たっているなじゃないかと筑波はもう一度同じ操作を繰り返す。
すると。
『腹ヘッタニャ』
画面には、そんな言葉が出てきた。
何年か前に鳴き声で犬の気持ちを判別する器械が発表されたのは筑波も知っていたが、その需要はまだ続いているらしく、今では犬以外にも対応しているらしい。湊が「欲しいだろう?」と楽しげに渡してきたこれも、多様な動物に対しての機能が備わっている。
だが、鳥は判るが、兎や亀は何の音で判別するのか。鳴かないだろう動物が入っているところを見ると、犬用のそれよりも玩具よりなのだろう。
そんな中で。初期設定で猫を選んだのは、勿論、湊だ。
保志は猫というタイプでもないだろう。筑波はそう思い口にしたが、「だったらお前がネコなのか?」と湊は取り合わず、設定したそれを押し付けてきたのだ。筑波がどうしろというのかと、福島相手に嘆いたのは当然だろう。
そして、その心境を察しつつも、福島が見捨てるのも然り。
そんな風に、贈り主が湊ゆえに、重荷以外の何ものでもない玩具だったのだが。
ここに来て、漸く本来の機能を発揮し、それなりの価値を見せてきた。玩具にも意地があるのだろう。
自分の関心を引いてきたそれを筑波はスラックスに入れ、リビングへの扉を開いた。サックスを吹いたまま、保志が視線を合わせてくる。
同じく視線で応え、キッチンへ。シャツを捲りながら冷蔵庫の中身を確認し、食事とは言えない簡単なツマミ程度のものを用意する。
リビングへ皿を運ぶ頃には、いつの間にかサックスの音は止んでいた。
ひと練習を終えた保志が、実に旨そうにビールを飲むのを見ながら、筑波はポケットに入る小さな器械のことを意識する。二度しか試していないし、それも保志の奏でる音での検査だ。信用は出来ない。だが、当たっているのも確かであり、侮れないのかもしれない。
これで、湊が関わっていなければ、それなりに遊べるのだろうが。
厄介な相手を思い出しながら、筑波もまたアルコールを体内に流し込む。
小腹を満たし、風呂に入る為に立ち上がった保志に声をかける。
「一緒に入るか?」
冗談半分。だが、半分は本気である言葉は、けれども直ぐに拒否された。
結構だと後ろ手に手を振りながら、クシュンと保志がくしゃみをする。ピロロンと筑波の手の中で音が上がる。
くしゃみにまで反応するのかと呆れつつ、筑波は現れる文字を待ち画面を見つめたのだが。
『ウザイニャ』
「…………」
所詮は、玩具だ。
しかも、ペット用だ。
鳴き声ではなく、くしゃみだ。
しかし、先程は当たっていたので、完全否定も難しい。
本当に、贈り主に似て厄介な品だ。
筑波は大人しく保志が出てくるのを待ち、入れ替わりにシャワーを浴び汗を流した。
寝室に向かうと、ベッドに腰掛けた保志が、件の玩具を弄っていた。何だ?と首を傾げる男が苦手としている人物の名をあげるのは憚られたので、ただ貰ったのだと流し、機能を説明する。
自分の声に反応したのだろうそれが、『遊ボウニャ』と筑波の声を判断した。
全く当たっていない。
だが、それに対して小さく喉を鳴らした保志が、筑波の腕を引きそれに誘った。
首に両腕をからめ、目で笑いながら、保志が筑波の額に唇を落す。
「遊んでくれるのか?」
そのつもりはなかった。だが、促され、玩具にのせられるようにして問うと、恋人は本当に猫にでもなったように喉を鳴らすのだから、気分は一気に沸くというもので。
筑波もまた笑いながら、キスを返す。触れ合うだけのそれが、次第に深くなる。
仕事の延長での情事を入れれば、何人もの女を抱いてきたし、今なおそれが全くないとは言わない。だが、そんな女に対するものとこの男とでは、決定的な違いがあり、けれどもどこにも差はないように筑波はいつも思う。
本気で想う相手だ。仕事とは違う。だが、例えそれが何であれ、身体を重ねる時は一時であってもそれなりに相手を想うものだ。その一瞬の気持ちに差はない。
それでも、その想いとは別に。気持ち以上に身体は素直なのか。愛しみたい相手が前にいると、欲望は溢れ、時に無理をしたりする事もある。大事にしたい反面、全てを奪いたくなる事がある。
誘われた、のは一瞬の事で。
次の瞬間には、貪った。
互いに果てた後。自身を収めたままうつ伏せた保志の肩に唇を落していた筑波の耳に、小さな電子音が届く。
何気なく見たそこには、『ツマラナイニャ』の文字。
「……」
忌々しい玩具だ。
だが、しかし。
相手が気付かないのをいい事に、筑波は器械を枕もとに降ろし、キスを仕掛けわざと喉を鳴らさせてみる。
今度は『気持チ悪イニャ』である。
「…………」
先程までは、それなりに適した感情を教えてきていたのに。今になってこれか。っていうか、今、あえてそうくるか?
この器械、俺に恨みでもあるのだろうか。
どこまで贈り主に似ているのかと胸中で嘆きながら、筑波は目にした文字のインパクトに飲まれ、表情を硬くする。
玩具であるのはわかっている。その判断に信用が置けないのも理解している。だが、それとは別のところで。理屈の及ばない部分で。面白くないと感じてしまっている自分を、今すぐに宥める事が出来ない。
「……保志」
筑波の呼びかけに、保志は薄く開けた眼をちらりと向けただけで、直ぐにそれを閉ざした。
恋人が言った言葉ではないというのに。目にした文字がまるでそれのようで、その仕草をふてぶてしく思ってしまう。
もしも、犬や猫のように、日頃から正確に感情を伝えられないのならば。こういった器械は、役に立つだろう。立たなくとも、コミュニケーションのひとつになるだろう。
だが、保志は違う。この男は、声を出せないだけなのだ。犬や猫と違い、手段を持っている。いつも、文字で想いを伝えてくる。
そして、それを筑波は視覚で受け止めている。
だから。
いつものように、決して上手いとはいえない癖のある字面でも、ケータイのモニターでもないけれど。小さな画面の中の文字を読み取るのは、馴染みのある行動で。
いつもはそれが恋人に繋がっている分、今もまた真実ではないとわかっていても、そこにこの男の存在を無意識に置いてしまうのだ。
いつの間にか、視覚で受け止める思いに敏感になっている。
八つ当たりに近い、謂れのない自分の態度をそれでも受け入れる保志をいじらしく思いながらも、筑波は止められずに再開した責めを続けた。
喉を鳴らす保志の喘ぎに混ざって、何度目になるか電子音が響く。流石に耳元のそれに気付いたらしい恋人が濡れた目で自分を見上げてくるのを見返しながら、筑波は手を伸ばし器械の電源を切った。
シーツを握っていた保志の手が、小さなそれを払い肩へと回される。
筑波が大きく腰を使うと、ベッドの端で留まっていたそれが落下した。ガチャンと床で上がる音を二人して聞くが、相手にする余裕はどちらにもない。
恋人の声が聞ければいいと、筑波は思う。けれど、だからと言って、今のこの男に不満があるわけでも、不便があるわけでもない。
保志翔という人物の性格から考えてみれば。
声が出せない分、文字で伝えねばならないという負い目が多少はあるからこそ、この男は感情を見せているのだと筑波は保志をそう見ている。きっと、簡単に思いが表現出来るのならば、この恋人は何も語らないのではないだろうか。そう、喋れる安心感を前に、言葉を噤み、感情を隠すかもしれない。
面倒だというだけで、自己主張をしないような男なのだ。この憶測は、あながち外れてもいないのだろう。
だから、言うなれば。
今の状態がベストなのかもしれない。
他人より道具がひとつ少ない方が、保志翔という人間は、周りと共存するのだろう。
荒い呼吸を繰り返す保志の中から己を抜きながら、筑波は熱さとは違う息をひとつ吐く。
今回の湊は、ただのからかいだ。だが、あの男の中に、保志を疎ましく思っている気持ちがある事を筑波は知っている。彼が、保志の排除を決めた時どうなるのかも、よくわかっている。
そして、湊だけではなく。
今は、多少の物珍しさ等もあって笑うだけに止めているような連中も、何かあれば一瞬後には対処を変えるのだろう事もまた、筑波には簡単に想像出来る事態なのだ。
当人が誰に対して何を思っていようと。
守らなければならないのだと、筑波は汗が伝う保志の頬を手で拭いながら思う。
湊のからかい程度で、遊ばれているわけにはいかない。
たとえ、別れたその後でも。
自分はこの男を守らねばならないのだから。
- END -
2008/06/24