薄暗い店内はカラフルな電飾で彩られており、集中すると酔いそうだ。
狭いボックス席は、意外にも殆どが埋まっている。
男性客と、女性店員がそこで何をしているのか。確認するのも馬鹿らしい。
一緒に店に入った野口さんは、早々に個室があるらしい店の奥へと行ってしまった。勝手に帰るなよと言われ、待つこと三十分強。戻ってくる気配はない。時間延長でもしたのだろう。
手持ち無沙汰と言うのを通り越し、嫌気を漂わせている女は、最早僕を客とみなして相手をする気はないらしい。水っぽい酒に口をつけた僕をちらりと見ただけで、ケータイへと視線を戻す。
本番以外は、お好きにどうぞ。その条件で与えられたのは、セーラー服の女性。席につくと同時に、テンション高くへばりついてきた。耳に囁かれたのは、お兄さんなら本番もオッケイという、マニュアルだろう科白。
利用した事があるのだろう。システムを理解しているらしい野口さんがナース姿の女性を連れて直ぐに席を外したところをみると、個室を利用する率は高いのだろう。
約一時間。それだけ席を温めていれば、店の回転がどうなっているのか良くわかる。
要するに、そういう店なのだ。
「お客様」
不意に声をかけられ顔を向けると、男性スタッフが傍に立っていた。目配せでもされたのか、セーラー服のキャバ嬢が席から離れる。
「彼女はお気に召さなかったでしょうか?」
慇懃な姿勢だが、主導権は男にあるようで。
「どのような娘がタイプか、仰って頂ければ用意いたします」
何もせず居るのは悪いかのように、強気な発言をする。
身体を触れ合わせずに、ただ話をするだけの客も居ないことはないだろうに。どうやら、僕は注意人物にされてしまったらしい。
向かいの席で、中年オヤジの脚を跨ぎそこへ座るメイドの背中をスタッフ越しに眺め、僕は溜息を吐く。
気に入るも気に入らないも。無理やり連れて来られただけで、ああいうことをする気はない。
席を占領するに必要な料金は払うから、構わないで欲しい。
「お客様」
用はないと手を払うと、低い声で呼びかけられた。
当然だろう。そのつもりがないのなら出て行けというものだ。悪いのは僕だ。
だが、客商売ならいろんなことがあるだろう。さほど害はないのだ、許容しろ。
場違いを自覚しつつも、僕とて楽しくてここに居るわけではないのだと。八つ当たり気味に、僕は店員にうんざりとした態度を見せつける。
ソファに深くもたれたまま足を組み直したところへ、別な男がやって来た。今まで僕に接していた男が、店長と呼びかけている。
「お客様。あちらに席を用意しておりますので、お越しいただけますでしょうか」
店長らしい髪が薄い男は、部下を無言であしらい僕にそう言ってきた。こちらの態度は本物の低姿勢。
だが。
「お連れ様もお待ちですので」
そんな訳がない。そう思うが、ここに居座るのは無理なのだろうと、わかりきったその嘘に教えられ、仕方なく僕は腰を上げる。
向かった先は、スタッフルーム。
案の定、野口さんはいない。
だが、別な人物は確かに居た。
僕が良く知る筑波直純が連れている男、福島氏だ。
何だってこんなところに居るのだろうか。
しかも。
「仕事での付き合いは仕方がないでしょうが。場所は選んで下さい」
開口一番出てきたのは、説教。
おかしな人だ。
どういうつもりだと眉を寄せた僕に、福島氏は淡々とした口調で言う。
「送ります。行きましょう」
当然のように言われても、飲めない話。
突然現れて何を言うのかと難色を示すと、連れの対処はしますのでと、留まる理由を奪われる。
良くわからないままに店を後にし、促されるままに車に乗り込むと、福島氏は漸く説明を始めた。
「筑波は貴方の好きにさせるようにと言ったのですが、そう言うわけにもいきませんので」
どうやって僕があの店に居るのを知ったのかまではわからないが。あの事態を、筑波直純は許容したらしい。そして、福島氏はそれが出来ずに、自ら僕を連れ戻しに来たというわけだ。
ますますもって、意味がわからない。
何をしているのか。この人達は、案外暇なのか。
「貴方はもう少し、自分の立場を自覚するべきでしょう。貴方がああいった所で遊ぶのは、筑波の面子に関わります。また、敵対する者に付け入る隙を見せるようなもの」
尤も、女を宛がわれたいのでしたら、効果を期待できて宜しいのでしょうが。
何故か、理不尽に近いそんな厭味まで言われてしまう。
だが、ピンとこない。
送り届けられたのは、筑波直純のマンションだった。
もしかしてと思いながら部屋に入ると、案の定、家主が中にいた。
「早かったな」
僕がどこからどうやって連れてこられたのか、よくわかっているのだろう男が労うように笑いながら「お疲れ」と言う。
「福島に絞られたか?」
その言葉に肩を竦めると、謝罪が返った。
別に、怒っているわけでも、困ったわけでも、何もない。帰宅がここになったのは予定外だったが悪くはないし、帰路は優雅にハイヤーもどきだ。何より、適当に店を抜け出せた。有り難かったと思いこそすれ、不貞腐れる理由はない。
だが、邪魔をしたと思うのか。
男は言い訳のように言う。
「あの男は色々気をまわすのが仕事のようなものだ。お前は何も気にしなくていい。女と遊ぶのも、別に悪くはない。お前なりに気をつければいいだけだ」
それで。気に入る女はいたか?と苦笑交じりに首を傾げる男に、僕は近付き真上近くから見下ろしてやる。
「保志?」
何もないような、気にも掛けていないような態度。
それは、僕にするものとして正しいのか。
福島氏の小言とは違って、筑波直純のそれは僕の感情を刺激する。
この男が、その手の店に出かけるのも、女を横に置くのも、それこそ相手をするのも、仕事のうちだろう。だが、僕は違う。今日は偶々避けられず付き合う羽目になったが、別に断るのが無理だったわけでもない。それまでにも酒を飲んでいて、ただ逃げるのも面倒だっただけだ。
だから、僕の場合、何でもない。何もない。
けれど。福島氏は言った。面子に関わると。
僕には馴染みはないが、確かにあの手の店での僕のそれは、男の立場に少なからずとも影響するものなのだろう。
それなのに。
その物分りのよさは、何だ。
例え、何の問題もないのだとしても。
僕に言うべき事は他にあるんじゃないのか?
本当にどうでもいいのか。それとも、僕が女と遊ぶことはないと確信しているのか。男の態度は、答えを見せない。
嘘でも、よそ見をするなとくらい言ったならば。
僕だって、同じことを返すのに。
【あなたも僕に気をまわせ】
「……どうした? 怒っているのか?」
心底不思議そうな顔を見ながら首を振ると、男は「だったら、何が気に入らない?」と静かな声を出した。
伸びてきた手に腕をつかまれ、ゆっくりと引かれる。
ソファに膝をつき乗り上げ、座る男の肩に腕を置く。
嫉妬をしろとは言わないけれど。全てを許容されるのも、何となく面白くない。福島氏に注意されたからこそ余計に、男のその対応が気に触る。
「保志」
だけど、そんな事は伝えるようなものではなく。また、伝えられるわけもなくて。
呼びかけに誘われるように、男を引き寄せ頬を重ねる。
そんな僕に筑波直純は、「随分飲んでいるみたいだな。酔っているのか?」と喉を鳴らした。
酔っているのだとしても。
それは、酒ではない。
回す腕に力を込めると、背中を撫でられる。
もし、そこに羽があるのならば。
引き千切ってしまえばいい。
この男にならば、と。僕は刹那にそんな事を思う。
- END -
2008/06/19