お題 「部下」+「ファン」+「観察」
Vitamin

 水木瑛慈には、男の恋人が居る。

 テツタが上司のそれを知った時の衝撃は、今なお記憶している。かねてから、若頭には本気で惚れているイロが居るのだとは噂されていた。幾人かの美人とのツーショットを見たことがあったテツタにとっても、それはそれは想像を膨らませてくれる噂だった。
 なにせ、あの水木瑛慈なのだ。その辺に居る男とは格が違う。そんな上司の心を掴んだのは、一体どんな女なのか。
 一度見てみたいものだと思うのは自然な事だろう。日頃は言葉も交わせない下っ端の間では、下世話なネタまで交えて噂は飛び交った。
 だから。
 テツタがその真相を知ったのは、偶然だった。
 本当に、偶々、それを知ったのだ。
 そして、出来れば知らないままで居たかったと。そんな風に思うことが、この世の中にはあるのだと同時に知った。
 衝撃の中、声も出ないテツタは、直属の上司にひと言、「構うな」と言い置かれた。
 普段から個人的な言葉を交わしもしない下っ端が、その事を知ったからといって水木と関われるはずがない。若頭の大事な人はあの男なんですね、などと話をふるなど死んでも出来ない。なので、逆にそれで構えと頼まれたとしても絶対に無理なのだ。言われなくとも、構えないというもので。
 首が千切れて飛んでいってしまうくらいの勢いで、テツタはその言葉に頭を上下させ了解を示した。
 だが、数日たって冷静になれば。あの言葉はつまるところ、見なかった事にしろという意味なのだと理解出来た。そして、もしかしたら、水木ではなく相手の男を構うなと言う事であり、忠告してきた上司は自分が嫉妬するとでも思ったのだろうかと、テツタにとっては少し理不尽な思いも浮かんだ。
 しかし、更に色々と考えてみれば。確かに、水木の噂の恋人が男であるのは驚いたし、理解は到底出来ないが。だからと言って、水木への忠誠が揺らぐだとか消えるだとかいったものはなく。アレコレ悩むほどに突き詰めて心を掘り下げると、確かに小さいがそこには恋人である男への嫉妬が存在していたりもするのだ。
 いや。もっと正確に言えば。
 水木に大事にされている男への羨望か。
 テツタはそんな自身の分析結果に、確かに構うのは良くないと納得した。上司の判断は正解だと。
 だから。
 その後も、仲間たちの間では色んな噂話が飛び交っていたが。テツタ自身は取り合わずにいた。稀に、水木と男の並んだ姿が頭の隅に浮かびもしたが、意識して消した。
 それなのに。
 己の努力は何だったのか。
 テツタは目の前の状況に、正月以外は呼びもしない神を問い正しくなった。
 だが、明らかな非常事態にそんな事も言っておられず、喉で唸りながら足を踏み出し揉め事の中に身を入れる。
 構いたくなどないが、放っては置けない。
「その辺でやめて置け」
 突然入ってきたテツタに驚いた女が、傍の男の腕にしがみ付き顔を伏せた。逆に男の方は真っ直ぐと視線を向けてくる。
 その眼で水木を落したのだろうか。
 いや、あの水木が落ちるなんてことはない。
 だが、現に――テツタの散漫しかけた意識が不快な声によって引き戻される。
 吼えたのは、男に絡んでいたチンピラだ。格好はそれなりだが、顔を見ればまだ二十歳にもなっていないのではないかと思われる。組では下の位置に属しているテツタとはいえ、ガキに引けを取るわけもない。
 介入を躊躇いつつも首を突っ込んだのだから、早急に解決をするべく手を打ち、テツタはチンピラ三人を追い払う。
 だが、そうなれば残るは、上司のイロとその彼が助けようとした女。
 気まずさに、そのまま顔も向けずに立ち去りかけたテツタだが。待ってくださいと、軽く腕を掴まれとどまる事を要求される。残念ながら、水木の大事な相手を疎かに出来るような仕組みにはなっていない。
 テツタが観念して振り返ると、男は真っ直ぐと目を合わせ礼を口にした。
「助かりました、ありがとございます」
「…いえ。じゃ、オレはこれで――」
「あの、誰かに言いますか?」
「……。……誰に、何を?」
「別に、口止めしたいわけじゃないです。ただ、水木にまで伝わるのかなと思って聞いてみただけで」
 他意はないですと頭を下げ、感謝をもう一度述べた男が去っていくのをテツタはその場で見送った。友人同士なのか何なのか、小柄な女と並んで遠ざかっていくその背が消えてもなお、脚は動かない。
 どうしてなのか、自分は正体を知られているらしい。
 こちらは遠くから何度か見た事がある程度だ。その顔を覚えたのは、上司の想い人だということで気にかけたからだ。だが、向こうは違う。護衛や雑用をする下っ端の存在は、知っていても気に止めないだろう。そうだというのに、何故自分を知っているのかと、テツタは唸る。
 気楽なただの学生だと思っていたが、そうでもないのだろうか。いや、それはそれで間違いではないだろう。だが、本当に、想像していたような軽さもない。
 水木が選んだ事はある男なのかもしれないと。今更だが、今までとは視点を変えて、テツタはそう思った。もしかしたら、悪くはないのかもしれない。

 後日、驚くべき事に、水木本人から声をかけられた。千束が世話になったらしいな、と。
 とんでもないと首を振るテツタに、それでも水木は礼を口にした。そして、これからも頼むとも。
 相変わらず、何も知らない仲間達は水木の恋人を勝手に憶測し噂を広めている。真実は、時たま彼が連れている学生にあるのだとは気付いていない。けれど、テツタと同じように、知った者は居るのだろう。
 あの男について悪意ある噂が出ないのは。
 つまりはそんな彼等も自分と同様に、悪くはないと思っているからだとテツタは納得し、水木の言葉を胸に抱いた。

- END -
2008/06/26
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